正宗白鳥著『作家論』
正宗白鳥著の『新編 作家論』(高橋英夫編、岩波文庫刊)を読んだ。
正宗白鳥は、一般的に自然主義の作家と称されるようだが、小生は、そんな文学的知識などまるでなく、様々な作家たちと同時代に生きた書き手ならではの作家論を読みたくて、本書を手にとったのである。
恥ずかしながら、有名な作家である正宗白鳥の著作を読むのは今回が初めて。江戸時代以降とは言わないが、せめて明治以降の代表的な作家の代表的な作品くらいは読み通したいと思いつつも、とうとう今日まで果たせないで来てしまった。
やはり、こういった作業は若い頃に強引にでもやり通す必要があるのだろう。そうは言っても、学生時代には結構、古典的な作品をできるかぎりに渉猟はしたのだけれど。
さて、例によって、出版社側の謳い文句を示しておこう:
自然主義の代表的作家であった正宗白鳥(1879-1962)は,優れた評論家でもあった.その作家論は,対象となる作家と直に接した白鳥だけに,作家のなまの姿を伝えるものとなっている.実作者として,また1人の人間として,あるがままの自己を対象にぶつけたその評論は,主観性に富んで面白く,対象の本質を端的につかんでいる.
優れた評論家でもあったと書いてある。優れた作家、優れた評論家であるためには、きっと人間を見る目も必要だし、作品を読み込む理解力も必要だ。
が、同時に、同時代に生きる作家の作品をきちんと読みこなすには、同時代の、時には書き手仲間であったりする中で、あくまで作品は作品として読む冷徹な姿勢を保つ必要もある。
知り合いの作品だと、評価が甘くなったり、逆に日頃の人物像が見えすぎて厳しくなってしまったりする恐れは十分にある。下手すると人間関係が作品や作家の評価にモロに左右することもあるだろう。
付かず離れずに付き合えればいいのだけれど、そうもいかないだろうし。知人の作品を敢えて厳しく評価するのは、結構、勇気の要ることではなかろうか。
この作家論の中では、坪内逍遥、二葉亭四迷、夏目漱石、森鴎外、尾崎紅葉、田山花袋、徳田秋声、島崎藤村、岩野泡鳴、永井荷風、志賀直哉、葛西善蔵、横光利一(ほかにダンテやトルストイ)らが扱われている。
錚錚たる名前が並ぶ。こうした作家たちと多少なりとも生き書いた時代が重なっているというのは、目も眩む思いがする。
自然主義の書き手というが、つまりは、人間や人生の実相を冷静な目で、ありのままに見るということに尽きる。正宗白鳥は、若い頃からそんな目を持っていたように思える。これは彼の資質ということなのだろうか。
明治の少なくとも初めの頃の作家の文章が、多くは美文調だったことを思うと、逆に何故、正宗白鳥はそんなリアリストの目を持っていたのかと不思議に思える。
今年の五月、徳富蘆花の『自然と人生』や『不如帰』を購入したのだが、一時代を画したこれらの作品も、やや今日風になっている面があるとはいえ、依然として美文的で読むのが辛い。『不如帰』は、パラパラ捲るだけで、ウンザリしてしまった。美文調であることが当たり前の時代だったのだ。
一昨年、尾崎紅葉の『金色夜叉』を読んだが、彼なりに人生の一面、そして時代の様相を描いているとは思うのだが、どうしても、文体の古さについ辟易してしまったものだった。
それでも、読み通すことができたのは、紅葉の文章の力なのだろうが、それでも、美文調というのではないが、ある主観的な情緒に流されがちな傾向は、最後の最後まで付き纏う。
よく言えば、ロマンチック。言い方を変えると身勝手な世界観から決して外れることのない、ある意味の退屈さ単調さ。
小生は以前、『金色夜叉』の感想文を書いたが、その中で以下の点を指摘した:
明らかに、この場面は、シェイクスピアの『ハムレット』で有名なオフィーリアの水辺での死の場面を意識している。あるいはジョン・エヴァレット・ミレーの描く「オフィーリア」(1852)そのものだ。愁嘆場は屋敷の中なのが、絶命寸前の宮が、貫一に許された以上は、宮が彼の前を去る必要もないのに、わざわざ屋敷の外に出、しかも好都合にも終焉の地としてオフィーリアの死を思わせる場所へ向かわせるのは不自然なのだ。尾崎紅葉は、上記の絵を見る機会があったのだろうか。
文体と共にロマンチックな臭いがプンプンなのだ。
しかし、尾崎紅葉(1867~1903)がこの作品を書いた時は、彼が未だ若かったのだということを鑑みると、そうした指摘は酷なのかもしれない。
さて、正宗白鳥が尾崎紅葉(の『金色夜叉』)をどう評価しているか。『金色夜叉』を失恋の悩みを描いた小説とのみ思うのは浅薄である。間(はざま)貫一は、紅葉全作品中でもルイを絶している色男なのである。(中略)幸福人である。読者の興味の一半はそこにあるので、お宮は雑作なく悔悟して、命を掛けて慕い、満枝は満枝で、振られれば振られるほど恋い慕っている。幾多の青年読者が、自己を貫一の境地に置いて恍惚としたことであろう。」
『金色夜叉』が、芝居で盛んに採り上げられる中「紅葉の作品の最も卑俗低級なもののような印象を我らに与えているのは、新派劇の罪なのだ」このように一部の作家に顰蹙を買うほどに若くして高名な作家になり、「恋愛や家庭生活についても、いやに老成ぶった態度で子弟に教えを垂れていた」紅葉を、白鳥は次のように評している:
『金色夜叉』などを読みながら、私が気づいたところによると、紅葉でも、青春期を過ぐるにつれて、創作その他の事について疑惑の念が湧いて、いろいろに悩んだのである。ただ、一代の大先生として奉られていた自己の内兜(うちかぶと)を子弟や世人に見透かされまいとして、努めて老成ぶった態度を持ち続けていたのである。正宗白鳥は、明治に生み出された数々の作品の中で、森鴎外の『即興詩人』を高く評価している。明治にはたくさんの作品が生み出されたが、本当に優れた作品は生れなかったという。その中で、鴎外の『即興詩人』こそは、明治文学史上に最も燦爛たる光を放っているとさえ、考えた。 自然主義の作家としては、「没理想」を至上とする鴎外は、資質の上でも受け入れやすい作家だったのだろうか。 こうした感想はともかく、正宗白鳥の忌憚のない同時代作家批評を読むのは、単純に面白い。できる限り、自分が感じることをそのままに表現しようとする意味でのリアリストだったからなのだろうと思う。 決して古びてはいない作家論なのである。 (03/11/17)
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