中嶋浩著『タクシードライバーほど面白い商売はない』
中嶋浩著『タクシードライバーほど面白い商売はない』(東洋経済新報社刊)を読んだ:
入手したのは、10月12日。事故に遭ったのが、15日(この事故については、「小生、事故の当事者となるの巻」というレポートで詳細を書いた)。
なんだか、小生にタクシー(ドライバー)について考えろと催促しているかのようなタイミングの良さだ。
例によって、出版社側の宣伝をそのまま記すと、表紙(カバー)には、「一生働ける究極の仕事がここにある!愛と誠のタクシードライバー入門 」と謳ってある。
帯には、「「リストラ日本を救う」衝撃の本!」とした上で、「社会派ライターがタクシードライバーになった。毎日300km、街を流しながら見つめた「平成経済どん底事情」」と銘打ってある。
当然のことながら、どんな商売も実際にやってみると、そんな甘いものじゃない。一頃までは、タクシーは失業した人たちの受け皿業界として見なされてきた。タクシーの免許も、資格を得るにも、安直とまではいかないが、体が動き、車が運転できれば、誰でもがなれた。
が、今は、会社での面接で聞かれることは、まず、健康かどうかである。健康診断で引っ掛かったら、基本的には採用されない。また、過去の事故歴や、他社からの鞍替えを狙っているなら、その人の経歴(事故歴、トラブル歴)が調べられる。
本書にも書いてあるように、地理試験も(東京などは)難しい。それなりの覚悟を持って勉強しないと、業界の入り口にも立てない。研修もある。
つまり、今は、運転手やタクシー会社の質を上げるよう、いろいろな規制が変化してきたのである。タクシー業界への算入はしやすい。その代わり、事故やトラブルがあると、運転手に一定の罰が加わるだけではなく、運転手が在籍する会社も減点され、評価が下がっていく。一人のミスやトラブルは、会社(そして従業員全員)への災禍となってしまうのだ。
さて、では、なんとか運転手になったなら、あとは順風満帆かというと、そういうわけには、到底、いかない。
そもそもこの不況である。なのに、タクシー業界への参入規制が緩められている。つまりタクシーの台数が、一時的にしろ、増加する。業界全体としての売り上げが減っているのに、台数が増えているから、運賃の値下げ競争が始まっている。
それでも、町中でお客さんが見つかればいいが、そうはいかない。
本書の帯に、毎日300kmと書いてある。知らない人が見たら、都内などで300kmを走るなんて、凄いと思うかもしれない。
が、ほんの数年前、つまり橋本不況が始まる前までは、法的に規制されている一日の走行距離制限の365kmを越えることなど、ざらだったのだ。今は、走りたくても300kmなど、なかなか走れるものではないのだ。
なぜなら、都内だけを走っていたら、せいぜい200kmを突破できるかどうかで終わるのである。夜中などに長距離のお客さんを一回乗せて、やっと250km、二回乗せたら、なんとか300km以上を走れるかどうか、なのである。
が、繰り返すが、その前にお客さんを見つけるのが大変。大概は、晴れてタクシードライバーになっても、こんな売り上げ(収入)だとは、と嘆くのがオチだろう。
東京の地理を覚えるのは至難の業である。次ぐ次に新しい施設や建物、道路が出来るし、そもそも道路が常に曲がっていたり、交差しているので、仮に道も目的地も分かっていたとしても、最短のルートを割り出すのが、大変なのだ。
城南地区から皇居を挟んだ向こう側の城北地区へ向う場合、右周りがいいのか左回りがいいのか。悩むんだね。お客さんは、時間に追われていることが多いので、瞬時に最短・最適のルートをなけなしの脳味噌を絞って考え出す。
この瞬時、というのが大切なのだ。ほとんど常に渋滞だったり、後ろに車が待っていたりするのだ。まして、車の向きが目的地とは違っていたりすると、まず、動き出しの一歩をどちらに向けるかが、そのあとの走行に響く。地図を見る余裕を与えてくれるお客さんは少ないのだ。
その他、休憩の場所は何処にするか、トイレ(公衆便所)は何処にあるか、そもそも、営業の上で、どんな戦略を立てて仕事をするか自体が頭を悩ます。漠然とやっていても、それなりに収入が上がった時代は、とっくに終わっている。
著者は、他の業界からの転業で、サラリーマンとしての常識を弁えており、営業の上での常識もタップリ備えられている方のようだ。
例えば、近場のお客さんなどで、遠慮がちに乗ってこられることが往々にしてある。こんな時、小生はガッカリする。近場だろうが、遠慮することはないのに、堂々と乗ってくれればいいのに、と思う。コンビニで、ボールペン一個しか買わないからと、レジの前で、おどおどするだろうか。
が、タクシーだと、申し訳なさそうに乗ってこられる(ことがしばしばある)。乗りなれた方だと、平気で、それこそ下駄代わりという感じで、乗ってこられるので、こちらも気が楽である。
なぜ、近場だと、遠慮がちになるかというと、バブルの時の後遺症がまだ残っているのではと思う。我々の先輩の中の一部だろうが、近場だと、断ったり、無視したりしたことがあったのではなかろうか。つまり反省すべきは業界のほうにあるのだ。
が、とにかく、バブルはとっくに、十年以上も昔に弾けていることをタクシー運転手は誰よりも、どんな業界のよりも身に凍みて感じているのだ。
そんな遠慮がちなお客さんが乗ってこられた時は、運転手のほうから空気を和らげる工夫をすると、著者は書いている。同感だし、小生も、そのように心掛けている。
たとえば、天気の話をしたり、路上に見かけた風景を話題にしたりして、とにかくこちらは近場かどうかということ、つまり運賃が基本料金で収まることなど、全く気にしていないという雰囲気を醸成するのだ。
お客さんにとって、タクシーの中は、束の間の休息空間だったりする。携帯電話でお喋りしたり、新聞を広げたり、なにやらゲームに興じたり、ヘッドホンで音楽に聞き入ったり、あるいは、流れ行く風景をぼんやり眺めたり、考え事をしたり、煙草を燻らせたり、そして運転手とお喋りしたり。
最後の煙草ばかりは、悩ましい。これだけ環境のことが煩く言われ、健康問題のことが取り沙汰されている時代なのに、好き勝手に煙草を吸う方は多い。
小生の会社では、運転手は禁煙だが、お客さんは禁煙にはなっていないので、文句も言えない。窓を開けるくらいのことはするが、お客さんは、運転手の体のことは、どうでもいいらしい。
にんにくの臭いとか、いろいろ細かなことで耐えなければならないことは多い。酔っ払いに、ゲロを吐かれたり。すると、その日は、もう、仕事にならない。文句を言うわけにも行かないし。ビニールの袋などを大概の運転手は用意しているのだけど、突然だったりすると、どうしようもないんだね。
本書の一番の眼目は、車内での会話の話だろう。
何気ない糸口から、会話が弾んだりして、普通なら、家族にも、会社の同僚や上司にも、友達にもいえない愚痴や呟きを漏らしてくれたりする。知り合いだと柵(しがらみ)などがあって、気軽には言えないことも、独り言のように運転手に語りかけることで、僅かなストレスの発散の場そして寛ぎの時となっているのだ。
いろんな情報も入ったりするが、プライバシーに属することは、聞き流すしかない。それでも、日本の現代社会の一面を垣間見たという見聞は、自分の財産になったりするのだ。
タクシーの仕事には、いい面もあれば、辛い面もある。たとえば、東京百景どころではない、多様な相貌を眺め尽くせるのも、タクシー稼業のささやかな恵みである。昼と夜の東京。晴れている時の東京と雨の日の東京は、まるで違う装いなのだ。思いも寄らない場所で思いがけない絶景に遭遇することもある。
その仔細は、機会があったら、また、書いてみたい。
(03/10/22)
[ タクシー(ドライバー)をテーマのエッセイは、「無精庵越中記」にて、小説(虚構)作品は、「無精庵方丈記」にて、あれこれ書いています。
ホームページにも「タクシーとオートバイの部屋」があります。 (05/08/09 アップ時追記)]
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