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2005/09/11

伊藤整著『変容』…ハイスイコウ

 小生は今年、誕生日を迎えれば五十歳となる。人生五十年と言われた一昔前なら、小生の寿命は終焉の時を迎えていておかしくはない年齢である。
 が、今時、そんなことを言うと笑われる。政治の世界では四十、五十は洟垂れ小僧だという。だったら、そう、文学の世界では小生など実はガキ扱いされても不思議ではない年齢なのかもしれない。但し、今でこその話だが。
 伊藤整というと、誰もが思い浮かべるのは、『氾濫』だろう。評論に関心のある方なら、『日本文壇史』かもしれない。
 小生は、恥ずかしながら、『氾濫』を読んだかどうかも記憶があやふやなのである。書店で本書を見たとき、伊藤整をもしかしたら読んだことがないかもという忸怩たる思いがした。
 同時に、「老年期に入ろうとする主人公たちが展開する心理や行動は、性の快楽が青年の特権ではないこと、さらには、それらの行為を通して人生の真実により深く到達するのは、若者や壮年よりも老年であることを啓示する。」という本書のカバーの謳い文句に呆気なく釣られてしまったのだった。
 小生は、本書を帰省の列車で読むことに決めた。
 実際、帰省の往復の列車中で伊藤整著の『変容』(岩波文庫刊)を読んだのだが、少々、読みきれなかったのを先ほど、寝起きのベッドで読み終えたのである。
 余談だが、起きたのは悪戯電話でだった。

 タクシーでの徹夜仕事で朝方に帰宅し、寝入ったのが9時頃、電話があったのは11時半頃だったろうか。熟睡しているところを叩き起こされた不快感もあり、電話を取る気が起きないので、ベルの鳴るがままにしておいた。
 留守電の設定がされているので、必要ならそこに吹き込んでくれるだろうし。
 その電話(録音テープ)に、女が低い声で、「ハイスイコウ、ハイスイコウ、台所のハイスイコウ」と繰り返す。そしてやがて静かに受話器を置く音が録音された。
 半分、寝惚けていたので、ハイスイコウがハイセイコウと聞こえたりした。小生、干支が午なので、競馬はしないが馬の名前や話題には敏感。だから最初はハッキリとは聞き取れず、栄光の名馬の名前とダブって聞こえたのだろう。
 もしかしたら悪戯電話をしてきた女も小生と同じ懸念というか心配があったのだろうか、わざわざ「台所の」と冠(かんむり)を付して、小生が誤解しないようにと配慮してくれていたのが印象的だった。
 多分、悪意のある悪戯電話を受けるのは初めてなので、ベッドの中で少々、その余韻を味わおうとしたが、今一つ、乗り切れず、ベッドの脇のテーブルに置いてあった読み止しの伊藤整の『変容』を手にしたのだった。あと数十頁を残すのみ。一気に読了し、起きて椅子に腰を埋めて中村真一郎氏の解説を読んだ。
 中村氏の本作品への解説に、以下のような一文がある。「この小説は、女性が六十歳を過ぎても充分に性的に活発であり、男性は老年になってもなお、年上の女性に魅力を感じるという、一般の社会常識では考えられない恐るべき事実を描き出したのである。」
 今日となっては、熟年以上の男性・女性の性的な面も含めた恋愛が赤裸々に描かれることは珍しくなくなっているし、何を今更だろうが、この作品は、一九六八年、著者が六十四歳の時に刊行された(氏の二十一篇ある長篇の第十七番目の)ものであることを考慮すべきだろう。
 中村真一郎氏は解説の中で、伊藤整がジェイムス・ジョイスやヘンリー・ジェイムスの徒であり、その「内的独白」などの手法が実現されていることも指摘しているが、この点は小生の手に余るので、興味のあるは本書を、そしてジョイスやジェイムスを読んで確かめてみてほしい。
 老人のパワーや性的活発さは、石原慎太郎氏も夙に語っているし書いている

 小生自身が老年へあと一歩という年になって感じるのは、人間の性だけに限らない業の深さである。
 所詮は本人次第だが、本人が涸れない限りは、性や肉体へのこだわりは深まる一方なのである。体力が減衰する分、きめ細かく且つ味わい深く人生を賞味する。老いや病を自覚すると、まして死の訪れの近いことを感じると、梢から散る枯れ葉一枚にも、老い痩せ朽ちる一人の人生をダブらせて、まるで感性の神経が剥き出しにされて生きているかのようなのだ。
 それにしても、高齢化社会の今日、六十歳どころか七十、八十、あるいはそれ以上の高齢の方たちが現役で頑張っていることを思うと、なんとなく壮観でもあり頼もしくもあり、愉しくもある。<現役>の方々の赤裸々な声をもっと聞きたいものだ。

原題:「伊藤整著『変容』老いる…」(04/01/08)

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