川端康成著『文芸時評』(続)
原題:「川端康成著『文芸時評』あれこれ(続)」(04/03/09)
川端康成著『文芸時評』(講談社文芸文庫)を続けて扱う。前稿同様、雑感を徒然なる侭に書いていく。
本書は、昭和六年から十三年までの時評を載せている。少なくとも当時においては、現役として活躍されていた作家や評論家、あるいは、新人で川端も将来を嘱望したような人材などが扱われているわけだが、その多くは、小生は全く初耳の方だったりする。
何処かで書いたが、芥川賞のような受賞がマスコミを賑わすような賞を受賞したり、あるいは候補になったような作家でも、その大半は現在では無名か、あるいはコツコツと地道な執筆活動を続けているが、一般的には知られていない(場合によっては知られているのだが、小生が無知で知らないだけというケースも大いにありえる)。
後の世に名を残すような仕事を為すというのは、なかなか難しいものだ。それは実力もあるだろうが、回りの人脈など、運も大きく作用しているのだろうと思われる。本来は、もっと知られていい人材が埋もれてしまっていることだって、案外、想像以上にあるのかもしれない。
その意味で、新しい書き手を追うのも結構だけれど、磨けば、つまり、図書館などの書庫の奥に眠っていて、埃をかぶっている本(作家)を発掘するというのも、有意義であり楽しみに満ちた作業なのだろうと思われる。
せっかくなので、本書を読んでいて目に付いた書き手の名前をアトランダムに拾い上げてみる。もしかしたら高名であって、知られているのに、列挙する小生の不勉強ぶりを曝け出すことになるだけかもしれないけど、敢えて、書き並べてみる(但し、扱われている書き手の数があまりに多いので、昭和六年の、その一部に限らせてもらう):
伊福部隆輝、下村千秋、鹿地亘、立野信之、騎西一夫、倉島竹二郎、榊山潤、北村謙次郎、一戸務、衣巻省三、阪本越郎、北園克衛、伊集院斉…、
参考のため、小生も知っている名前を列挙すると:
徳田秋声、正宗白鳥、近松秋江、小林多喜二、谷崎潤一郎、志賀直哉、佐藤春夫、武者小路実篤、長与善郎、芹沢光治良、井伏鱒二、阿部知二、吉行エイスケ、島崎藤村、小宮豊隆…、
ネットで調べるだけでも、上掲の小生には未知の書き手(詩人や歌人もいるようだが)のその後の消息も多少は分かるかもしれない。
さて、こんな由無し事を書き連ねても、どうだろうと思われそうなので、読んでいて作家の魂ということで心に響いた一文を引用する。
横光利一の「母」という作品が雑誌に掲載された際、諸家の批評を作品と対比させつつ、いろいろ考えてみるというくだりがある。
「作品は先ずたいてい、或いは決して、批評家に理解されるためしがないということと、しかしいかなる批評もどこかしらあたっている、つまり、まるきりまちがった批評などあり得ないことと、この二つは私の気持を時折去来する」として、あれこれ批評について書いた上で、川端は下記のように言い放つ:
作品の価値を過大に持ち上げられるとか、過少におとしめられるとかは、作家の恐れるところではない。制作の気持をどれくらい知られるかが、作家の恐れることである。
ところで、川端は、石坂洋次郎の「若い人」という作品が雑誌に載った当初から、彼の才能や作品を褒めている。
石坂洋次郎というのは、小生にも懐かしい作家だ。
小生が小学生から中学生の頃だったか、テレビの夜の八時台のドラマの原作は、石坂洋次郎、という印象が小生の中では強い。当時は、彼の作品が映画化もよくされていたと記憶する。
テレビか、あるいは見たかどうかは別として映画になったなと覚えている作品を列挙すると、「若い人」や「青い山脈」「陽のあたる坂道 」「何処へ」「花と果実」「石中先生行状記」「あいつと私」と並ぶ。
小生は、ガキの頃より、漫画っ子、我が家にテレビが来てからはテレビっ子で、本は漫画の本しか読んだ記憶がないのだが、それでも、磨りガラスの書棚にびっしりと収められた父の蔵書の背を眺めることくらいはしたことがある。
そして、或る日、恐らく中学生になったかどうかという頃のこと、「青い山脈」だったかどうかは、はっきりしないのだが、その箱入りの本をこっそり覗き見したりした。
というのも、テレビか何かでラブシーンがあったりするので、その原作を(読みたいとはまるで思わなかったが)せめてそのラブシーンだけでも、どんなふうに書いてあるのか知りたかったのである。
ただの好奇心というわけだ。もう、どんな叙述だったかまるで覚えていない。キスシーンも、接吻だったか口付けと表記されていたのかさえも定かではない。
とにかく、そのくだりを懸命に探していたこと、そして自分が密かに探しているところを誰かに見られないかと、ドキドキしていたことだけは覚えている。
自分もいつかはあんな青春を送るのだろうか、「青い山脈」の主題歌として歌われた世界が自分にも訪れるのだろうか、舟木一夫の「高校三年生」という歌のような世界が自分にも叶うのだろうか、などと夢想していた。
とうとう、そんな血気盛んな熱い青春像など、まるで縁がないままに我が青春の時は無為に流れていくのを見過ごすばかりとなってしまったのだけれど。
戦後間もなく発表された「青い山脈」という作品は、日本の戦後の再出発を象徴する作品であると同時に、小生自身にとっても、負の形ではあるけれど、第二の人生の旅立ちを促すような作品だった:
今の自分が「青い山脈」を読んだら、どんな感想を持つことか、興味は尽きないのだが。
とにもかくにも、小生にとって、石坂洋次郎は、眩しい、というより、叶うことのなかった青春を象徴する、眩しすぎる作家なのである。
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