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2005/09/03

中井英夫著『虚無への供物(上)』周辺探索

 偶然なのかどうか分からないが、この一文を綴った後、前日から読み始めていた中井英夫著の『虚無への供物(上)』を手に取ったら、すぐに、コクリコという言葉が散見された。
[ コクリコについては、拙稿「コクリコのこと」や「はぐれコキリコ余談」を参照のこと。 (05/09/03 アップ時付記)]
 まあ、それはそれとして、このミステリー小説では、幾つかの鍵となる言葉や地名などが登場する。その中心的なものは、「五色不動」だろう。浅学にして、小生にはこの五色不動は初耳だった。
 早速、ネットでこの件を調べてみる。検索のキーワードはただ一つ「五色不動」である。すると、筆頭に、下記のサイトが登場した:
江戸五色不動散歩

 このサイトの冒頭にある説明によると、「江戸五色不動とは、目白、目赤、目黒、目青、目黄の各不動尊のことで、寛永年間(1624~43)の中頃、徳川三代将軍家光が寛永寺創建で知られる天海大僧正の具申により、江戸府内の名ある不動尊を指定したと伝えられています」という。
 別に、「府内五色不動」とも呼ばれるらしい。
 小説の中でも実在のものとして書かれてはいるが、どこかミステリーの渦に巻き込まれているようで、今一つ、真偽の程を計りかねていたが、どうやら、とにかく、実在していたらしい。

 目黒不動はさすがに小生も知らないわけではない。お参りはしたことがないが、その前や近所は、幾たびも通りかかったことがある。目白不動も、そのままの形では残っていないらしいが、目白という地名としては残っている。
 では、その他の、目青、目赤、目黄不動などは、どうなのか。そもそも、最初からあったのか。そういった詳細は、上掲のサイトに拠るのがいいだろう。
 さて、さらに、この五色不動と『虚無への供物』との関わりについても、既に実地に赴き探究されている方が居る:
五色不動のワンダランド 前編

 このサイトにもあるように、「「五色」の由来は、古代中国の五行説に遡る。木、火、土、金、水の五つの要素から万物が成ると考えるもの」のようである。
 ネットで偶然知ったのだが、今年の2月29日には、「『虚無への供物』刊行四十年!!」ということで、品川のギャラリーオキュルスと書肆啓祐堂にて「永遠の薔薇―中井英夫へ捧げるオマージュ展」が催されたという。
 この中で、本多正一氏により、「洞爺丸転覆事故で当主夫妻を失った宝石商の旧家、氷沼家に五色不動、薔薇、シャンソンに彩られた奇怪な連続密室事件が次
々に起こる……。」と紹介されているように、本書『虚無への供物』には、五色不動のほか、五色の薔薇、アイヌの呪い、洞爺丸事件、シャンソンなどが鍵として織り込まれている。
 尚、中井英夫ファンなら常識なのだろうが、本書のタイトル「虚無への供物」が、ヴァレリーの詩から採られていることも、小生自身のメモとして付記しておきたい:

"虚無" へ捧ぐる供物にと
 美酒すこし 海に流しぬ
 いと少しを
   ――P・ヴァレリイ

 本書中には、堀口大学訳で「失われた美酒」(『月下の一群』所収)全文が示されている。こだわりが分かろうというものだ。


「原題:コクリコのこと中井英夫のこと(04/06/08)」

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「さんま祭り」で盛り上がった目黒界隈ですが、目黒といえばやっぱり「目黒不動尊」です。お不動様で親しまれるその境内は台地の端にあって、仁王門をくぐるとまず目を引くのが、高台から流れ落ちる独鈷の滝です。滝といってもちょろちょろと竜の口から水が流れている程度ですが、開祖の慈覚大師が独鈷を投げるとそこから流れ出した水は1,100年以上たった今でも枯れずに流れています。池には「水かけ不動」が祀られ水を掛けるとご利益があるといわれています。広い境内は緑も豊富でとても落ち着いてますが、毎月28日の縁日ではたくさん... [続きを読む]

受信: 2005/09/17 16:30

» 「目白」という地名は「地名」じゃないか? [Chinchiko Papalog]
 「目白」という地名は、江戸期に目白不動が造られたから、しばらくすると地名もそう呼ばれるようになった・・・と説明されることが多い。でも、わたしはそうではないんじゃないかと思う。ほかにも「白馬説」「家光鷹狩り説」「参詣人の多さ説」「めじろ説」・・・と、いろいろな伝承がある。 慈眼大師(天海)が発案し家光が命名したとされる(確証はない)、江戸にはじまる五色不動だが、いちおう陰陽五行思想の木火土金水にもとづいて、五色の不動尊が配置されたことになっている。だが、陰陽五行を少しでもかじった方ならすぐにも気づ... [続きを読む]

受信: 2005/09/19 00:27

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