小川 洋子著『博士の愛した数式』
小川 洋子著の『博士の愛した数式』(新潮社)を読了した。期待に違わぬ本だった。刊行された一昨年から読む機会を求めていたが、意に相違して今頃になって読むことに。
小川洋子さんについては、以前から注目していた。朝日新聞などにエッセイが載ると、他の書き手の文よりも丁寧に読む。というか、つい、文章の世界に引き込まれていく。
筆力が抜群と感じさせられた。
本書の紹介は今更、もう意味を持たないだろう。読書家なら評価を知っているか、既に読んでいるに違いないし。小生などが屋上屋を架するまでもない。
念のため出版社側のレビューを示しておく(「Amazon.co.jp: 本 博士の愛した数式」より):
記憶が80分しか持続しない天才数学者は、通いの家政婦の「私」と阪神タイガースファンの10歳の息子に、世界が驚きと喜びに満ちていることをたった1つの数式で示した…。頻出する高度な数学的事実の引用が、情緒あふれる物語のトーンを静かに引き締め整える。著者最高傑作の呼び声高い1冊。
この本しか読んだことのない小生には、著者最高傑作かどうか分からない。でも、傑作だとは言える。
(ふと、ダニエル・キイス著の『アルジャーノンに花束を』(小尾 芙佐 訳、早川書房、文庫版)を連想したが…。)
本書の紹介という事なら、同じく「Amazon.co.jp: 本 博士の愛した数式」サイトに載っている、中島正敏氏によるものが好感を持てた。
さすがに全文の転記は拙いだろうが、「80分間に限定された記憶、ページのあちこちに織りこまれた数式、そして江夏豊と野球カード。物語を構成するのは、ともすれば、その奇抜さばかりに目を奪われがちな要素が多い。しかし、著者の巧みな筆力は、そこから、他者へのいたわりや愛情の尊さ、すばらしさを見事に歌いあげる。博士と
ルートが抱き合うラストシーンにあふれるのは、人間の存在そのものにそそがれる、まばゆいばかりの祝福の光だ。3人のかけがえのない交わりは、一方で、あまりにもはかない。それだけに、博士の胸で揺れる野球カードのきらめきが、いつまでも、いつまでも心をとらえて離さない」など、小生には、これ以上の紹介はできない。
短いので、是非、上掲のサイトを覗いてみて欲しい。
ところで、「事故で記憶力を失った老数学者と、彼の世話をすることとなった母子とのふれあいを描いた本書は、そのひとつの到達点ともいえる作品である。現実との接点があいまいで、幻想的な登場人物を配す作風はそのままであるが、これまで著者の作品に潜んでいた漠然とした恐怖や不安の影は、本書には、いっさい見当たらない。あるのは、ただまっすぐなまでの、人生に対する悦びである」とある中の、「これまで著者の作品に潜んでいた漠然とした恐怖や不安の影は、本書には、いっさい見当たらない」という部分が気になる。
本書が初めての本の小生には、なんとも判断の付きかねるところだが、「漠然とした恐怖や不安の影」の念が薄らぐことがないままに、敢えて、「ただまっすぐなまでの、人生に対する悦び」を描いているのだとしたら、素晴らしいと思う。
本書についての感想ということで、恐らくは一般読者による感想文が幾つか載っているサイトがあった。感想なら、もう、これで十分だろう。
ネット検索していたら、「「博士の愛した数式」寺尾&深津で映画化」というサイトに遭遇。
「主演は寺尾聰(57)と深津絵里(31)で、「阿弥陀堂だより」「雨あがる」の小泉堯史監督がメガホンをとる」のだとか。
「数学者には寺尾、家政婦役に深津、その子供の成人した役には吉岡秀隆(34)、数学者の姉役には浅丘ルリ子(64)が決まっている」というが、「小川さんは「主人公は宇野重吉さん(寺尾の父)みたいな方を想像しながら書いていましたが、今では寺尾さんの姿を思い浮かべています」」というコメントが面白い。
「来年4月にクランクインし、06年1月公開される」とか。久しぶりに映画館に足を運ぼうかな。
ところで、小生の間違いなのか、何かの手違いなのか、本書『博士の愛した数式』を予約したはずが、先に来たのは、藤原 正彦/小川 洋子著の『世にも美しい数学入門』(ちくまプリマー新書 (011))だった。カウンターでこの本を渡されたとき、一瞬、たじろいだといか、あれ?という感じがあったが、しかし、小生は、小川 洋子の本も読みたいが、その前に、ずっと前から藤原 正彦のエッセイのファン。最初に読んだのは、『若き数学者のアメリカ』 (新潮文庫)だった(その前は矢野健太郎や岡潔(おかきよし)などのファン)。
うん、この二人の対談本なら、車中で読むのも楽しそう!
実際、数学に縁の薄い人、嫌いな人でも、『博士の愛した数式』同様、楽しめるだろう。
藤原 正彦が一番、強調しているのは、美の観念。数式の美しさ。あるいは数式で示される透徹した統合感・調和感のようなもの。
音楽も詩も文学も、否、それら以上に物理学や数学という学問に携わる人は<美>を頻りに強調する。この法則や数式がこれほど美に満ちている以上は、間違いであるはずがないという感覚。
こうした感覚は常人たる小生には永遠に感得することはありえないのだろうと思うと、一抹の寂しさ…どころか、彼ら数学者に嫉妬さえ小生は覚える。
実際、ガキの頃、小生が大人になったらなりたかったのは、一番目は漫画家だったが、自分のセンスのなさに愕然落胆して、次に強烈な憧れを抱いたのは、数学者だった。数学の世界。幾何学の世界の奥深さを中学の時は、乏しい能力を顧みずに憧れ続けていたのだ。
我が身のドン臭さにも関わらず、絶世の美女に恋い焦がれるような気分、だったのだろうか。
数学の世界には、ガロア、ガウスなど、とんでもない天才がいるが、本書『世にも美しい数学入門』の中にも登場するラマヌジャンなどは、その筆頭に挙げてもいい存在だろう。
ラマヌジャンのことは、藤原正彦著『心は孤独な数学者』(新潮社)においても紹介してあるというが、小生は、カルヴィン・C.クロースン著『数学の不思議 数の意味と美しさ』(好田順治訳、青土社)の中で知った(再認識した)。
今年になって新装版が出たというから、『数学の不思議』も定評があるということか。いつだったか、拙いながら紹介した甲斐があった(?!)。
なんたって、数学者の藤原正彦氏が嫉妬するほどの、とてつもない怪物的天才なのだ。寝て起きると、数式が浮かんでいたから、自分はただメモしただけだというんだから。
それらの膨大な数の数式の数々を世界中の数学者が寄って集って懸命になって証明を試みる。是非、ラマヌジャンのことには、もう少し注目してもらいたいものだ。その人生も併せて。
[ 原題:「小川 洋子著『博士の愛した数式』と美と」
本稿は、メールマガジンにて本年8月28日に配信した書評エッセイです。 (05/11/16 アップ時注記)]
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