黒星瑩一著『宇宙論がわかる』
小生にとっての最初の宇宙論熱は、中学生の頃だった。尤も、その前に手作りの天体望遠鏡のキットを買ってもらったことがあって、それは子供向けだったのか、小生にも容易く完成させることができた。
できあがった天体望遠鏡の倍率はどの程度だったろうか。数倍か十数倍か。それでも、その玩具の、しかし、何か威力を発揮することに期待に胸を膨らませ、自分だけではなく、家族の者達も一緒に、暮れなずむ頃、家の庭に出て空を仰いだ。
空には満月がポッカリ浮かんでいたことだけは覚えている。
もしかしたら、そろそろ月に宇宙船が向っている頃だった…。いや、そうではなく、悲劇のヒーローJ・F・ケネディ大統領(当時)が有人の宇宙飛行船を月に着陸させるという計画を発表した頃だったように思う。
今からは想像が出来ないほどに、故・ケネディ大統領は我々子供にとってのみならず、多くの日本人には何か眩しいような輝きのある偉大な人に映っていた。
さて、その天体望遠鏡を覗いてみたら…。凄かった。僅かな倍率に過ぎなかったのに、月の表面のアバタなどがくっきり見えた。夜空の月が、デッカク見える。その喜びようは、家族にも伝わったようだった。
さて、現実にアポロ計画が進み、実際に月に人類が、つまり、ニール・アームストロング船長らが降り立った69年頃には、その偉業よりも、天文学などに興味が移っていた。
「アポロ計画」
天文学というのは大袈裟で、宇宙の神秘とか、海底の不思議といった類いの本を読み漁るようになっていたのである。タイムライフ社の「惑星の話」「太陽と宇宙の話」偕成社の「宇宙のふしぎ」(日下文男)あかね書房の「原子力の世界」「宇宙は生きている1」「わたしたちの宇宙2」教養文庫の「恐竜の時代」「おもしろい物理学」(ペレリマン)光文社の「物理学入門」(猪木正文)といった本などがある。
この天文学ブームは、その後も熱の高い低いはあっても、ずっと続いていった。が、中学の頃のような熱中ぶりは、なくなったように思う。
それは、高校生になり、自分に数学や物理学の能力が欠けていることを嫌でも感じるようになり、あくまで教養や啓蒙の次元で、自分が決して携われない世界に、己の知識欲への昂ぶりを鎮めるが如く、多くの文学書や哲学書などを読む息抜きとして読むに止まるようになったのである。
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