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2006/01/31

菅原教夫著『現代アートとは何か』

 菅原教夫著『現代アートとは何か』(丸善ライブラリー)を読んだ。
 この手の本としては、服部正著の『アウトサイダー・アート』(光文社新書刊)を読んで以来だろうか。
(「アウトサイダー・アートのその先に(付:続編)」参照のこと。)

 但し、『アウトサイダー・アート』のほうは、比較的新しい本だが、『現代…』のほうは、95年の刊行である(執筆は93年か)。たまたま貰ったので読めたのだ。ネット検索しても在庫切れになっているから、入手は難しいのかもしれない。
 以下、本書からは離れて行く懸念があるので、最初に、本書の謳い文句を掲げておきたい:

「現代アートとはどういうものか。本書はこの問題にさまざまな角度からアプローチを試みる。最近の有力な制作のスタイルとなっているインスタレーションの分析、戦後を代表するアメリカの批評家グリーンバーグの評論を軸に据えた絵画論、海外における最新の研究成果をもとに描き出したアートと現代思想とのスリリングな関係。ジャーナリストとしての取材体験を文献資料で裏付けた内容は、クリアな語り口のうちに、現代美術に対する一段と深い理解をもたらす。」

 95年というと、小生が現在の職に就いた年度である。小生が、美術館巡りに週末は明け暮れたのは94年までなので、ある意味、本書は、小生が展覧会へ頻りに足を運んでいた頃の美術状況を反映しているのかもしれない。ポストモダンとか、懐かしい術語も散見される。今から10年前の当時の日本では比較的目新しかったインスタレーションアートへの言及も欠けていない。
 ロマン主義から神秘主義的なもの、表現主義、抽象表現主義、生の芸術(アール・ブリュット)と鑑賞して楽しめる絵画芸術の巾を広めてきた小生だが、彫刻や、ましてインスタレーション(大掛かりな舞台や装置を使っての芸術表現)には、なかなか馴染めなかった。
 たまに真新しい建物の広場などに、これ見よがしというのか、奇妙な構築物が広場の脈絡に関係なく、散見されることがある。最新の芸術にも理解がありますよ、というアピールのためなのか、それとも、建築家の好みなのか、いずれにしても、小生、眺めて感服した作品は、今まで一つもない。

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2006/01/20

曽野綾子著『傷ついた葦』

 曽野綾子氏という存在はずっと気になってきた(文中敬称略)。
 といっても、作家としての曽野綾子にではない。
 小生が彼女の名前、そして存在を初めて意識したのは高校時代のことだった。名前だけは芥川賞作家だし、知っていたとは思うが、強烈に意識したという意味では、高校二年の秋だったの頃が最初だった。
 というのは、その頃、小生は好きな人がいて、その彼女が持つ関心事は何事にも関心を抱くわけで、文学の分野でいうと、身の程知らずにもゲーテの詩集を初めて読んだのも彼女の影響なら、『若きウエルテルの悩み』を幾度となく読んだのも、その流れだったのである。
 ゲーテの詩集ということではないが、『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』などを失恋してしばらくの頃に読み、作中のミニヨンに思い入れをしたりした。
 但し、この小説では、ミニヨンがヴィルヘルムに思いを寄せるのであって、全く、現実の小生とは構図が逆なのだが、それがまた傷ついた心には、傷口に敢えて塩を擦り込むような被虐的な、その意味で訳もなく甘美な読書体験となったものだった。
『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』の中で知ったのか今となっては定かではないのだが、「憧れを知る者のみが、わが悲しみを知る」という言葉にどこまで癒され、あるいは嗜虐的に悲しみを深めたことだろう。
 後年、ドイツ語を中途半端に学んだりしたが、この詩句の原文を探し出した記憶がある:

 Nur wer die Sehnsucht kennt, Weiß, was ich leide !

 別に断る必要もないかもしれないが、小生は、かなり無理してゲーテの世界に親和しようと健気にも努めていたという、やや苦いというか、今となっては微笑ましい記憶がある。どうも、教養小説というか、様々な経験・人生遍歴を経て人間が成長するという教訓っぽさに辟易していたのだろうと思う。
 少なくとも、自分についていえば、経験が少しも自分に生きていない。失敗は重ねたりもしたが、それを生かして人間として成長したという自覚がまるでないし、そのように心掛けようという気も、なかったとまでは思いたくないが、稀薄だったような気がする。
 人間は、それなりに成長するという面を頭ごなしに否定する気もないが、木の生長のように、幹の中に年輪が多少のデコボコがあっても重ねられていく…というより、途切れ途切れの、というかブチ切れの、飛び飛びの、斑模様の、我ながら掴み所のない人間性があるような、ないような、なのである。
 これでは、あまりに人間として心もとない。情ない限りである。それでも、高校生の頃は、少しは素直にSehnsucht(憧れ)を知る人間であり、だからこそ、leiden(悩む)したりもしているのだと思っていたのだ(思いたかったのだ…)。

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2006/01/16

W.ブランケンブルク著『自明性の喪失』

 二十年ぶりだろうか、W.ブランケンブルク著『自明性の喪失』(木村 敏・岡本 進・島 弘嗣 訳、みすず書房)を読んでいる。小生の手元にあるのは、1980年の第3刷のものだ。記憶では学生時代に読んだものとばかり思い込んでいたが、我がフリーター時代に読んだ本ということになる。

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→ ウォルフガング・ブランケンブルク 著『自明性の喪失』(木村敏/ 岡本進/島弘嗣共訳、みすず書房) 小生にとってR・D・レイン著の『引き裂かれた自己』(阪本健二/志貴春彦/笠原嘉共訳、みすず書房)と並び、精神医学の分野では我が青春の書である。

[ 今、思えば、「人間には、もともと自明性と非自明性とのあいだの弁証法的な運動がそなわっている。疑問をもつということは、われわれの現存在を統合しているひとつの契機である。ただしそれは適度の分量の場合にかぎられる。分裂病者ではこの疑問が過度なものになり、現存在の基盤を掘り崩し、遂には現存在を解体してしまいそうな事態となって、分裂病者はこの疑問のために根底から危機にさらされることになる。分裂病者を危機にさらすもの、それは反面、われわれの実存の本質に属しているものである。だからこそ分裂病はとりわけ人間的な病気であるように思われるのである」という本書の内容は、ある意味、あやうい境地にあった当時の小生に最適の本だったということなりそうだ。また、だからこそ、当時、魂を震撼させられたのかもしれない。 (06/01/16 up時追記)]

 精神医学や心理学関連では、フロイトやユング、フーコー、ポンティらは別格として、その人のその一冊というような著作があるもので、R・D・レインの『引き裂かれた自己』(みすず書房)と並び、ブランケンブルク著の『自明性の喪失』は、今もって読んだ時の印象が鮮明である。
 レインの『引き裂かれた自己』については、既に簡単に触れているので、ここでは素通りする。

 さて、「自明性の喪失」をキーワードにして、ネット検索してみると、その三番目に、「欠陥・・・医歯薬情報単語集」という項が現れた。
 あまりに短い項なので、一部だけ引用するつもりが、ほぼ全文になってしまうが、恐らくは専門的な理解ということで、紹介しておく:

 

 精神機能の何らかの意味での欠損状態のこと。主として、統合失調症の経過と予後に関連しての統合失調症性欠損を意味する。欠損は統合失調症の慢性期において、異常体験は少ないが意欲・自発性の低下と精神生活のまとまりのなさを主徴とする状態で、変化した自己の世界内ではそれなりに安定した状態を保っている。幻覚、妄想、作為体験はほとんど見られず、ある程度の社会生活は可能である。ブロイラーE.Bleulerは観念連合の弛緩をいい、ミンコフスキーE.Minkowskiは現実との生ける接触の喪失と表現した。ブランケンブルクW.Brankenburgは自明性の喪失と表現

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2006/01/11

五木寛之著『風の王国』

 前回(「二上山のこと山窩のこと」参照)、小生は、「奈良の二上山は、(にじょうざん)と読むが、高岡の二上山は(ふたがみやま)と呼ぶ」と書いた。
 このことに間違いはないのだが、五木寛之の『風の王国』(新潮文庫)を読み進んでいって知ったことは、奈良の二上山(にじょうざん)も、昔は、<フタカミヤマ>と呼んでいたということ。
 やはり、この読み方のほうが、雰囲気が出る。
 高岡の二上山は、「ふたつの神という意味もある」「古代から神の山と崇められて来た」山である。

 奈良の二上山(フタカミヤマ)は、どういう謂れがあるのだろう。「標高515メートルの雄岳(北側)と474メートルの雌岳(南側)の二峰」があり、悲劇の皇子である大津皇子の墓があるからなのだろうか。
「サヌカイト」、「凝灰岩」、「金剛砂」の3つの石がある特別な山という受け止め方が古来よりあったのだろう。眺望も、前稿に記したように、「山頂付近からは、日本史の数々の舞台となった大和平野が一望でき、雄岳から雌岳へ向かう途中からは河内平野と大阪湾、雌岳の向こうには葛城、金剛 の山並みを望むことができる」ということで、この地に遣って来た渡来の人々の出自の風景を強く連想させるものだったのだろう。
 ついでながら、二上山のあれこれや万葉集の中の大津皇子らの歌などを親しみやすく紹介しているサイトがあった:
 http://www4.kcn.ne.jp/~t_kankou/kanko/nijyo/main.html(削除されたのか、今はこの頁が見当たらない。06/01/11注記)

 このサイトの中の、「折口信夫 (おりぐちしのぶ)」の項を読んでいて、折口信夫(釈迢空)の小説『死者の書』が、(恐らくは)「大津皇子をモデルに描かれ」ていることを思い出させてくれた。やはり、彼の本は読まないと、古代のことも理解が深まらない。

 さて、五木寛之の『風の王国』を読み進めて、小生の不明がまた露見してしまった。小生は、「近代において、山々を遊行する人びとを時に山窩などと賎称した。明治以降、政府は、戸籍に載らない、こういった流浪の民を徹底的に弾圧したり、戸籍に組み入れて行ったりした(国の民を一人残らず把握し、税を徴収し、兵力として活用する必要などがあったのであろう)」と記し、その上で、「最終的に完遂したのは、十五年戦争当時だったとも聞いたことがある」と書いた。

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2006/01/01

志村けん著『変なおじさん』

 志村けん著『変なおじさん』(日経BP出版センター)を読んだ。「初の自伝的エッセイ」と銘打ってある(以下、敬称略)。
 帯には、「ドリフ、全員集合、だいじょうぶだぁ、変なおじさん、バカ殿、アイーン お笑いバカ人生48年の胸の内をすべて語った」と謳われている。
 裏表紙には、「そうです、私が変なおじさんです」 と、表題の「変なおじさん」が採られたギャグ(?)も、丁寧にも示されている。さらに、帯には、その変なおじさんがポーズ(?)を決めた瞬間の、目を真ん中に寄せ両手は内に絞りながら後ろに突っ張らせる、例の顔や仕草の写真が掲げられている。

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→ 志村けん/著『変なおじさん【完全版】』(新潮文庫 新潮社

 ところで、ギャグに(?)を付したのには、訳がある。それは、志村けんのコントは、基本的に事前に徹底して練られた案を土台にして演じられているのであり、行き当たりばったりに思いつきでギャグが振り出されているわけではないからである。
 つまり、おふざけしているように見えるが、あくまで芝居なのである。計算されたドタバタなのだ。
 実際には、舞台などの上で、志村けんと共演する相手との遣り取りで、台本を元に練習したものを、それなりの即興などで、さまざまなヴァリエーションが奏でられるようだけれど。
 志村けんに限らず、ドリフターズのコントは、徹底した検討と練習と、そしてなにより凝りに凝った小道具の数々に特徴がある。無論、舞台上での体当たりの演技は言うまでもない。

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