フロイト/イエンゼン共著『妄想と夢』
ひょんなことから、過日より、幽霊談義に小さな花を咲かせていた。幽霊に纏わる話だと、特に日本の幽霊の場合、足がない幽霊像が焦点になりがちである。
不肖、小生もその点に触れてきた。
そんな中、小生が気になっている本があった。それは、S・フロイトとW・イエンゼン共著の『妄想と夢』(安田一郎ほか訳、誠信書房)である(角川文庫にもあるし、「種村季弘訳 作品社」もあるらしい)。
本書は、小生が学生時代に買って、鮮烈な印象が刻まれた本(フロイトの分析に感銘を受けたのか、それとも、イエンゼンの小説に静かな感動を覚えたのかは、今となっては記憶は、やや、朧である)。
表題の『妄想と夢』は、正確には、「W・イェンゼン『グラディヴァ』における妄想と夢」である。要は、W・イェンゼンの書いた小説『グラディヴァ』に惹かれたフロイトが、彼なりの精神分析手法で読み解いた本なのである。本書には、ちゃんと、小説『グラディヴァ』が初めに掲載されているのがいい。
W・イエンゼンという作家が書いた『グラディヴァ』という小説をフロイトが分析している。
この小説のポイントは、ある実在するレリーフのグラディヴァという女性像の足である。主人公は、考古学の巣窟から日差しの当る外に出て、「左手で、軽やかに服をつまみあげながら」歩く女性のイメージを追い求める。町中でも、女性の足元にばかり目が向く。歩く際の、足の格好が気になる。そしてついに、イメージにあう足を持つ女性に巡り合う。その出逢った女性は、彼には全く予想外の女性だった…。
そして、小説は、あるいは、小説をとことん腑分けせずには居られないフロイトの分析の魔手の行き先は…。
結論は、フロイトに馴染んだものには、あまりに予想通りでもある。
歩く女の浅浮き彫りに惚れ込んだ主人公は、「この女はポンペイで死んだ実在の女性だと確信し、ポンペイに旅し、そこで幼なじみの女性と出会う。フロイトは小説の細部をことごとく明快に分析し、主人公の「妄想」がじつは幼なじみに対する抑圧された欲望から生まれたものであることを「証明」する」:
「フロイト~意味生成の批評へ」
結論は、予想されたものになりがちだが、面白いのはその解明のプロセスだ。
しかし、それ以上に、は、佳品である。読んでガッカリはしない。イエンゼンの小説を読むために、本書を手にしても、味わい深い余韻に浸れるだろう。
それでも、恐らくイエンゼンの小説は、フロイトに採り上げられなければ、文学史の部屋の、誰も覗かないような倉庫の中の埃を被ったダンボール箱か何かに収められて、あるいは忘れ去られたであろう小説群の一つは違いないと小生も思う。
それが、フロイトの触手というか分析癖のお目がねに適ったばかりに、深い闇の淵から浮かび上がってきた小説。多分、小生のように、フロイトを読む過程でイエンゼンの小説を読む機会に恵まれる人は、今後も少なからずいるのだろう。
けれど、そんな<僥倖>に恵まれる佳品は、一体、どれほどあることだろう。
フロイトのダ・ヴィンチやミケランジェロ作品分析は鋭いし、読んでいてスリルに富んでいる。下手な推理小説やサスペンスものをよむくらいなら、フロイトのこれらの文学・芸術系統の論文を読むほうがいい。
確かに、一部には、フロイトの「精神分析批評というのは男根やオイディプス・コンプレックス」に傾斜しすぎだ、という批判はある。
が、そんなことは、『レオナルド・ダ・ヴィンチの幼年期の記憶』や、『トーテムとタブー』『三つの小箱のテーマ』、あるいは、『ミケランジェロのモーゼ』などをちゃんと読んでからにして欲しい。
さらには、『幻想の未来』を、『ドストエフスキーと父親殺し』を、最後には『モーゼと一神教―論文三篇』を読んでから自ら判断してほしい。
その上で、一つの古典として、その人なりにフロイト(の精神分析手法やコンプレックス)を相対化すればいいのである。
その意味でも、上掲のサイトの、「かつて流行したようなものを思い浮かべて「精神分析批評なんか」と思っている人は相当に時代遅れなのである」という見解に賛成である。
学生時代に読んで面白かったので、再読したくて数年前に田舎から持ってきたのだが、やっと読む機会が巡ってきた。これというのも、幽霊談義に足を踏み入れた御蔭である。
しかし、怨霊の泥沼に腰まで深入りしないうちに、退散、退散。
(04/07/17付けメルマガにて公表)
[ 本稿においては、「この小説のポイントは、ある実在するレリーフのグラディヴァという女性像の足である」と書いている。生真面目に生きてきて、現実に生きている女性に真正面から向き合えない若い男が、いかにもレリーフという形で女性の足に惹かれる。実は、彼が本当に関心を抱いていたのは、ある実在の女性だったのだ…。
というわけでもないが、小生には、身体への拘りをやや(あるいはかなり)荒唐無稽な風に<分析>してみた人類考がある。人類がどのようにしてサルから分化したのかを小生独自の視点で徹底考察してみたのである:
「『ヒトはいかにして人となったか』(蛇足篇/及び補足)」 (05/12/11 アップ時追記) ]
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