06花小金井パレードへ(2)
さて、何処まで書いたっけ。
おっと、まだ、「うん、この体の感じなら花小金井のパレード見物に出かけられる。さあ、行くべぇか!」から先に進んでいない。
急がないと。
→ またまたパシスタ③さん。動画で見てもらいたいね。
正午には自分の体調を見て、OKという感触を得ていた。なのに、また、テレビを見ながらだったか、それとも本を読みながらだったか、ロッキングチェアーで居眠りしてしまって、気が付いたら2時を回っていた。
小生、慌てて外出の準備を、と行きたいところだが、また手元の本を片手にテレビを見るかどうするか迷っていたりして。再放送だが、小生の好きな役者の一人である小林稔侍が主演するサスペンスモノをやっている。
← トロピカルのアーラ? 変装中?
しかし、読み始めた坂部恵著の『「ふれる」ことの哲学』(岩波書店)も読みたいし。純な胸を悩ました挙句、本を選んだ。
一体、何時まで読むべきか。ギリギリのタイミングは。
あ、その前に、花小金井へのアクセスを調べておかないと拙い。今まではバイクを駆って現地へ向っているが、このところの小生はバイクではなく電車を使っている。時間がないので、移動時間を利用して読書する習慣になっているのだ。
ネットで調べると、新宿から西武新宿線で一直線である(これが実は、勘違いだと後で気づくのだが)。
バスで最寄の駅へ。京浜東北線で品川駅、そこから山手線で新宿駅。多少迷いつつも、東口の改札口を出たら、徒歩で西武新宿線の新宿駅へ。
懐かしい。小生が上京した最初のある時期、歌舞伎町に隣接する大久保にあるデパートの商品管理センターでバイトをしていた。当時は、アパートが西落合にあったので、西武新宿線での通勤の日々を何ヶ月か、送ったことがあるのだ。何度か、大久保から西落合まで歩いて帰ったこともあったっけ。
西武新宿線の新宿駅の駅ビル「ぺぺ」の書店で作家の小川国夫さんを見かけたこともあった…。
小生の居住する大森界隈からは花小金井はちと遠い。ちょっとした旅気分である。大体、山手線に乗ったのも久しぶり(数年ぶり)である。
何から何まで懐かしかったり、興味深かったり。
しかし、小生は読みかけの小説に熱中している。それは、『ホーソーン短篇小説集』(岩波文庫)である。ボルヘスも絶賛した短編も集中に収まっている。
目の前や隣の女性には目もくれず(神経は思いっきりそちらに向けて)小説に没頭する小生。窓外には四半世紀前の通勤時代に見慣れたであろう(でも、大分、様子が変わったかもしれない)風景が流れていくはずだというのに、勿体無い限りである。
さて、とにもかくにも、迷子になることもなく、乗るべき電車を間違えることもなく、無事、花小金井駅に着いた。ホームで時計を見ると、5時20分。拙い。パレードのスタート時間は15分だ。
何処で計算を間違えたのか。そっか、JR新宿駅から西武新宿線の新宿駅までの徒歩の時間だ。
音が聞こえてくる。バテリアの音だ。サンバには珍しい弦楽器であるカバキーニョの音も聞こえてくる。小生が最初にパレードで聞いた音は、何故かカバキーニョなのである。そういう第一印象が体に刻み付けられているのだ。
慌てて階段を下りてパレードコースへ。花小金井のパレードコースは狭い。そこにギャラリーが密集するから、見物したり、まして小生のようにカメラ小僧ならぬ中年するものには辛いコースである。
と思ったら、全く違っていた。
花小金井駅の北口は綺麗に改修されていて、見違えるようになっている。
小生はパレード会場へ行くと、真っ先にパレードコースを見る。コースといっても、どんなルートをパレードするかを見るのではなく、路面を見るのだ。
なんといっても、パシスタら、ダンサーらは、路面で軽快なステップを踏んでダンスするのである。無論、ハイヒールではないが、運動靴というわけにはいかなくて、ブーツを履いている。路面が荒れた…どころか、波打っているコースも結構あるのだ(何処とは書かないが)。
今回の花小金井のパレードコースの路面はパーフェクトである。
一つだけ、問題を感じる点があった。それは、パレードは商店街などを抜けたりして、駅前の改修なったロータリーを一周してまた商店街へ抜けていく。そのロータリーの路面も素晴らしい。コースの広さも十分である。なのに、何が問題だったかというと、宵闇が迫った頃にその問題点が浮き彫りになってきた。
それは、せっかくのパレードなのに、そのロータリーのパレードコースには特別なスポットライトなどの照明が用意されていないのである。明かりというと、目の前のイナゲヤさんという店などの照明、街灯、駅ビルの明かり、要するに、通常の灯りがあるだけなのである。
ある程度、暗くなった段階でスポット照明が用意されたが(チームによってか、商店街によってなのかは分からない)、ちょっと足りない気がする。通常の片側一車線の商店街だったら、割と近い場所にコンビニや商店のウインドーからの明かりがパレードコースに届くこともあって、十分な量の光源なのだろうが、このコースが広いだけに、光の量の足りなさを感じさせられるのかもしれない。
ダンサーにしても、華やかな衣装を纏ったアーラたちにしても、バテリア陣にしても、宵闇の中に沈んでしまっているのだ。通常の駅前の明かりだけが便りなのである。パレードの前半は「17:10-18:00」だから問題はないが、後半は「18:30-19:20」なので、少なくともその終わり頃は、夏場とはいえ、夜と言っていい時間帯に差し掛かっている。
しかも、パレード中は雨が降らなかったとはいえ、雨滴が少々零れ落ちた空模様だったから、月明かりも星明りもない。
カメラのフラッシュにダンサーらの姿が浮かび上がるというのも、一興ではあるが、やはり、せっかくの機会だということを思うと、勿体無い状況ではあった。上記したように暗くなった段階でスポットライトが使われ始めたようだが、やはり、足りない。
→ PA(音響装置)と歌手たち。音と歌とが全体を一つのチームへ統一する。カバキーニョを演奏したかったんだよね。すぐ、諦めたけど。
しかし、真新しい路面でのパレード、コースの幅も十分確保されていて、また、パレード馴れした観客(観客の反応がいいと、ダンサーもバテリア陣も、歌手陣も、みんなやりやすいらしい)という素晴らしいコンディションを思うと、問題にするのも大人気ないのかも。
ま、これだけ快適なコースとなると、照明をどうするかは、贅沢な悩みかもしれない。
← ポルタ・バンデイラ(とメストリ・サラ)②だよ。チームのシンボルである旗をしっかりアピールする。
小生は、コース脇へ急ぎ、既にスタートしてから十分近く経過しているパレードの先頭部分に向った。やってくる。隊列は、見たところ、以下のようだったが、今ひとつ自信がない(用語については、「サンバチーム「ブロコ・アハスタォン」サンバ用語集」を見て欲しい):
→ この画像がパレードの最後パシスタ③だと思われる。先のほうでも姿があったのは、小生が列の前後を行ったり来たりしているから。これを追っかけと呼ぶ?
ポルタ・バンデイラとメストリ・サラ①
日時計のアーラ(エンヘードに沿って作られるパレードの時のグループ)
パシスタ①
パシスタ②マランドロ
ポルタ・バンデイラとメストリ・サラ②
バテリア
プシャドーラ/プシャドール(PA:音響装置)
パシスタ③
トロピカルのアーラ
ポルタ・バンデイラとメストリ・サラ③
← パレード最後のトロピカルのアーラさんたち!
驚くべきはチームの象徴ともいえる、ポルタ・バンデイラとメストリ・サラが3チームも出場していること。2チームなら、今まで幾度も目にしてきたが。
小生、前回の牛込パレードの時は、デジカメの画素数を5Mという最大の画素数にしていた。すると、画像は鮮明になるが、撮れる枚数が90枚程度となる。
→ 同じく、パレード最後のトロピカルのアーラさんたち!
その失敗に懲りて、今回は画素数を3Mに設定しておいた。これだと、画素数も十分だし、枚数も150枚から200枚は可能なはずなのである(フラッシュを使わなければ、の話だが)。
さて、パレードの隊列で、「日時計のアーラ(エンヘードに沿って作られるパレードの時のグループ)」とある。要は、浅草サンバカーニバルに向けて、その年のエスコーラ(サンバチーム)が掲げるテーマであるエンヘードが非常に重要である。
← パレード最後のポルタ・バンデイラ③さん! 圧倒的な存在感。
ちなみに、 「26th 浅草サンバカーニバル」でのリベルダージのパレードテーマ(Enredo)は『太陽』である。
そのテーマに付いて、一度は簡単にでも一般論の形で扱いたいが準備も侭ならず、取りかかれる見込みが立たない。
そこで、その前に、浅草で何ゆえサンバカーニバルが始まったのか、その経緯(いきさつ)などを探っておこうかと思った。
→ 同じく、パレードの掉尾(とうび)を飾るポルタ・バンデイラとメストリ・サラ③さんたち。
が、それも、取っ掛かりで中断したままである。
まあ、その前に、「サンバチームで退屈とはさよなら」を読んでみるのも一興かも。
さて、浅草でサンバカーニバルが始まった経緯については、「特集---2004年浅草サンバカーニバル-浅草い~とこ」の中の「浅草サンバカーニバル事始」なる項が必要十分な情報を与えてくれる(ホームページは、「浅草情報何でもお任せ-浅草い~とこ-asakusa-e.com」のようだ):
「昭和56年(1981年)に第1回浅草サンバカーニバルが開催されましたが、その構想自体は昭和30年代からあったといいます。発端は、ある一人の喜劇役者・伴淳三郎氏の熱い思いでした。古き良き時代、大衆文化のエネルギーに満ち溢れていた浅草を知っている彼は、浅草に当時の活気を取り戻したいと強く願います。そこで目をつけたのが、「リオのカーニバル」でした。
彼は、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロで行われている「エスコーラ・デ・サンバ」というサンバのパレードを、浅草のメイン・ストリートでやったらどうかと思いつきました。情熱のサンバのリズム、陽気に踊る人々。庶民のエネルギーがここぞとばかりに爆発するサンバカーニバルは、浅草・下町のパワーを表現するのにふさわしいイベントになり得ると考えたのです。
伴淳三郎氏の構想に、当時の台東区長・内山栄一氏が興味を示し、アイディアは浅草の商店連合会が主体となって、具体的な企画へと進んでいきました。」
この辺りは、多くのサイトで同じようなことが書かれているので、浅草サンバカーニバル誕生の経緯として関係者の間では共通の理解となっているのだろう。
ところで、さて、ここからは小生の得た曖昧な情報になっていくので、知っている人は訂正なり、新規の情報なりを寄せてくれたら幸いである。
← おや? マランドロスタイルの誰かが懐(ふところ)を覗いている。懐から何か飛び出すのかな?
上で、喜劇役者・伴淳三郎氏が目をつけたのが、「リオのカーニバル」でした、とある。
一体、何ゆえ、伴淳三郎氏は「リオのカーニバル」に目を付けたのだろうか。
ネットで情報を探ったところ、耳寄りな情報を載せているサイトが見つかった:
「意外な、日本のサンバカーニバルのルーツ - マンジャーレ、カンターレ ~楽しくて美味しい人生! - 楽天広場ブログ(Blog)」
→ おお、パシスタさんが飛び出してきた!
そこには、「浅草サンバカーニバルのルーツが、「ドリフターズ」だったって、知っていますか?」とある!
「1970年代に、ドリフターズが、リオのカーニバルに参加、日本でその様子が放送されました。そのイベントをきっかけに、日本とブラジルサンバ関係者の交流がはじまったのだそうです。そして、神戸にブラジルのサンバチーム「マンゲイラ」が行ったりしているうちに、浅草でカーニバルをやろうという話が持ち上がり、そして浅草サンバカーニバルができた、ということです。」というのだ。
← しかも、黒子さんまで…って、そんなわけないね。
さらに、「1970年代にドリフがリオのカーニバルに行ったのは、おそらく、その少し前、60年代に、ブラジル映画「黒いオルフェ」がカンヌ国際映画祭でグランプリを獲得し、ブラジルのサンバというものがある程度普及していたことが理由ではないかと、推測しています」とも付記してある。
→ ポルタ・バンデイラとメストリ・サラ①だ。先頭で旗を掲げてチームをアピールする。
ザ・ドリフターズというと、ザ・ビートルズが来日し武道館で公演した時、唯一、ビートルズと同じステージで演奏を披露したことでも有名なバンドである。
小生も、ガキの頃からのファンで、TBSの「8時だョ! 全員集合」は、大人になってからも、欠かさず見たものだった。現在に至るも正式には解散していないのだ。嬉しい限りだ。
← 暮れ始めた花小金井駅前のロータリーをバテリア軍団が行く。オレンジの衣装が輝いている。彼らの奏でる音が目に見えない形でチームの印象を決めている…。軽快且つ楽しげに、でも、演奏はバッチリ!
とにかく、映画「黒いオルフェ」が爆発的なヒットし、ボサノヴァやサンバ音楽、文化が世界を席捲したのは知られている事実である:
『黒いオルフェ』
さて、この間の歴史は興味深いところだが、小生の調査能力ではここまで。尻切れトンボだ。
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