第28回 薬王寺・柳町 七夕まつり(1 牛込城篇)
「第28回 薬王寺・柳町 七夕まつり」(2006/06/28)で案内していた「七夕まつり」へ行ってきた。
土曜日は営業の日で、日曜日の朝まで仕事なのだが、パレードを見物するため、早退して四時前には帰宅。
さすがに、徹夜明けで少々の仮眠では、パレードを見る体力・気力が持ちそうにない。
すぐに寝入るつもりだったが、ついついワールドカップの死闘をテレビ観戦してしまって、寝入ったのは、通常通り営業を済ませ帰宅する時間帯と同じようなものになってしまった。
→ 「ポルタ・バンデイラ」と「メストリ・サラ」はチームのシンボル!
さて、以下、あれこれ駄文を綴る。少なからぬ画像を載せるが、例によって画像と本文とは直接の関係はない。いつもこうしたレポートを書く場合に断るのだが、画像を載せるための壁紙であり、その壁紙にたまたま何かしら文字らしきものが綴られているようだ、ということに過ぎない。
ま、ちょっと変わった、記号風の壁紙だと適当に流してもらいたい。
← 「ポルタ・バンデイラPorta Bandeira」役を担う人は笑顔を絶やさない。
日曜日(2日)、都内牛込で行われたサンバパレードに行ってきたといっても、参加したわけではなく、小生はただの追っ駆け。自称、後方のやいっち(広報の弥一じゃないのだ)。
これでもレッキとした我がサンバチーム・リベルダージ(G.R.E.S.LIBERDADE)のメンバーなのである。
が、全く活動には参加しておらず、パレードのある時だけ見物に行く、これを世間では追っ駆けと称しているようなので、不承不承、自分が追っ駆けであることを認めるしかない。
→ スタッフも重要なメンバー。時にダンサーであり時にスタッフとなる。
さて、パレードというか、「七夕まつり」の催される地・牛込のことをちょっと調べてみた。
そもそも、地名の「牛込」の由来は?
例によって、「牛込 - Wikipedia」を参照する。
すると、「江戸時代は大名や旗本の住む武家屋敷が集中した地域で伝統ある山の手の住宅街である。一方で町屋も少なからず形成され、古くからこの地に住む住民が多くコミュニティ活動が活発なことも牛込の特色である。狭い路地は江戸時代のまま、さらに住居表示がほとんど実施されておらず、江戸の雰囲気を感じ取ることができる」とか、「近代以降も夏目漱石や尾崎紅葉をはじめとする作家・文化人が数多く住んだ」云々と書いてある。
← あくまで楽しげに、生き生きと。
が、肝心の知名については、「牛込の地名の由来は牛を放牧した場所であったからなどの説があるがはっきりしていない」と心もとない。
困った。
そこはネットの強み。ネット検索してみたら、以下のサイトが見つかった:
「牛込城跡」(ホームページは「歴史の足跡」)
→ 七夕の日の彦星との出会いを演じる織姫!
牛込城跡!
あの牛込に城があった?!
見ると、「新宿区登録史跡 東京都新宿区牛込袋町15番地一帯 光照寺境内とその付近」とあり、確かに新宿区の牛込界隈のことのようだ。
「牛込城跡」という項には、「牛込には江戸氏の一流が本拠を構え、戦国時代に上野国から移住した大胡氏が牛込江戸氏の名跡を継いで牛込氏を名乗った。袋町の光照寺が牛込城跡と伝承され、牛込氏の本拠であったというが確証は無い」と書いてある。
← 今日は七夕まつり。観客の誰もが織姫、それとも彦星だ。
「新宿区の文化財史跡ガイドブック 新宿歴史博物館」に拠るとして、「牛込氏」の項には、「牛込氏はもと大胡(おおご)姓を名乗り、上野国赤城山南麓(現在の群馬県勢多郡大胡町)の領主であった。武蔵国守護の上杉氏の家臣であったが、大永4年(1524)に北條氏綱が江戸城を攻略させたときから、小田原北条氏の家臣となって、牛込地域の領主になった。牛込城にいて、北条氏の江戸衆の主要メンバーであった。天正18年(1590)の北条氏の滅亡により江戸に入場した徳川家康に従い、後旗本となって幕末に至った」などとも書いてある。
→ 生きることが好きで、踊ることが好きで、人間が好き!
「牛込氏墓」なる頁に拠ると、「「江戸氏牛込氏文書」(東京都指定有形文化財)によると大永6年(1526)にはすでに牛込に定住していたことが確認されている」とある。
江戸時代の江戸には江戸城は勿論だが(本丸は早々に消失したが)、世田谷城、渋谷城があるのは知っていたが(世田谷城跡地の脇は以前、仕事でよく通りかかった)、牛込城のことは初耳だった。
← バテリア(打楽器隊)はチームの駆動力。
実は小生、通常ならバイクでパレード(まつり)の会場へ向うはずだった。が、例の民間駐車管理員制度が怖くて、バイクで行くのが躊躇われてしまった。
そう、車だけじゃなく、バイクもビシビシ取り締まられているのである。
三鷹にあるギャラリーへも、電車を乗り継いでいったものだった。現地の取り締まり状況が分からないし。
→ もう一人の「ポルタ・バンデイラ」。白い宝石!
今回は、バス、JR、地下鉄を乗り継いだ。JRで東京駅へ向い、地下鉄東西線に。東西線に乗るのは、四半世紀ぶりだ。上京した当時、落合近辺に住んでいて、そこから東西線を使って飯田橋(五軒町)にあるバイト先へ通ったのだった。
そもそも地下鉄だって久しぶりだ。バス、電車、地下鉄と乗り継いだこと、長い地下道を歩いたこともあって、ちょっとした旅気分だ。遠足とまでは言わないが。
← スタジオなどでの地道な練習の成果が発揮される晴れの舞台。バテリア陣も楽しげに演奏している。
小生、神楽坂で地上に出る。
家を出た一時ごろにはポツポツ来ていたものが、路面の色を変え、傘が必要なほどになっている。
仕方なくコンビニでビニール傘(嬉しいことにジャンプ傘。小生、なんとかくジャンプ傘を開くのが嬉しい)を購入。ああ、この分じゃ、今日は中止かなと思いつつ、とにかくパレードコースへ。
降りた神楽坂からは二十分ほども歩いたろうか。その頃には、雨は小降りに、やがてほぼ上がった、ような。
→ 舞台では女優。サンバでは歌姫。
歩行者天国となっている会場に歩きついたのは二時半に近かったようだ。そろそろリベルダージのパレードが始まります。道路上は歩かないでください、などとアナウンスしていた。
小生は、牛込柳町交差点から会場に入った。パレードは牛込薬王寺町交差点から始まる。
つまり、パレードの開始の模様は見ることができなかったわけだ。昨年は、「牛込パレードへ」の冒頭の写真に見られるように、メンバーらがスタンバイしている様子も撮る余裕があった。
← あくまでにこやかに、そして、コースという海を泳ぐ熱帯魚のように。
その意味で、ちょっと出足が遅れている。それでも、音だけは開始から聞いている。
音。そう、小生のサンバとの出会いの最初の最初は、音だった。バテリアの奏でる打楽器の音、後でその楽器名を知ったサンバの音楽では比較的珍しい弦楽器の(で、買ってしまった!)カバキーニョの音色。
ダダダダダン、ダダダダダンという音、音というより響きを遠くで聞いても、体の芯が呼応して蠢きだすようでもある。
→ 白き宝石。雪の精。
パレードが始まった当初は、曇天ではあったが、十分も経った頃だったろうか。大き目の雨粒が頭を肩を、そしてデジカメを叩き濡らす。
そんな中でもパレードは続く。「ルイ王朝宮廷風の華麗な衣装で踊るペア、「ポルタ・バンデイラ(Porta Bandeira)」と「メストリ・サラ(Mestre Sala)」」には雨は敵以外の何物でもないだろう(このペアについては、「サンバの基礎知識 ポルタ」の項を参照のこと)。
← 若くても慈愛に満ちた眼差しが魅力。
衣装だけでも相当に重いはずなのに、濡れたりすると、着崩れもさることながら、衣装が一層、重くなるだろう事は容易に想像が付く。
ダンサー陣(パシスタ陣)にとっても、その豪奢な羽根飾りやウイッグなど、雨が難物なのは同じである。化粧だって落ちる。
路面が濡れて、サンバ特有のノペなどのステップが踏みづらくなる。
バテリア(打楽器隊)陣にとっても雨は厄介至極。楽器が濡れていいことなど何もない。
→ 暑いパレードコースに清涼なる輝き。
まだ降り出しだとはいえ、メンバーたちが頑張っているのだ。
小生、妙なところで義理堅いというか、せっかく買ったばかりの、それもジャンプ式のビニール傘だが、閉じたまま開くことはなかった。体も頭もウエストポーチも濡れるに任せていた。
ただ、デジカメだけは、雨滴を手や衣服で拭いながら、あるいは手の平を傘にしつつ、リベルダージのメンバーの雄姿を撮り続けた。
その姿は、カメラ小僧(カメラ小父さん)そのものだろう。追っかけ? パパラッチ? いいんだ、どう呼ばれたって。実際、メンバーの姿を撮ろうと懸命なのは事実だし。
← あくまで愛くるしい笑顔が嬉しい。
小生、何事も素人である。得意なものは何もない。撮影についても、デジカメについても、勉強はしたことがない。デジカメは買った当初の設定のまま(それで今回も失敗した。小生、画素数を6Mバイトで撮っていた。まあ、画像が鮮明だったり、細かな部分も撮れるのは嬉しいが、撮れる枚数が80枚余りとなってしまう。2Mか3Mに設定しておけば、それで実用には十分なのだし、なんといっても撮れる枚数が200枚ほどになる! 80枚となると少なすぎて、撮影して撮れるスペースがなくなって、撮っては削除を繰り返し、100枚以上はその場で消してしまう仕儀に。実に勿体無い! どんな幻の名場面があったかしれないのに…)。
→ どんな宝石も生きる人の輝きには敵わない。
撮影の際のポリシーも考え方も特にない。
ただ、公式のカメラマンではない小生、あくまでパレードコースの中ではなく、歩道から、沿道から、つまりはギャラリーの一人として撮る、というのがポリシーといえばポリシーかもしれない。
公式の撮影は、ビデオにしても写真にしても、特定の誰かがやっていることなので、専門の技術を持っておられる方に任せておけばいい。
小生は、ギャラリーとして、多くの人が居並ぶ背後から手を伸ばし足を伸ばして、やっとの思いで撮るのが信条なのだ。
← その微笑をオイラにも!
つまり、一般の観客からはどう見えているかがテーマと言えば、テーマなのである。
他の人の頭越し、今回は傘越しにメンバーの雄姿を撮ったものも数知れない。多くは没にしてしまったが。
実のところ、撮影の際、小生が一番、狙っているものは何か。
躍動感ある動き。それもある。
が、ビデオならぬデジカメでは難しい。まして小生の撮影技術では。
狙いは、ズパリ、「笑顔」である。そう、「笑顔」が撮影のテーマなのだ。
あるいは心の底から生きることをエンジョイしているという実感。
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