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2005/09/26

川端康成著『文芸時評』(続)

原題:「川端康成著『文芸時評』あれこれ(続)」(04/03/09)

 川端康成著『文芸時評』(講談社文芸文庫)を続けて扱う。前稿同様、雑感を徒然なる侭に書いていく。
 本書は、昭和六年から十三年までの時評を載せている。少なくとも当時においては、現役として活躍されていた作家や評論家、あるいは、新人で川端も将来を嘱望したような人材などが扱われているわけだが、その多くは、小生は全く初耳の方だったりする。
 何処かで書いたが、芥川賞のような受賞がマスコミを賑わすような賞を受賞したり、あるいは候補になったような作家でも、その大半は現在では無名か、あるいはコツコツと地道な執筆活動を続けているが、一般的には知られていない(場合によっては知られているのだが、小生が無知で知らないだけというケースも大いにありえる)。
 後の世に名を残すような仕事を為すというのは、なかなか難しいものだ。それは実力もあるだろうが、回りの人脈など、運も大きく作用しているのだろうと思われる。本来は、もっと知られていい人材が埋もれてしまっていることだって、案外、想像以上にあるのかもしれない。
 その意味で、新しい書き手を追うのも結構だけれど、磨けば、つまり、図書館などの書庫の奥に眠っていて、埃をかぶっている本(作家)を発掘するというのも、有意義であり楽しみに満ちた作業なのだろうと思われる。

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『私は、経済学をどう読んできたか』(4)

 アルフレッド・マーシャル(Alfred Marshall. 1842-1924)も、小生には、名前を聞いたことがある以外には、馴染みのない経済学者。まあ、ケインズを育てた、乃至は、ケインズが弟子であることを聞きかじっただけ。
 マーシャルの経済学者としてのモットーは、「冷静な頭脳(cool head)と温かい心情(warm heart)」なのだとか。  彼の生涯など、彼に付いての全般的なことは、下記のサイトを参照のこと:

『私は、経済学をどう読んできたか』の著者、ハイルブローナーによると、「経済思想の発展を学ぶ上でマーシャルが特に興味深いのは、(略)同時に二つの経済分析の手法を唱えている」点にあるという。
 「一つは明らかに限界理論の手法で、彼のなした貢献は極めて大きい。もう一つは、非限界理論、と言うよりは反限界理論とも言うべき、経済学を本質的に社会学的な、いかめしい言葉を使うなら道徳的な学問と見る考えである。」言うなれば、「科学が対象とする世界にはないような問題を抱えることにもなる」わけである。
「この道徳面の強調は『経済学原理』の最初のページに見られる」として、本書には第一章の序論が引用されている。ここでは、さらにそのほんの触りの部分だけを再引用する:

「経済学」は日常生活を営んでいる人間に関する研究である。それは、個人的ならびに社会的な行動のうち、福祉の物質的要求の獲得とその使用にきわめて密接に関連している側面を取り扱うものなのである。

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『私は、経済学をどう読んできたか』(3)

 経済学にも門外漢の小生は、一体、いつから経済学の世界に数式が導入されるようになったのか、数学的科学でなければならないと考えられるようになったのかを知らない。
 多くの学問が哲学から分離し独立していった。
 独立するだけではなく、哲学との違いを際立たせるかのように物理学(や数学)をお手本に科学的たらんことを志向しはじめた。
 科学的とは観察と分析に基づく厳密な理論構成ということだけではなく、端的に数量化という発想の導入を実質的には意味していた。現実を単純化したモデルに還元し、幾つかの要素を分離析出して数値化可能にして、やがては、素人が横から盗み見ると、物理学か何かのテキストであるかのように数式と数値が並ぶようになった。
 心理学も、文学でさえも、一部は軽量化されているし、経済学もその趨勢からは無縁ではなく、むしろ、一部の経済学者には経済学こそ数学的科学たりえる学問なのだと見なされたりしてきた。

 数学化を行った最初の一人が、ウィリアム・スタンレー・ジェヴォンズ(1835-1882)であり、1871年に出版された彼の『経済学の理論』は、「経済思想の新たな転換を告げる一大事件であった」という。

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川端康成著『文芸時評』

原題:「川端康成著『文芸時評』あれこれ」(04/03/07)

 小生は小説家としての川端康成には多少は触れてきた。絶品としか言いようのない『雪国』は何度、読んだことか。『眠れる美女』は我が垂涎の書である。が、川端康成が文芸評論家として文壇に登場したというのは、まるで知らなかった。
 参考のため、例によって本書『文芸時評』(講談社文芸文庫)の裏表紙の謳い文句を引用しておく(こうするのは、小生の本の紹介は、自分の好みに走りがちでバランスを欠いている恐れが多分にあるからである。ところで同時に今、小生はプルーストの評論選を偶然だが同時並行する形で読んでいる。対比するつもりも、その意味もあまりないとは思うが、なかなか楽しい読書体験なのである):
 

大正十年「招魂祭一景」で注目された著者は翌十一年、文芸時評家として文壇に登場、小説を書く傍ら二十年に亘り時評を書き続けた。本書には「永井荷風氏の『つゆのあとさき』」、「谷崎潤一郎氏の『春琴抄』」のほか横光利一の純粋小説論にふれた「『純粋小説論』の反響」など昭和六年から十三年までの時評を収録。自ら激動の時代を反映。ノーベル賞作家川端康成の出発点を刻す文芸時評。

 この、ノーベル賞受賞ということで、川端は、「美しい日本の私」という受賞記念講演を行った。後年、小生は、「美しい日本の私」を久方ぶりに読んで、改めて静かな感動を覚え、『ナム序説 脳死する日本のわたし―妄想的文化批評』を書き上げたものだった(95年の失業当時)。
 明らかに、「脳死する日本のわたし」というのは、「美しい日本の私」をいびつな形で踏襲している。

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『私は、経済学をどう読んできたか』(2)

 ハイルブローナーの本は、前稿でも書いたが経済学の歴史に貢献した高名な面々の文章がたっぷり引用されている。
 今回は、マルクスとベンサム(の一部)の項を読んだ。
 カール・マルクス/フリードリッヒ・エンゲルス共著の『共産党宣言』からも引用されているのだが、その第一章の末尾の「……工業の進歩は、競争による労働者の孤立化の代わりに、結合による労働者の革命的団結を作り出す。だから、大工業の発展とともに、ブルジョア階級の足もとから、かれらがそのうえで生産し、また生産物を取得する土台そのものが取り去られる。かれらは何よりも、かれら自身の墓掘り人を生産する。かれらの没落とプロレタリア階級の勝利は、ともに不可避である。」は、あまりに願望の念の濃い洞察だったのだと、懐かしさと悲しさを覚えたりする。
 この溌剌としたというか、勇ましいというか、勇み足気味の結語は、一体、マルクスとエンゲルスのどちらの主張が込められているのか。
[『共産党宣言』の全文を、以下のサイトで読むことが出来る(永江良一訳)]

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『私は、経済学をどう読んできたか』(1)

 経済思想史家のロバート・L・ハイルブローナー著『私は、経済学をどう読んできたか』(中村 達也/阿部 司訳、ちくま学芸文庫)をボチボチと読んでいる。
 経済学の形成の歴史に預かる著明な人物の思想や発想を、できるだけ本人の言葉を引用する形で、但し著者の鋭いコメントを付しつつ、説明してくれる。
 最初に念のため、本書の裏表紙に書いてある紹介を引用しておく:

経済思想の興隆と転換に興味を持つ読者を、偉大な経済学者自身の著作そのものへと案内する名著。『聖書』に始まり、商業革命・古典派経済学・限界効用学派などの変遷を辿って、ケネー、アダム・スミス、カール・マルクス、マーシャルからケインズ、シュンペーターに至るまで、経済思想の系譜を主題に、自らが意図した「壮大な説話」を紡ぎ出した物語学説史といえる。熟達した歴史的洞察と明晰な思索により、経済学に何を期待すべきかについて、ときにユーモアを、ときに辛辣な皮肉を交えた原典への寸評を通して語る。

 経済学には特に疎い小生には、何を読んでも啓発されることばかり。とにかくいきなり聖書からの引用が冒頭に来るのは驚いた。

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プルースト『評論選Ⅱ 芸術篇』

原題:「プルースト『評論選Ⅱ 芸術篇』と死の愉楽」(04/02/20)

 マルセル・プルースト(1871-1922)の『評論選Ⅱ 芸術篇』(保苅瑞穂編 ちくま文庫)を読了した。
 参考に目次を掲げておくと、以下のようである:

ジョン・ラスキン(『アミアンの聖書』訳者の序文より)/読書について(『胡麻と百合』訳者の序文)/美術論/社会時評/音楽時評/社交・肖像/親殺しの肖像/アンケート回答

 これらのどれも魅力的なのだが、ラスキンが今一つ、掴みきれなかったのが、「読書について」を読み出したところから、一気にプルーストワールドに導かれていった。評論と銘打っているし、その通りなのだけれど、文章のスタイルは、まさに、『失われた時を求めて』のプルーストの面目躍如なのである。
 本書(の「読書について」など)に刺激されて、読書についてとか、蝋燭の焔を糸口にあれこれ自分なりの瞑想や妄想を展開してみたりした。そうしたくさせてくれるのである。

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2005/09/11

ハイルブローナー著『私は、経済学をどう読んできたか』

原題:「経済学の土台としての人間洞察…(04/02/20)」

 経済思想史家のロバート・L・ハイルブローナー著『私は、経済学をどう読んできたか』(ちくま学芸文庫)をボチボチと読んでいる。経済学の形成の歴史に預かる著明な人物の思想や発想を、できるだけ本人の言葉を引用する形で、但し著者の鋭いコメントを付しつつ、説明してくれる。
 経済学にも疎い小生には、何を読んでも啓発されることばかり。とにかくいきなり聖書からの引用が冒頭に来るのは驚いた。
 ところで、今はアダム・スミスの項を読んでいる。恥ずかしながら、小生は彼の『国富論』は読んでいない。大学に入って間もない頃、同級生の某が今、『国富論』を原書で読んでいるなんて言うもので、その彼の気障振りが気に食わなくて、坊主憎けりゃ袈裟まで…で、『国富論』は読まないままに来てしまった。
 恐らくは書店で立ち読みくらいはしたはずだが、ついに入手はしなかった(小生の場合、入手イコール読むということ)。
 ま、これは小生の怠慢の言い訳に過ぎない。
 今、上掲書でアダム・スミスの諸著からの引用文などを読んでいるが、読んでいて、経済学といいながら、実のところ社会分析であり人間観察であり、その上での経済という切り口からの社会への洞察なのだと感じた。
 彼の時代においても顕著に進んだ産業の高度化、それに伴う分業システム。その対比での農民の生活や仕事振りの分析。
 学生時代、カール・マルクスの短めの諸著や、特に『資本論』などを読み齧ったけど、そこには鋭い、しかし骨太の社会諷刺と批判があり、人間への共感の念があって、読み応えがあったことを思い出した(なのに、『資本論』は訳書の第一分冊の冒頭の百頁を読んだだけ)。
 とにかくほんの一部だろうが、国富論の文章に接して、これなら読んでみたいと思わせてくれた。歴史に残る本は、経済学にあっても、結局は社会や特に人間への洞察に光るものがあるからなのだと、改めて思う。
 ところで、では、近代以降の経済学はどうなのだろう。高度な数式が駆使されている、その裏にはどんな人間への理解が前提されているのだろうか。それとも人間不在? そんなことはないと思いたいけれど。

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J・M・クッツェー著『夷狄を待ちながら』

 著者であるJ・M・クッツェー(J.M.Coetzee(1940- ))は、昨年度のノーベル文学賞の受賞者。本書『夷狄を待ちながら』(土岐恒二訳、福島富士男解説、集英社文庫)は数々出ている彼の本の翻訳で、唯一の文庫本のようである(だから手が出せた)。
 クッツェーは、「南アフリカのケープタウンの生まれ。彼にはボーア人(オランダ系の南アフリカ移住者)とイギリス人の血が流れている」という:

 彼には共にブッカー賞を受賞した『マイケル K(1983)』や『恥辱』がある。
 表表紙には、M・エルンストの『荒野のナポレオン』が掲げられている。
 さて、タイトルの『夷狄を待ちながら』からは多くの方が有名なタイトルを連想されるだろう。そう、『ゴドーを待ちながら』である。『夷狄を待ちながら』の原題は、『Waiting for the Barbarians』で、「the Barbarians」をどう訳すかを別にすれば、ほぼ直訳なのである。
 本書(文庫本)の裏表紙の謳い文句を引用すると、「静かな辺境の町に、二十数年ものあいだ民政官を勤めてきた初老の男「私」がいる。暇なときには町はずれの遺跡を発掘している。そこへ首都から、帝国の「寝ずの番」を任ずる第三局のジョル大佐がやってくる。彼がもたらしたのは、夷狄(野蛮人)が攻めてくるという噂と、凄惨な拷問であった。「私」は拷問を受けて両足が捻れた少女に魅入られ身辺に置くが、やがて「私」も夷狄に通じていると疑いをかけられ拷問に……。」とある。

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柳澤桂子著『生命の不思議』

 柳澤桂子著『生命(いのち)の不思議』(集英社文庫刊)を読み終えた。彼女は、もともとは生命科学者だったが、病名も原因も不明の難病のゆえに研究者生活を断念し、サイエンスライターとなった。そんな彼女の本を読むのは本書で三冊目である。
 エッセイの本であるが、同時に、やや遺伝子の問題も含め、やや専門的な話も多い。それがまた魅力なのだが、そうした話題について感想を言うのもおこがましい。
 また、本書は、彼女にとっては特別な本であるようだ。というのも、これまでの本は避けられないと思われた死と向き合う中で書かれた本だったりしたのが、本書は、あるいみで社会復帰の最初の一歩となる本なのである。
 さて、専門的な話題は他の方に任せるとして、ここでは本書の中でも採り上げられている彼女の神秘体験のことに触れて見たい。
 彼女自身の神秘体験のことは、その解釈はともかく、彼女自身のコメントの形で、例えばこのサイトなどでも読める:

 本書からも引用すると、病気で研究者生活を断念して食事も喉を通らない日々が続き、ある仏教の解説書を時を忘れて読み耽ったとした上で:

十一月であったので、日の出は遅かったと思うが、やがて、障子が白みかけた。その瞬間、私は強いめまいを感じ、大きな炎に包まれた。炎が消えると私の目の前にまっすぐな道が見えるではないか。この道を進めばよいのだということは、いわれなくてもわかった。それがどこへ行く道かはわからなかったが、私は何かに導かれているのを感じた。誰かにやさしく抱きかかえられた。 (p.57)

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伊藤整著『変容』…ハイスイコウ

 小生は今年、誕生日を迎えれば五十歳となる。人生五十年と言われた一昔前なら、小生の寿命は終焉の時を迎えていておかしくはない年齢である。
 が、今時、そんなことを言うと笑われる。政治の世界では四十、五十は洟垂れ小僧だという。だったら、そう、文学の世界では小生など実はガキ扱いされても不思議ではない年齢なのかもしれない。但し、今でこその話だが。
 伊藤整というと、誰もが思い浮かべるのは、『氾濫』だろう。評論に関心のある方なら、『日本文壇史』かもしれない。
 小生は、恥ずかしながら、『氾濫』を読んだかどうかも記憶があやふやなのである。書店で本書を見たとき、伊藤整をもしかしたら読んだことがないかもという忸怩たる思いがした。
 同時に、「老年期に入ろうとする主人公たちが展開する心理や行動は、性の快楽が青年の特権ではないこと、さらには、それらの行為を通して人生の真実により深く到達するのは、若者や壮年よりも老年であることを啓示する。」という本書のカバーの謳い文句に呆気なく釣られてしまったのだった。
 小生は、本書を帰省の列車で読むことに決めた。
 実際、帰省の往復の列車中で伊藤整著の『変容』(岩波文庫刊)を読んだのだが、少々、読みきれなかったのを先ほど、寝起きのベッドで読み終えたのである。
 余談だが、起きたのは悪戯電話でだった。

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2005/09/03

正岡子規著『仰臥漫録』

 正岡子規著の『仰臥漫録』(岩波文庫刊)などを巡ってのエッセイ「年末に思う(我が日記より)」を無精庵越中節に載せました。
 正岡子規著の『仰臥漫録』は、「Yahoo!ブックス - 仰臥漫録 - 正岡子規-著」の書籍内容によると、「子規が死の前年の明治34年9月から死の直前まで、俳句・水彩画等を交えて赤裸々に語った稀有な病牀日録。現世への野心と快楽の逞しい夢から失意失望の呻吟、絶叫、号泣に至る人間性情のあらゆる振幅を畳み込んだエッセイであり、命旦夕に迫る子規(1867‐1902)の心境が何の誇張も虚飾もなくうかがわれて、深い感動に誘われる」というもの。
「年末に思う(我が日記より)」と題した一文は、タクシードライバーとしてのエッセイという側面が強いため、敢えて書評のサイトである本ブログではなく、「富山とオートバイとタクシーとサンバと音楽エッセイの館」である無精庵越中節を選んだものです。

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中井英夫著『虚無への供物(上)』周辺探索

 偶然なのかどうか分からないが、この一文を綴った後、前日から読み始めていた中井英夫著の『虚無への供物(上)』を手に取ったら、すぐに、コクリコという言葉が散見された。
[ コクリコについては、拙稿「コクリコのこと」や「はぐれコキリコ余談」を参照のこと。 (05/09/03 アップ時付記)]
 まあ、それはそれとして、このミステリー小説では、幾つかの鍵となる言葉や地名などが登場する。その中心的なものは、「五色不動」だろう。浅学にして、小生にはこの五色不動は初耳だった。
 早速、ネットでこの件を調べてみる。検索のキーワードはただ一つ「五色不動」である。すると、筆頭に、下記のサイトが登場した:
江戸五色不動散歩

 このサイトの冒頭にある説明によると、「江戸五色不動とは、目白、目赤、目黒、目青、目黄の各不動尊のことで、寛永年間(1624~43)の中頃、徳川三代将軍家光が寛永寺創建で知られる天海大僧正の具申により、江戸府内の名ある不動尊を指定したと伝えられています」という。
 別に、「府内五色不動」とも呼ばれるらしい。
 小説の中でも実在のものとして書かれてはいるが、どこかミステリーの渦に巻き込まれているようで、今一つ、真偽の程を計りかねていたが、どうやら、とにかく、実在していたらしい。

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