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2005/10/19

『メルロ=ポンティ・コレクション』(続)

 引き続き、モーリス・メルロ=ポンティ(Maurice Merleau‐Ponty)著『メルロ=ポンティ・コレクション』(中山 元訳、ちくま学芸文庫)を扱う。
 ま、気軽に書いていくつもり。といっても、今回は(も?)、ほとんど引用になるけれど。

 ポンティのプルーストへの関心は深いようで、「プルーストほど、言葉のこの悪循環、言葉という奇蹟をうまく表現した人はいない」という。
 この「言葉のこの悪循環、言葉という奇蹟」というのは、以下のようなことである。
 少々長くなるが、小生自身の勉強のためにも、ポンティの言葉を敢えて引用したい。垂涎の言葉を共に味わって欲しい:

作家がその仕事においてかかわるのも、この精神である。プルーストは、書くという行為はある意味では話すという行為や、生きることの対極にあるものだと指摘していた。話すことは、わたしたちを他者に向って開くとともに、わたしたち自身に向っては閉ざすからである。しかし作家の話す言葉は、その言葉のうちに、自らを理解できる「話し相手」を作り出し、その話し相手に対して、私秘的な宇宙を自明のものであるかのように押しつけるからである。しかし作家の言葉は、言語の原初的な営みを再開しようとすることであり、世界の共通で統計的な側面だけでなく、世界が個人に影響し、その経験に入り込んでくる仕方までも自己のものとし、流布させようとする決意をそなえている。だから作家の言葉は、すでに獲得され、通用している意味だけで満足することはできない。画家や音楽家はオブジェ、色彩、音を使って、世界のさまざまな要素の間の関係を――たとえば海の風景の隠喩的な照応の関係を――生の統一性のうちにあわらにする。同じように作家は、すべての人々が使う言語を利用して、風景、住居、場所、挙措、人物の間で、またわたしたちとの間で結ぶ前論理的な関係を描き出すのである。文学の理念は、音楽や絵画の理念と同じように、「知性の理念」ではない。光景から完全に離れてしまうことはなく、人柄のように抗いがたく、定義しえないものとして、透けて見えるのである。プルーストのプラトニズムと呼ばれているものは、知覚された世界や生きられた世界の全体を表現しようとする試みである。そして同じ理由から、作家の仕事は「思考」であるよりは、言語の仕事であるという性質をそなえている。作家は、その内的な仕組みにより、一つの経験の風景を再構成する記号のシステムを作り出そうとする。この風景の力の線と起伏が、深みのある構文を誘い出し、構成と語りの様式を作り出し、これがふだん使われている言語と世界を破壊し、作り直す。この新しい言葉はそれまでの長年の怠惰な生活のうちに、本人の知らぬ間に作家のうちに形成されている。この怠惰な生においては作家は、自分には理念も文学的な「主題」もないことを残念に思っていたのであるが、ある日、自分のうちに少しずつ形成されていたこの「語り方」の重みに耐えかねたかのように、作家は自分がどのようにして作家となったかを語ろうとし始め、作品の誕生を物語ることで、一つの作品を作り上げるのである。このように文学の言語は、ある人が生きるために与えられた世界について語るものだが、同時にこれを文学の言語に変形させ、自らを固有の目的として与えるのである。プルーストが、語ることや書くことが、一つの生き方になりうることを強調したのは、もっともなことである。    (p.66-8)
 

 さらにポンティは、「話すことあるいは書くことは、一つの経験を翻訳することであるのはたしかだが、これが呼び覚ます言語なしには、この経験は作品(テクスト)にはなりえないのである」とした上で、プルーストの言葉を引用している:

この未知の記号――わたしの注意が、海の深さを測る潜水夫のように、わたしの無意識を探索しながら模索し、ぶつかり、輪郭を定めるこの起伏のある記号――で書かれた内的な書物、これを解読する際にも、だれも、どのような規則をもってしても、わたしを手助けしてくれることはない。この書物を読むということは、一つの創造の行為であり、だれもわたしたちの代理をつとめたり、協力したりすることはできないのである。    (『見いだされた時』より)(p.68)

 わたしたち…。その一人に自分が名を連ねるとか、せめて協力者の一人になりたいと思わないだろうか。うずうずする何かの感じを覚えないだろうか。プルーストに続くポンティのテキストを読んだというのは、小生には貴重すぎる体験となった。
                          (04/03/28)

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