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2006/02/26

黒星瑩一著『宇宙論がわかる』

 小生にとっての最初の宇宙論熱は、中学生の頃だった。尤も、その前に手作りの天体望遠鏡のキットを買ってもらったことがあって、それは子供向けだったのか、小生にも容易く完成させることができた。
 できあがった天体望遠鏡の倍率はどの程度だったろうか。数倍か十数倍か。それでも、その玩具の、しかし、何か威力を発揮することに期待に胸を膨らませ、自分だけではなく、家族の者達も一緒に、暮れなずむ頃、家の庭に出て空を仰いだ。
 空には満月がポッカリ浮かんでいたことだけは覚えている。
 もしかしたら、そろそろ月に宇宙船が向っている頃だった…。いや、そうではなく、悲劇のヒーローJ・F・ケネディ大統領(当時)が有人の宇宙飛行船を月に着陸させるという計画を発表した頃だったように思う。
 今からは想像が出来ないほどに、故・ケネディ大統領は我々子供にとってのみならず、多くの日本人には何か眩しいような輝きのある偉大な人に映っていた。
 さて、その天体望遠鏡を覗いてみたら…。凄かった。僅かな倍率に過ぎなかったのに、月の表面のアバタなどがくっきり見えた。夜空の月が、デッカク見える。その喜びようは、家族にも伝わったようだった。
 さて、現実にアポロ計画が進み、実際に月に人類が、つまり、ニール・アームストロング船長らが降り立った69年頃には、その偉業よりも、天文学などに興味が移っていた。
アポロ計画

 天文学というのは大袈裟で、宇宙の神秘とか、海底の不思議といった類いの本を読み漁るようになっていたのである。タイムライフ社の「惑星の話」「太陽と宇宙の話」偕成社の「宇宙のふしぎ」(日下文男)あかね書房の「原子力の世界」「宇宙は生きている1」「わたしたちの宇宙2」教養文庫の「恐竜の時代」「おもしろい物理学」(ペレリマン)光文社の「物理学入門」(猪木正文)といった本などがある。
 この天文学ブームは、その後も熱の高い低いはあっても、ずっと続いていった。が、中学の頃のような熱中ぶりは、なくなったように思う。
 それは、高校生になり、自分に数学や物理学の能力が欠けていることを嫌でも感じるようになり、あくまで教養や啓蒙の次元で、自分が決して携われない世界に、己の知識欲への昂ぶりを鎮めるが如く、多くの文学書や哲学書などを読む息抜きとして読むに止まるようになったのである。

 そうした宇宙論熱は、中学の頃のようには夢中になれなくとも、すっかり褪めてしまうということだけはなかった。サラリーマンになるまでは。大学を出てフリーター生活を三年ほど続けただけで、自分の文筆も含めた能力に見切りをつけ、サラリーマン生活を選んだ。
 その時、文学も捨てたし、哲学はとっくに視野からは外れていた。というか、自分の能を越える世界として、目を背けたい気分だった。文学も我が事としてではなく、気分転換の一つとしてたまに書店で目に付いたものを読む程度になっていた。

 それより、サラリーマンになって再開したオートバイでのツーリング熱が昂じていて、オートバイの本や雑誌、また、会社での付き合い出始めたゴルフ熱が浸透して、ゴルフ関係の本を読み、日曜日には必ずといっていいほどに、打ちっ放しに出かけたりして、その二つの趣味を時間的に遣り繰りできず、とうとう、ゴルフバッグからクラブを数本、抜き出し、それを股に挟んだりして、オートバイに乗って多摩川の土手など、郊外の打ちっ放しにミニツーリングし、打ちっ放しに汗を流し、帰りはまたオートバイに乗ってミニクルージングを楽しむという週末の過ごし方をしていた。
 読む本の大半が、オートバイかゴルフの雑誌か本で、そうした分野の本を含めて、年間に読む本の数が70冊にまで落ち込んでしまった。
 それでも、自分の中では宇宙論への関心が死にきってはいなかったのだろう。80年代の終わり頃から、展覧会巡り熱と自宅では宇宙論熱がぶり返したのである。
 芸術関係では、85年に大岡信氏著の『抽象絵画への招待』(岩波新書)で抽象表現主義や生の芸術へ目が啓かれた

 宇宙論では、88年に出た佐藤文隆著の『宇宙論への招待…プリンキピアとビッグバン』(岩波新書)が端緒となった。
 ゴルフ熱は冷め切ってはいなかったが、それより、宇宙論関係の本を携え、オートバイで短時間で行ける緑の多い公園などへ向い、そのベンチや芝などで、そうした本を広げるのだった。
 読書ツーリングを気取っていたわけである。自宅で読むより、せめて日中だけでも明るい場所、広々した場所で日向ぼっこなどをしながら、読書を楽しんだのである。
 80年代後半(プラザ合意)から90年代初頭にかけては、まさにバブル景気が過熱している頃で、芸術への関心も、宇宙論への関心も、今から思えば、ありきたりのものでは目が肥え舌が肥えた人(というより、本格的な作品、見る目のある人でなければその良さの分からない作品では、俗人の感性の埒外にあるのだ!)の関心を満たし切れなくなっていた当時の出版社やマスコミや、企業の戦略に乗せられていたに過ぎなかったのかもしれないと思ったりする。

 少なくとも、その一面があることは否定できないものと思う。スチーブン・ホーキング熱も真っ盛りだった。
 さて、読書ツーリングに持っていく本というと、何故か地人選書の本が多かった。何冊か列挙してみると:

 H.R.パージェル著『量子の世界』(黒星瑩一訳)
 H.R.パージェル著『物質の究極』(黒星瑩一訳)
 P.C.W.デイヴィス著『宇宙の量子論』(木口勝義訳)
 J.ボズロー著『ホーキングの宇宙』(鈴木圭子訳)
 リチャード・モリス著『時間の矢』(荒井 喬訳)
 P.C.W.デイヴィス編J.R.ブラウン編『量子と混沌』(出口 修至訳)
 P.C.W.デイヴィス著『宇宙を創る四つの力』(木口 勝義訳)
 J.グリビン著『シュレーディンガーの猫(上・)』(山崎 和夫訳)
 H.R.パージェル著『時の始まりへの旅 対称性の物理』(黒星瑩一訳)

[ 迂闊にも、今日、ブログにアップするためリンクなどの確認(現在も有効かどうか)をしていて、ハインツ・R.パ-ジェル著の『星から銀河へ(地人選書 ) ハ-シェルの庭』が黒星瑩一氏訳で地人書館から出ていたことに気が付いた! 不覚! 1993/07出版というから、小生がどん底の時代だったこともあるが、93年にはパ-ジェル氏は登山の最中の事故で既に亡くなられていたはずで、油断していたこともある…のか。(06/02/26アップ時追記)]

 90年代の前半に関しては、(宇宙論に限ると)書き手は、故H.R.パージェルやP.C.W.デイヴィスに目が向いていたようだった。会社では窓際族だったので、宇宙論へ逃げ込んでいたのだったろうか。
 訳者として、黒星瑩一氏が目立つ。実は、最近、同氏の『宇宙論がわかる』(講談社現代新書1991)をひょんなことから入手したので、懐かしさのあまり、読んでみたのである。

 宇宙論に限らないが、科学の本は、出版されて数年経つとデータも含めて色褪せてしまう。
 そういえば、中学生の頃、天文学の本に読み浸っていたら、父に「もっと新しい本を読まないとダメだ」と言われたのが今も印象的である。その一言で、天文学熱・宇宙論熱も一気に冷めてしまった。なんだか、ケチをつけられたような気分になったらしい。
 そもそも科学の啓蒙書は、特に現代の動向を紹介する場合、出版された時点で既に古びている。雑誌の最新の記事には、新しさの点で敵わない。その意味では、今では、インターネットから入手しえる情報には新鮮さの点で、書籍は最初から相手にならない。
 新しさより、もっと他の目的に貢献することを考えるしかない。
 そうした常識はともかく、『宇宙論がわかる』は懐かしかった。
 小生が苦しい時代に読み耽り、その世界へ想像力を傾注していた、まさにその時代の宇宙論を紹介してくれているのだし、なんといっても、著者が黒星瑩一氏なのである。
 但し、当時は、同氏について、訳者以上の関心を抱いていたかどうか、怪しい。ただ、時代との絡みで同氏の名を見ると、なんとなく胸がキュンとしてしまうのである。

 さて、肝腎の本書のことを紹介していない。カバーから謳い文句を拾い上げておくと、「宇宙はどのように始まり、この先どうなるのか。相対論の描く時空、素粒子論の語る宇宙創成、量子力学の説く「真空のゆらぎ」、ホーキングのいう「始めも終わりもない」とは? 宇宙論をやさしくじっくり解説」とある。
 本書の冒頭には、宇宙(夜空)について、誰もが簡単に抱きえる、しかし、悲しいことに小生は指摘されるまでは気付くことのなかった疑問が提示されている。
 その疑問とは、「夜はなぜ暗いのか」である。少なくとも小生は、夜は何故暗いのかという疑問を抱いたことはなかった。当たり前すぎて、疑問の対象にはなりえなかった。昼は明るく、夜は暗いのである。
 日中がもし、暗いのなら、それは黒雲に蔽われたかして、日差しが遮られたからなのであり、夜は、太陽が沈んだのだから、月や星明り(街灯などは考慮の外に置くとして)以外に、夜の世界を明るくしえる要素など、あるはずもなく、夜は暗くて当たり前だったのである。
 当たり前以前に、そもそも暗いことに疑問など浮かびようがなかった。
 思えば、当たり前に思っていて疑問の対象にならない、けれど、本来は不思議なのであって、じっくり考察や観察・研究の対象になっていい現象は数知れずあるのだろう。が、そうした疑問を抱くこと自体に当人のセンスが現れてしまうのであろう。
 かのアインシュタインは、子供の頃、「自分が光と追いかけっこして、もし光と同じ速さで走ったとしたら、光がどのように見えるだろうかと自問してみたことがある」とか。ここからして、常人とは違う。
 その結果、「光の波の先端が自分の真横にあって波が静止して見える状況はとてもかんがえられない、という結論に達したのだそう」だ。
 天体望遠鏡で遠くの温泉地の女風呂が覗けないものかと妄想の念を膨らませた小生とは、ちょっと違う。

 さて、話を戻すと、そもそも、「夜が暗い」ことに小生も含め、大概の人は疑問を抱かなかったし、抱いていないのではなかろうか。そもそも、そんなことが疑問の対象になりえると考えること自体、どこかに発想の上での飛躍が要る。
 この疑問を抱いた人は、しかし、古来より居たわけだし、この<謎>のことを、「オルバースのパラドックス」とも称されてきた。このパラドックスが、決してパラドックスなどではないことが解明されたのは、決してそんなに遠い時代のことではないのである。
 念のため、下記サイトにより、「オルバースのパラドックス」とは一体、何かを示しておこう:

「星の光は距離の2乗に反比例して弱くなっていくが、地球からある距離だけ離れた星の数は、距離の2乗に比例して増えるだろう。宇宙が無限ならば、あらゆる距離の星の光がどんどん足し算されてしまうので、宇宙は夜でも明るくなってしまう。
 これは矛盾であるから、星の数は有限である筈だ」:
オルバースのパラドックス--空が暗いのには理由が必要??

 そう、星の数は遠くを見詰めるほど数知れないほどに増え、宇宙は夜でも明るくなるはずなのに、夜は暗い! この謎が解けない疑問だったのだ。
 その答えは、下記サイトの言葉を使わせもらうなら、「実際には宇宙が膨張しているため後退速度(宇宙の全質量が、収縮しようとする引力または重力)光速度を超えてしまう領域からの光は永遠に地球には届かないらしいので昼のように明るくなることはないのだそう」だが、さて、この辺りになると分かったようで分からない

 余談だが、宇宙論で一番、小生を興奮させたことの一つは、「真空のゆらぎ」という概念だった。
 この概念について、物理学にも真っ暗な小生の鈍感な感性に響くような指摘をしてくれたのは、上掲したH.R.パージェル(『物質の究極』(黒星瑩一訳))だった。
 本書『宇宙論がわかる』にも引用されていて、その説明を読んだ当時の興奮が蘇ったりした:

 

 空間に何もないように見えるのは、激しい量子の創成や破壊が十分に短い時間と距離についての現象だからにほかならない……だから長い距離について見ると真空は平穏でかつ滑らかなものと映るわけである……ちょうど高空を飛ぶジェット機から見ると海面がまったく滑らかに見えるのと同じ理屈である……しかし、小さいボートに乗って海面すれすれの位置から眺めると、荒波が激しく上下運動を繰り返す姿かもしれないのだ。

 宇宙は真空のゆらぎそのものなのかもしれない…。
 真空というと、小生にしても、かのデカルトを連想する。ある意味、小生がデカルトの諸著を読んで、一番興奮させられたのは、真空についての考察だったと言える。
 デカルトの真空についての考えは、ネットでも見る事ができる:
ルネ・デカルトと近代_思想の世界

 この中にもあるように、「彼は宇宙のすべてのものは「物質」によって構成されていると考えました。物質は、大きさ、広さ、長さなどの属性を持ち、様々な「物体」を形成して宇宙に存在しているというのです。宇宙は空白や真空ではなく、物体はすべての空間に満ち、限りなく細かな粒子へと分割できるものと考えました」
 この発想をもっと動的なもの、ダイナミックな形で捉えれば、真空のゆらぎという発想に後一歩のように思えたりする。実際、デカルトは動的に捉えていた。
 真空は存在せず、すべての空間に物体が満ちている。どの空間においても真空が生じようとするなら、その空間の裂け目を埋めるかのように物質が創生される。
 デカルトは、さらに徹底して考察する。
 ここから先は、宇宙論者も、道徳の領域として触れたくない領域なのかもしれないが、「デカルトは神もまた「物質」であると考えたのです。形相やイデアなどはどこにも存在しません」そして、「宇宙のすべてはそれぞれの法則に従って変化し、粒子はその法則に従って結びつくと言」うのである。
 この哲学を知った高校二年の頃の衝撃は、小生には一生残るものとなったが、そのことは、また別の機会に触れるかもしれない。


(原題:「宇宙論ブームの頃」 本稿は04/09/29付けメルマガにて公表済み。)

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