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2006/03/19

闇夜の国から二人で舟を出す

 小池 真理子氏著の『闇夜の国から二人で舟を出す』(新潮社)を過日、読了した。小池氏の久々のエッセイ集だとか。言うまでもなく同氏は生粋の小説家である。その意味で、必ずしも彼女の小説のファンでもない、読んだというと、『欲望』(映画化され昨年末に公開されているはず)だけで、肝心の直木賞受賞作である『』さえ読んでいないままにエッセイを読むのは、書き手の評価というより印象を誤らせる懸念もある。
(本書『闇夜の国から二人で舟を出す』の中で、この『恋』という作品が生まれた経緯が興味深く書かれている!)
 その上で、しかし、率直な読後感、否、読んでいる最中の感覚からしても、好印象を残してくれた。この人ならいい小説を書いてくれると思うし、それとは別個に女性の生き方を主張を持って示してくれている一冊の本として読んでも、つまり小池氏の世界への水先案内本として読んでも、一向、差し支えないとも思った。
 小生が初めて彼女の本を読んだのは、女流作家(書き手)を纏めて読み漁っていた頃に、その中の一冊として上記した『欲望』だった。残念ながらあまり印象が残っていない。

 当時(主に失業時代だった十年余り以前)読んだのは、白洲正子、林真理子、長野まゆみ、樋口一葉、坂東真砂子、柳美里、唯川恵、吉本ばなな、桐生典子、(宮部みゆき)、群ようこ、乃南アサといった面々だった。その中に小池 真理子氏もいたわけである。
(この中に樋口一葉がいる。恥ずかしながら、学生時代には手が出せず、あるいた出したが読みきれず、94年の一ヶ月ほどの入院の際に一葉集を読んだのだった。)
 女性の書き手を読み漁ったというと、やはり若い頃、主に大学時代で、円地文子、幸田文、倉橋由美子、山口洋子、落合恵子、津島佑子、田辺聖子、富岡多恵子、曽野綾子、桐島洋子といった方々の本を折々に読んだ。学生の頃が小生の第一期女流作家耽溺(大仰?!)時代で、93年から95年が第二期女流作家渉猟(?)時代と言えるかもしれない。
 要するに一人の作家に分け入るより、広く浅く早く焦り気味に手を出していたのだった。どの作家のどの本がという印象より、めくるめく女の(文)体の群れに目が点々だったわけである。

 図書館で居並ぶ本の中から本書『闇夜の国から二人で舟を出す』に手を出したのは、実は邪念(?)があってのことだった。
 先月末からメルヴィルの『白鯨』を読み始めているので、恐らくは(あるいは間違いなく!)むさくるしい男の世界に息の詰まる思いをする恐れがあるので、その傍ら息抜きに女性の書き手の本を読みたい、気分転換に、あるいは寝床で睡眠導入剤代わりに読むには小説は億劫だから、エッセイがいいと物色していたところ、小生が学生時代、ファンになっていた、めったにLPレコードなど買わない小生が購入した数少ないレコードの一枚「氷の世界」を買わしめた、その井上揚水の名曲の一つの題名が本の背にあったのだ。
(但し、曲の題名は「闇夜の国から」であって、「闇夜の国から二人で舟を出す」は冒頭の歌詞である。)
 まさか題名を勝手に盗る筈もないし、でも、一応は確かめる必要があると、とりあえずは手に取るしかない。

(参考に「作詞・作曲:井上陽水 唄:井上陽水」というこの曲「闇夜の国から」の歌詞を一番だけ、掲げておく:

闇夜の国から二人で舟を出すんだ 海図も磁石も コンパスもない旅へと 舟はどこへゆく うしろで舵とるお前は あくびの顔で 夜の深さと 夜明けの近さを知らせる 歌おうよ 声あわせ 舟こぐ音にもあわせ 闇夜の国から二人 二人で舟を出してゆく
 歌詞の全体はネットで探せば見つかる。)

 すると、パラパラ捲ってみると、彼女は高校時代を親の仕事の関係で仙台で過ごしていたというではないか。過ごすというには、学生運動に関わったのだから、小生のような穏便且つ事なかれ主義の人間には過激だし、青春を生きていたというべきだろうが、とにかく仙台に数年居たのである。
 小生も学生時代を仙台で過ごしていた(小生の場合は、断固、過ごしていたという表現が相応しい!)。
 小池真理子氏が青春時代を生きたのは、52年生まれなので、70年の春までということになる。
 小生が仙台の地へのこのこやってきたのは、72年の春四月。完全なすれ違いに終わっている。当時の学生運動(学園紛争というべきか)に女性の身でありながら、積極的に関わったという。「著者は「自分にはいいことなんか、何ひとつ起りっこない。その代わり、悪いことは全部、自分に起る」と信じている悲観的な人間」だった(と自分で自覚していた、思い込んでいた)というのに。
 小生が学生になった頃も、学生運動は行われていた。しかし、浅間山荘事件、総括、リンチ、といった生臭い事件、そしてその加熱した報道の結果、学生になった多くの人は厭戦気分に見舞われていた、学生運動に対し斜に構えるようになっていた、むしろ醒めた目で遠巻きに眺めやるといった風だった。また、60年代末期頃から(正確な年限がわからない)始まった偏差値教育は学習意欲を萎えさせていた(学習意欲というより、ただ成績だけが肝心であり、社会へ目を向ける意欲が奪われていった、内申書重視という名目もあって、<余計な>ことに関心を持つことが憚られるようになった。若者が内向していった時代であり、大学のキャンパスが都心から郊外へ引き離されつつあった時代でもあった)。
 学生運動の余韻は残っていた。が、それは余韻であり余燼であり、どう見ても大学のキャンパスには本気で戦いに身を投じている人はいなかった。上からの指示に素直に従うような組織の中で唯々諾々とするような連中が巾を効かせていた。本気で社会の矛盾と戦おうというような、そんな奴らはキャンパス外へ食み出していった(小生の友人も!)。
 
 その意味で僅か数年の差だが、学生運動や学園運動への情熱は、まるで違うものだったように思う。まして小生の田舎は真宗王国で保守王国で、卒業式などの際の起立しての君が代斉唱と国旗掲揚は当たり前の風習として行われていた、そんな風土だった。小生は、そんな中、典型的な平穏無事派(そんな派があるかどうか知らないが)だったのだ。
 大学生になって間もない頃、キャンパスに行ったら、ある広い会場(体育館だったかも)で学生集会が開かれていて授業が行われなかった。その集会では数百人の学生がいて、演説かアジが始まるのを待っていた(あるいは終わった直後だったかも)。あるリーダーシップのありそうな学生がある女子学生に何事か滔滔と語っていた。集会を取り巻く端っこにいるような(つまり小生のようなその他大勢はともかく)多くの学生が座っていた中、その二人だけが立って熱心に語り合っている。女性はそんな学生に選ばれ語られること、そして衆目の視線を浴びていることに快感を覚えていることは、遠目にも小生には歴然としていた。

 あるいは小池 真理子氏というのは、そんなヒロインのような女性だったのかもしれない。仮に同じ教室に、あるいは同じ学校に小生がいたなら、彼女を、そしてそんな彼女と付き合える学生を眩しく見つめていたのかもしれない。
「無伴奏」なんて喫茶店がエッセイの中に登場する。懐かしい! 彼女、『無伴奏』なんて小説も書いている。

 闇夜の国から二人で舟を出す…。
 現在は、作家の藤田宜永氏と事実婚の生活を軽井沢で過ごされている。

 闇夜の国へ出て行くだけなら簡単だ。事なかれ主義を標榜する小生だって、その気がなくても自業自得とばかりに訳の分からない世界で手探りしている。そんな自覚くらいは小生にもあって、大学の卒論に『闇の世界へ』という短編を書いて、見事に撥ねられた。なんたって、西洋哲学科なんだもの、受理されるはずもなかったんだけど、意地で書いて意地で提出したのだった。

 けれど、彼女は自分の意思で、そして二人で、舟を出すのだ。闇夜の世界へと。

 小生はというと、小学校も中学校も高校も、そして大学も卒業式の日は一人で校門を出た(大学は校門を通らなかったし、卒業式も出ていないけれど、大学のキャンパスにはもう来ないだろうという最後の日は一人だった。友人たちは既に卒業しているか退学していたし)。一緒に歩く人は男であれ女であれただの一人も居なかった。
 自分は傍らに誰か居て欲しいという願いはある。けれど、閉じた心を自覚する自分はきっとずっと一人なのだろうと物心付いた時に思っていたし、実際、望むと望まざるとに関わらず、そうであり続けた。
 そんな意味でも、本書『闇夜の国から二人で舟を出す』を読みながら、小池 真理子氏というのはヒーローでありヒロインのように映ってならないのである。
 
 但し、これだけではあまりに書き足りないことがある。小説家。表現者。そのような人間として生きること。そこには覚悟が要る。若い頃なら無鉄砲さや情熱だろうし(実際、小池 真理子氏は若い頃に出したエッセイで出版界のヒロインに祭り上げられた)、ある程度、年齢と経験を重ねると自覚しつつの確信犯的な営為として持続する上での重い覚悟が要る。
 彼女が住んでいるところは軽井沢で、季節はずれともなると熊が出てくるとか。熊が出てきても平気な覚悟も要るってのは、冗談として(でも、熊が出て驚くことは実際にあるとか。その辺りのエピソードも、笑っていいのかどうか分からないが、結構、読んで楽しい!)。
 でも、小説を書き続けるとは、闇夜で熊に遭遇する以上の一寸先も見えない凄みと凄まじさに立ち会い続け向き合い続けることなのだろうとは思う。

 彼女は、「女性ならではの、「毒」「残酷さ」を書く人」だと評価する人もいる。
年齢という呪縛から解放されて、精神性を身につけた女性こそが美しいという小池真理子さん」だとか。
 
 さて、次に小池真理子氏の本を読むとして、『恋』かそれとも新作の『青山娼館』(角川書店)か。
 大人の恋を描いていくという彼女。日本には大人の恋を描く小説は少ない。どちらかが子どもで片方が大人というのなら数知れずあるけれど。その意味で、彼女の本領が発揮されるのは、年齢という呪縛からますます解放されていくこれからなのかもしれない。

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コメント

随分たくさんの女流作品を征服しましたネ^^。
なつかしい名前が並んでます。
私も他に向田邦子、津村節子、澤地久枝、永井路子、杉本苑子とか読んでました。
でも、ここ数年、芥川賞を受賞した女流作品は私には理解できません(立ち読みですが)。

やいっちさんは一気読みする方ですか?
私は2、3冊を同時に、少しづつ読み進むタイプです。
飽きっぽいからなのか、結末を早く知るのがもったいないからなのか、自分でもわかりませんが(^_^;)

以前は「芸術新潮」や、別冊太陽、とんぼの本やコロナブックス、ちょっと目線を変えた特集をやってたりする「サライ」など買ったりしてました。
でも、ほんの数ページの特集記事のために(時には表紙や、たった1枚の写真に魅かれただけで)買ったりしてると、
スペース的にも経済的にも厳しくなります。
本は重いし場所をとるし、本に興味のない家族には‘ゴミ’同然、
ウチで事業仕分けをしたら真っ先に「ムダッ!」とヤリ玉に上がるのは本でしょう。

手元に置いておきたい(買いたい)という欲求を必死に押さえ、
何とか十中八九は立ち読みで気持ちを静めることができるようになってきました。

↓は先日発売されたコロナブックス「作家の本」ですが、
昔なら、赤塚不二夫の愛猫・菊千代の名でボトルがキープされてる写真を見た途端レジに直行!だったでしょう。
http://heibonshatoday.blogspot.com/search/label/%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9

先日、グーグルが世界最大の仮想図書館を作る、との記事が新聞に載っていました。
初年度450万点の蔵書や資料を電子化、無料で閲覧でき、
日本の本も含まれているとあって「こ、これはっ!」と期待しましたが、
2日後、小さな記事で「日本やドイツ、フランスがガタガタ言うので
とりあえず著作権の考えがユルい英語圏の理解を得て英語の本でスタートする」となっていました。
全くのぬか喜びでした。
そこまで話を進めてから最初の発表をして欲しかったです。
胴上げされて落とされた感じ(p_-)。

投稿: ひらりんこ | 2009/11/29 12:57

ひらりんこさん

旧稿にコメントしてくれて、とても嬉しいです。
埃をかぶっていた草稿が日の目が見る、という感があるし、自分でも久しぶりに読み返すことが出来る。
時間を置いて読むと、数年前の記事でも、懐かしさすら感じます!


女性作家の本を読むのは好きです。
まあ、女性と(も)お喋りするのが楽しいってことの延長なのかもしれない(現実には今はあまり機会がない…)。

新しい作家を少しでも追いかけたいのですが、なかなか手が出ない。
感覚が合わないかも、という心配もありますが、読みたいジャンルが広すぎて、文学にまで手が回らないような。


小生も、少なくとも二冊は同時平行で読んでます。
といっても、慌しい日常なので(体力や気力の不足もあって)、一気読みなんて夢の夢。
一週間に一冊、読めたらいいほうです。


グーグルの世界最大の仮想図書館構想から日本などが外れたのは、とても残念です。
ネットの時代だという認識が足りない。

本は装丁も含めて作品ですから、買いたい人は買って読む。
一方、とにかく読みたいと思っても、買える本も書店に置いておける本も限られる。
だからこその、仮想図書館構想への期待です。

書店に足を運んで本を確かめる…、この行為を極限まで拡大すれば、仮想図書館になると思います。
書店で立ち読みする、このことを禁ずる書店がまず、ないように、近い将来は、仮想図書館が当たり前になるのではないかと思っています。
いい本は、相当数の図書館や愛書家が買うでしょうし、印税(著作権料)の工夫をすれば、日本の書籍を含めた仮想図書館は、是非、実現してほしいです。

投稿: やいっち | 2009/11/29 21:27

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