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2005/11/06

ユルスナール著『黒の過程』

 小生如きが錬金術について語れるはずもない。
 ただ、本書ユルスナールの『黒の過程』が、錬金術に憑かれた時代を背景にしていた以上は、最低限のことは触れておきたい。
 錬金術という言葉くらいは小生も知っている。
 多少なりとも関心を抱き始めたのは、若い頃の小生のヒーローだったニュートンに関わっている。近代科学の祖といってもいいニュートンだが、終生、ヘルメス主義や錬金術に関心を持ち、むしろ、彼の生涯を通じてのテーマは、こうした今の我々からすれば古色旧態たる魔術めいた世界の探求だったと言える。
 そもそも、ニュートンの研究成果である万有引力の法則は、不可思議極まる法則だ。
その公式を見ると、時間という要素が入っていない。ということは、天体同士の間に作用する力は、計算上、瞬時に伝わることになってしまう。そんなことは、ニュートン自身だって、信じていない。彼は、そうした法則を発見しつつも、その背後には、見えざる何かがあるに違いないと思っていたわけである。
(彼の「我は仮説を作らず」という有名な言葉は、ここに関係してくる。)
 そうした隠れた要素への関心は、ニュートンにおいても、物理法則に止まらなかった。かの経済学者のケインズがニュートンを評して、「最後の魔術師」と呼んだのも、むべなるかな、である。
 こうした関心からニュートンを理解するには、島尾永康著の『ニュートン』(岩波新書)が格好の書かもしれない。島尾永康氏には、さらに、まさにニュートンの錬金術へのこだわりに焦点を合わせた『物質理論の探究』(岩波新書)があるようだが、こちらは小生は読んでいない。
 とにかく、そもそもニュートンの時代には、我々がイメージしているような<科学>も<科学者>も存在していなかったのだ。

 さて、錬金術というと、ユングつながりでパラケルススにも学生時代に関心を持つに至っていた。種村季弘の『パラケルススの世界』(青土社刊)を読んだり、C.G.ユング著の浩瀚な『心理学と錬金術』(池田紘一・鎌田道生訳、人文書院)を読んだりして、関心は深まるばかりだった。
 むしろ、こうした関心が土台にあって、ユルスナールの『黒の過程』を手にとったとも言える。
 さて、「黒の過程」とは、何か。作者ユルスナール自身による簡単な説明がある:

 

……《黒の過程》という表現は、錬金術に関する論考のなかで物質が分離し溶解する段階、化金石を実現するのにもっとも困難とされる段階を意味する言葉である。この表現が、物質それ自体にたいする大胆な実験をさしていたのか、それともよりひろく象徴的な意味をこめて、しきたりと偏見から脱け出るさいの精神の試練をさしていたのかはいまなお論議の的となっている。おそらくは次々に、あるいは同時にその両者を意味したものであろう。

 こうなると、ユルスナールの『黒の過程』は錬金術そのものがテーマなのかとさえ、思えるほどである。
 我々には魔術的で非近代的な暗いイメージでしか受け止められない錬金術だが、そもそもは、当時においては、先端的とまでは言わないまでも、それまでのスコラ哲学的世界との戦いを意味していたとは言えるのではなかろうか。
 パラケルススについては、ネットでも膨大な情報が得られる。ここでは簡便な紹介を参考までに示しておく。

 その中では、「隠秘学に於けるパラケルススの功績は、それまで黄金生成を主眼としていた錬金術に生命科学としての意義を持たせたことにあり、また、「大宇宙小宇宙相互対応論」を占星術経由で医学に結び付けた点にある。」が重要だろう。
 占星術を医学に結びつける。なんて古臭いと思っては、困る。下記のサイトでも見られるように、「中世ヨーロッパでは、5世紀の「キリスト教徒の病の原因はすべて悪魔のせいである」という聖アウグスティヌスの考え方が、まだ残っていました。神への信仰心の高い人ならば、魔術による治療を受けてはいけないことになります。そして、当時は医術も魔術の一種と考えられていたから」という点を理解すべきなのである。つまり中世ヨーロッパの人びとの常識からしたら、先端科学知識を積極的に導入したと受け取れるわけだ。

 そのことは、まさにマルティン・ルターやカルヴァンらの宗教改革に対抗する反宗教改革という体制側にしてみれば(あるいは宗教改革側にあっても)、魔術も錬金術も医学も、とにかく目新しいものの大半が疑惑の対象であり、もっと言って異端の嫌疑を懸けるに十分な材料だったわけだ。
 ところで、日本においてはどうか知らないが、欧米では、「キミア」 なる概念が科学史(化学史)において注目を浴びているとか。この「キミア」 とは、錬金術と化学をあえて区別しない概念なのである。
 そうした観点からは、下記の本が詳しいようだ(小生は読んでいない):
 アレン・G. ディーバス著『近代錬金術の歴史』(川崎勝・大谷卓史訳、平凡社)

 本書のテーマは、「科学革命期における、他のいかなる科学分野より広範で深い影響を与えてきた「キミア」 (錬金術と化学をあえて区別しない) という一個の「知」の伝統を、ケミカル・フィロソフィーという鍵を用いて、文化的な歴史コンテクストに沿ってより正確に把握・記述することにある」という。
 さらに、「ケミカル・フィロソフィーとは、単なる実験室での錬金作業や長寿薬の探求に大半を費やした中世ラテン錬金術やいわゆる「イアトロ・ケミストリー」(医化学) とは、その根幹は共有しようとも、それらとは明確に一線
を画する、「化学」と言う鍵でもって、物質のみならず、自然、人間、世界とその創造の秘密を理解しようとした特別な理念をそなえた知的運動であり、その多くをルネサンス期の医師パラケルススの思想に負うというものである」というのである。
 最後に、本書『黒の過程』の主人公ゼノンの、あるいは作者ユルスナールの世界観を語るユルスナールの言葉が訳者によって、解説の中で引用されている:

 

トーマス・マンはここで(『魔の山』をさす)、ルネサンス時代の偉大な神秘思想家・ユマニストのそれと似通った見解を、有機化学の術語を用いて述べているにすぎない。つまり人間は宇宙(コスモス)と同じ物質から成り、宇宙と同じ法則に支配される小宇宙(ミクロコスモス)であり、物質それ自体と同じく、部分的なあるいは全体的な一連の変質作用を受け、一種の豊かな毛細管現象によってすべてに結びつけられているのである。《コスモス》を基盤とするこのユマニスムは、魂と肉体、感覚の世界と知の世界、物質と神といった種類のプラトン的ないしキリスト教的二律背反とは無縁なものである。

 

トーマス・マンにあっては、非常に秘めやかな形で、しかし一挙に、現時的なものが歴史的なもののなかに入り込む。変貌と推移を分析するこの作家にとって、諸世紀の連続のなかで現在は特権的な位置を占めるものではない。われわれが現に生きている時代もふくめて、あらゆる時代が同様に時間の表面を浮き漂っているのだ。

 さあ、そんな世界に暫しであっても魂を捧げ旅してみないか。


[参考]:
 錬金術など、さらに詳細な研究や文献については、下記のサイトを参照のこと。せめて、このサイトの「つれづれ読書日記」を覗くのもいいだろう: 
錬金術とその関連分野の歴史研究のためのサイト

[原題:『黒の過程』と錬金術と(04/04/29)]

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