05エンコントロ(3)…サンバ写真
エンコントロ・ジ・アルモニア(1)(2)に引き続き、(3)として、今度は、リベルダージをメインに(あるいは、のみになるかもしれない)画像をアップさせる。
画像の背景というか地になっている文章は、一昨年の秋、小生がサンバ(パレード)に夢中になって未だ三ヶ月ほどの頃、最初は見ているだけ、次はパレードコース(商店街)近くのコンビニで買ったリサイクルカメラで撮り捲るようになり、ついには生まれて初めてカメラ(デジカメ)を買うに至った頃のものである。
サンバに限らず、自分が参加してこその醍醐味なのだと思う。水泳にしてもスキーにしても、ゴルフもテニスもボーリングもツーリングやサッカーにしても、自らが自らの肉体を使って汗だくになり息を切らして風を感じてプレーに熱中する楽しみに勝るはずがない。何がといって、見物すること、それについての記事を読むこと、写真やビデオを観ることなどである。
そんなことは自分にも分かる。実際その年の暮から翌年の新年会の頃までは、小生もタンボリンやショカーリョ、ガンザという楽器に挑戦したし、バテリア(打楽器隊)のメンバーとして、演奏する醍醐味の万分の一ほどは味わってみたのである。
それでも、事情があり、自分の根性・根気のなさもあり、すぐに自らが演奏者・出演者の一員たることは断念してしまった。で、実際にやっていることといえば、まあ、体(てい)のいい追っ駆けに過ぎない。カメラ小僧ならぬ中年である。
それでも、体の許す限り、パレードなどに赴いて、ダンサーらの踊りに魅了され、バテリアの演奏に酔い、歌い手達の、必ずしも絶好とは言えない可能性のある環境の下で、精一杯に歌いきる姿勢に打たれ、また、そうしたコース上のメンバーを支えるスタッフの地道な世話振りを見てきた。
特に、やはり、自分とは対蹠的な位置にある人、そう、ダンサーらの生命力の爆発のような踊りぶりは、いつもながら圧倒される。躍動する肉体と満面の笑み。いつだったか、「この笑顔に会いたくて」という視角で画像を揃えてみたことがあるが、まさにそうとしか言えないのである。
ま、くだくだ書いてきたが、文章は、画像の前では引き立て役にもならない。壁紙に何か悪戯書きしてあるなということで、幾つかの画像でエンコントロの雰囲気を多少なりとも感じ取って欲しい。
[画像があと20枚ほど残っている。なので、後日、エンコントロ(4)としてアップさせるつもり。今度は週末だろうか。]
サンバ写真を観て思うこと(03/10/27)
小生は、この夏、サンバに夢中になったこともあり、パレード見物に幾たびに、ダンサー等の様子を中心に写真に収めるようになった。一部のダンサーの方とはネットの上では多少の縁があったのだが、実際にパレードの見物に赴き、三度目のパレードの時、初めて声を掛けた(その経緯や顛末は他のレポートに書いた)。
そして顔見知りになり、彼女等を中心に盛んに写真に撮るようになった。
顔見知りになると、シャッターチャンスが増える。そうでなくても、サービス精神と、最高の瞬間の自分を写して欲しいという彼女等の願望もあり(と思っているのは撮っている自分の勝手な思いに過ぎないかもしれない)、カメラを構えていることに気が付くと、ポーズを決めて、最高の笑顔でシャッターを押されるのを待つ。
で、やーとばかりに手を振ったりして合図をし、先方が気づくと、彼女等のほうから近づいてきてくれて、シャッターチャンスを呉れるのである。
最初の頃は、これほど夢中になるとは思わなかったので、パレード会場近くの商店街で簡易カメラを購入していた。せっかくの素敵なモデル達を相手に簡易カメラでは申し訳ないような気がしたが、しかし、カメラに凝ることにはそれなりの思いがあって、長年、躊躇してきたのである。
この期に及んでカメラを買う気には、簡単にはなれない。
最初の二度のパレードは、ただ、見ているだけ、勿論、こちらも挨拶もしない。それに続く挨拶もした三度目以降の数度の見物では、簡易カメラで、盛んにシャッターを切る自分がいた。
当然ながら、写真が残る。それどころか、数年振りに簡易カメラを購入したこともあり、写真事情、あるいはカメラ事情、それとも、IT事情が急激な変貌を遂げていることを実感している。数年振りに簡易カメラを買った今度は、自前のホームページもあるので、見物のレポートもアップする都合上、通常の写真だけではなく、写真をCDに落としてくれるように写真屋さんに注文した。
そして、普通の写真は、従前の如く、店で貰ったミニアルバムに収めて、自分で観て楽しむ。CDのほうは、パソコンに写真を取り込み、多少の加工をした上で、ホームページにアップしたレポートに挿入写真として収める。
こうやってみると、写真として自分が見てきた印象的な場面をアルバムに収めるだけの段階とはまるで違う世界が広まる。
当然ながら、パレードをされた方々やホームページに来てくれる方々に宣伝をする。カウンターの数字の推移を見ると、明らかに従来より来訪の方の数が増えている。それまでは、せいぜい、日に30回から50回程度だったものが、7,80回へ、それどころか、写真をアップしたよと宣伝した当初は、100回を越えることも珍しくはなくなる。
それだけ、写真の効果は大きいのだ。
それより何より、パソコンを開くと、そして自分のホームページの当該ページを開くと、憧れのダンサー達を含め、自分が立ち会ってきたいろんな場面といつでも<遭遇>することができる。写真を加工することで、不要な部分を切り落とすことができるので、焦点を合わしたい部分だけに注目することもできる。
切り落とされた部分というのは、下手なアングルで撮っているので(なんといっても、ギャラリーの一人として撮っているので、大概が大勢の観客の後ろから手を伸ばして撮る羽目になってしまうのだ)、空やビルや路面や観客の頭だったりする。あるいは、ダンサーの後ろの多数の観客だったりもする。もしくは、必ずしも注目していないダンサーだったり、男のダンサーも含まれる。
自分が、そうした人々の誰かに知り合いがいれば、当然、不要な部分というわけではなくなり、切り落とすはずもない。
不要な情報。つまりは、当然ながら自分にとって意味がない情報である。そうでなかったら、空だってビルだって、あるいは観客だって、じっくり見れば興味が湧いてくるかもしれない。ただの見過ごしがちな路面だって、細かなひび割れがあるかもしれない、日光や雨風、そして車のタイヤに痛めつけられて、悲しげな表情を示しているのかもしれない。バイクに乗る者にとっては、特に雨の日には魔物となってしまうマンホールがあるかもしれない。
そうした残したい写真からは邪魔な背景も、見方に依れば、観点を切り替えてみるならば、それなりに意味のある、あるいは意味などなかろうと、ただただ、眺め入っているだけで、朧な感懐を抱けるかもしれない。
さて、簡易カメラ(昔は使い捨てカメラなどと呼んでいたが、今はリサイクルカメラと、なんだか格が上がったような)を数回、使っているうちに、段々、飽き足らなくなる。その一番の理由は、小生が記録したい対象が、パレードであり、ダンサー達であり、バテリア(打楽器隊)の演奏や音楽だったりする。小生は、応援するチームの音にも最初に見物に行った時から魅せられていたのだ。
ある時、音を残すため、それから、カセットレコーダーを持っていくと掲示板に書いたら、それだったら、じゃ、わたしのビデオカメラ、貸してあげる。わたしたち、ダンサーの踊りを動画で録って欲しいから、という返事を寄越してくれたのである。
そうか、ダンサーなのだから、写真だけでは、その肝心な動きが残せない。懸命に練習をして、ステップを観客の前で披露している、その動きをこそ、撮らなければ面白くない、そう思い至ったのだ。
そうか、動画だ。
が、動画で残すにしても、小生は、自前のホームページで写真も動画も公表したい。となると、なんといっても容量の問題が生じてくる。普通のビデオで撮った動画は、まず、余程、画像の質を落とさないと、観ることは叶わないだろう、そう考えて、短時間なら動画も撮れるデジカメを選んだのである。
デジカメを買ってからのドタバタは、他のレポートなどで書いたので、ここでは省略する。
感じたことは、今更ながらではあるが、写真の情報量の多さである。
小生の長ったらしい文章でも、せいぜい、10キロバイトもあればいいものが、写真だと、かなり圧縮したり、不要な部分を切り落としても、数十キロバイトとなってしまう。小生のホームページは、それまで、小文がかなりある文章だらけの地味なサイトだったのが、一気に華やかになったはいいが、呆気なく制限容量を越え、つい、先日、容量を増やす仕儀に至ってしまった。
バイト数が多いということは、つまりは、情報量が多いことと完全にイコールなのかどうかは分からないが、しかしながら、来訪し観る人が増えたということは、写真にインパクトがあり、レポートだけでは、説明しきれないダンサーらの表情、衣装、踊っている現場の雰囲気その他が、観る人それぞれの観点から楽しめているのだろうとは、推測して構わないのだろう。
文章だと、どれほど委曲を尽くして書いても、どうしても、小生の主観を離れての説明の域を脱するわけがない。が、写真だと、下手糞な、アングルもぶれた写真であっても、目は口ほどに言うではないが、小生の節穴では見逃してしまうことも、観る人が見れば、新たな発見があったりして、楽しんでもらえるようなのである。
しかし、では、いきなりテーマが深刻なものになるが、写真とは何なのか、写真に残すとは、どういうことなのか、それが動画となり、録音も含めた話となっても原理的には同じだと思うが、とにかく、常に一瞬一瞬の夢幻と潰え去り、消え去っていったはずの場面が、とにもかくにも、目の前に原物として切り残されているとは、どういうことなのだろう。
まあ、写真論など、絵画論との絡みで、さんざんに言い尽くされてきたことであり、今更ここで小生如きが再論するには及ばないだろう(下に示したサイトを覗いて欲しい)。写真の登場が絵画の大変貌を呼んだことは周知の事実だし、絵画が改めて問い直され、一気に絵画の可能性の探求が進められたこと、そんなことは、常識に属することなのだろう。
[この拙稿は、下記のサイトの一文を読んで触発されて書いた。特に写真に絡んで「無常」という言葉を持ち出されて、痺れてしまった:「写真と無常」 ]
ただ、感じるのは、ある種の夢幻の感覚である。汗まみれになり、時には炎天下で熱中症に脅かされながらも踊るダンサーたち。
日頃、体調の維持や管理に神経を払い、ただでさえ忙しい家庭のこと、家族のこと、仕事のこと、あれこれを乗り越え、遣り繰りして、数十分という短い、しかし当人達にとっては濃すぎるほどに濃密な時間を生き、そして、踊りまくった、自分がやりたいことをやり通した、観客と悦楽の時を共に過ごした、サンバチームのメンバーが息を合わせて、一つのステージをやり遂げたという満足感に、浸る。
その当人たちにしても、当日は興奮醒めやらないままに過ごすとして、一夜明けた朝には、前日の興奮は夢だったのか、という感覚を持つことがあるという。
燃えた時は、夢だったのか、まさか幻ではなかったのか。そんな感覚にしばし襲われることがあると言うのだ。だからこそ、みんなの前で踊る喜び、楽器を鳴らす喜び、最高の音楽に目一杯浸る快感を、もう一度味わいたいと思うのだろう。
そのもう一度楽しみたいという欲求は、観たいというギャラリーの欲求などの比ではないはずだろう。
その上で、写真などを、改めて見ると、一体、写真に何が残っているのかと思う。何かが残っている。過去に実際にあった何かが残っている。当事者としてか、ギャラリーとして、カメラ小僧として立ち会ったに過ぎないかはともかく、その写された瞬間の何かが残っている。
何が残っているかは、写真を見る人が何を感じるかで大きく左右されるのだろう。だから、誰が見ても同じ一定の何かが残っているわけではない。写真を観る人の過去の現実との関わりの深さ、思い入れの深さによって感じるものは多様でありえるような、そんな何かが残っていることは、確かなのだろう。
でも、小生などが感じることは、ちょっと大袈裟に言えば、ある種の無常の感覚のようなものだ。その確かに現実にあったことなのだが、しかし、手の中にあるわけもなく、映像や画像や音声を除けば、実際には現物の欠片さえも、そこにあるわけもない、その現実の影、幻、夢だけが虚構の空間にあるに過ぎない。
虚構の空間とは、言い換えると、脳裏の一番奥の心の髄にこそ可能な舞台である。虚構とは、現実からその骨も皮も血さえも抜き去ったエキスのみが漉し残された夢幻の真実しか登場することを許されない空間のことである。
虚構とは、あまりに真実であり、心に突き刺さった棘であるが故に、時に忘れ去られ、遺棄された心の真実の仮初の現在の場、夢の舞台のことなのだ。
全ては過ぎ去る。だからこそ、人は、生きて、新たな手応えを求める。過去の充実は、熱い。その熱さに感懐深く浸るのも時には構わないのだろう。しかし、自分に多少でも新たな舞台への挑戦の意欲があるのならば、一層、痛切な過ぎ去り行く時間の残酷を予感しながらも、現実のステージで新たに何かを成し遂げたいという欲求を呼び覚ます。
恐らくは、ダンサーに限らず、何かを成し遂げたいと思う人は、誰よりも栄光の時の充実の素晴らしさと共に、ある種の空しさを覚えるのではなかろうか。過去は過去。求めるのは、今であり、今に続く近い将来の感激と興奮なのだ。
生きることを欲し、今以上に生きることに渇望する人は、写真を見れば見るほどに、次へ先へという欲求に駆られるのではないか。
その意味で、写真とは、生きることに堕したくないと思う人ほどに、残酷なほどに生きることの無常を人に突きつける匕首のようなものなのだろう。そしてその無常感は、一層、深く熱く生きることを渇望させる。
無常の観念は、焼けたトタン屋根のように、人を躍らせる。そして、踊る阿呆を選んだ人は、誰よりも無常感に焼け焦がれている人でもあるのだ。
サンバで踊る阿呆たちの生き生きした表情を写真で見ながら、小生は、そんなことを感じたのである。
つまり…、もう一度、サンバパレード観たい!
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