『私は、経済学をどう読んできたか』(1)
経済思想史家のロバート・L・ハイルブローナー著『私は、経済学をどう読んできたか』(中村 達也/阿部 司訳、ちくま学芸文庫)をボチボチと読んでいる。
経済学の形成の歴史に預かる著明な人物の思想や発想を、できるだけ本人の言葉を引用する形で、但し著者の鋭いコメントを付しつつ、説明してくれる。
最初に念のため、本書の裏表紙に書いてある紹介を引用しておく:
経済思想の興隆と転換に興味を持つ読者を、偉大な経済学者自身の著作そのものへと案内する名著。『聖書』に始まり、商業革命・古典派経済学・限界効用学派などの変遷を辿って、ケネー、アダム・スミス、カール・マルクス、マーシャルからケインズ、シュンペーターに至るまで、経済思想の系譜を主題に、自らが意図した「壮大な説話」を紡ぎ出した物語学説史といえる。熟達した歴史的洞察と明晰な思索により、経済学に何を期待すべきかについて、ときにユーモアを、ときに辛辣な皮肉を交えた原典への寸評を通して語る。
経済学には特に疎い小生には、何を読んでも啓発されることばかり。とにかくいきなり聖書からの引用が冒頭に来るのは驚いた。
過日は、アダム・スミスの項を読んでみた。恥ずかしながら、小生は彼の『国富論』は読んでいない。大学に入って間もない頃、同級生の某が今、『国富論』を原書で読んでいるなんて言うもので、その彼の気障振りが気に食わなくて、坊主憎けりゃ袈裟まで…で、『国富論』は読まないままに来てしまった。
恐らくは書店で立ち読みくらいはしたはずだが、ついに入手はしなかった。
本書でアダム・スミスの諸著からの引用文などを読んでみて感じるのは、経済学といいながら、実のところ社会分析であり人間観察であり、その上での経済という切り口からの社会への洞察なのだという(少なくとも往時の経済学では当然だったろうと思われる)認識の大切さだった。
ほんの少しだけ、スミスの説を見てみよう。
我々には豊かになりたいという願望がある。が、経済活動が個人の完全に自由な意志に基づくものであったなら、一体、社会はどうなってしまうのか。冨が一部の人々に集中してしまうことになるのではないか…。それでも豊かさへの願望を維持すべきなのか。
この問題を扱っているのは、『道徳感情論』である。
アダム・スミスは、そこに一定の歯止めがあるのだと主張して我々を(それとも自分を?)安心させようとする。その歯止めの一つは、「富裕な人々および権力を持つ人々の、すべての情念についていくという、この人間の性向の上に、諸身分の区別と社会の秩序とが築かれるのである」という認識である。
たとえ、この性向、つまり、「富裕な人びと、有力な人びとに感嘆し、ほとんど崇拝し、そして、貧乏でいやしい状態にある人びとを、軽蔑し、すくなくとも無視するという、この性向」が、「同時にわれわれの道徳諸感情の腐敗の、大きな、そしてもっとも普遍的な原因」であるのだとしても。
つまり、「道徳的な腐敗があったとしても、優れた人々に同一化する傾向は、それがなければありえない安定を社会にもたらす」とアダム・スミスは考えるのである。
また、アダム・スミスは、「人間性に関わるような重大な場合には、われわれは自己利益を考慮せず、もっと高度な判断、すなわち胸中の人、良心、善か悪かの感覚に頼る」という考え方も示している。
他にも、スミスは、「完全自由の社会」のダイナミクスに社会の歯止めとなる安全装置としての役割を期待している。自由な経済活動の過程で、「理性、原理、良心、胸中の住人、内部の人、われわれの行為の偉大な裁判官にして裁決者」がわれわれに「神聖な徳」を実行させるのだ、と説く。神聖な徳を実行したなら、われわれのうちには、「もっと強い愛情、もっと強力な愛着、すなわち名誉であり高貴であるものごとへの愛、われわれ自身の偉大、尊厳、優越への愛」が生じるとスミスは語るのだ。
それでも足りないならと、スミスは、やがて「見えざる手」を『国富論』において持ち出してくるのだが…。
『国富論』の中では、機械化などがもたらす分業や商品の自然価格と市場価格の問題、労働の賃金の問題などが扱われているが、注視すべきは、「見えざる手」を唱えながらも、若年期における教育の重要性を訴えるなど、政府の果たす役割を決して小さくは見ていないことである。
とにかくほんの一部だが、国富論の文章に接して、これなら読んでみたいと思った。
経済学と言いながら、要は人間を社会をどう理解するかに尽きるのだと思わせてくれるのだ。
歴史に残る本は、経済学にあっても、結局は社会や特に人間への洞察に光るものがあるからなのだと、改めて思う。このことが現代の経済学にまで通用するかどうかは自信がないけれど。
(04/03/02)
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