高橋哲哉著『靖国問題』
遅まきながらではあるが、高橋哲哉著『靖国問題』(ちくま新書 532)をようやく読了。というか、読み始めたら一気だった。図書館からようやく借り出せたというのが正確な事情説明になるか。
本書の内容は、今も売れ続けているし、話題の書でもあるから、知られているだろう。
本書のカバーに細かな文字で表記されている一文を転記する:
……「お国のために死ぬこと」や「御天子様のために」息子や夫を捧げることを、聖なる行為と信じさせることによって、靖国信仰は当時の日本人の生と死の全体に最終的な意味づけを提供した。人々の生と死に最終的な意味づけを与えようとするものを「宗教」と呼ぶならば、靖国信仰はまさしくそのような意味での「宗教」であった……
著者である高橋 哲哉氏の略歴は、「1956年福島県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科教授。二十世紀西欧哲学を研究し、哲学者として政治・社会・歴史の諸問題を論究。明晰な論理と批判的思考には定評がある。NPO「前夜」共同代表として、雑誌『前夜』を創刊」とか。
小生は、わりと最近になって著者の『戦後責任論』(講談社学術文庫)を読んだ。この本についての小生の感想は→ココ
まあ、今、旬の書き手の一人ということになろうか。
さて、高橋哲哉著『靖国問題』については、「アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名運動」なるサイトの「注目の本、パンフレットなどの紹介コーナー」で目にすることのできる書評「書評『靖国問題』高橋哲哉」(2005年5月9日 木村奈保子)が丁寧である。
書評と銘打っているが、冒頭に、「「靖国」とはいかなる問題なのか。この本は小泉首相の靖国参拝をきっかけに再浮上した「靖国」という問題を、感情、歴史認識、宗教、文化、そして国立追悼施設の各方面から解き明かす好著である。以下、著作にそってその内容をかいつまんで紹介したい」とあり、一読すると、実質、まさに「著作にそってその内容をかいつまんで紹介し」ているに止まると言えそうな気がする。
ただ、それだけに、本書の概要を伺う一助にはなるかもしれない。
小生が知ったことは(というか再確認したことは)、靖国神社が決して追悼施設ではなく、あくまで国家の為にということで無為な、あるいは非業の死を遂げられた方たちの英霊顕彰施設なのだという点である。しかも、「国家としての冷徹な計算が働いている」面を高橋氏は指摘する。
本書について語るべきことは多々ある。が、やはり、「国立追悼施設の問題」が小生の関心を今回、一番惹いた。小生は、靖国神社に代わる国立の追悼施設の実現を望むものだが、高橋氏によると、そのような施設を作っても、第二の靖国になる恐れが大だという。
つまり、高橋氏は、「どのような施設を作ろうとも、それがたとえ、靖国のような国家の手による顕彰施設ではなくて、たとえば「平和の礎」のように市民の手による平和のメッセージを込めた施設であっても、いつのまにか国家の政治によって「靖国化」することがありうると警告を発する」のだ。
「平和の礎」を訪れたビル・クリントン大統領が、その前で日米同盟の大切さを強調していたように、国によって、どんな平和のための施設も性格が歪められる恐れが常にあるというわけである。
が、だからといって、国立追悼施設の実現の動きに冷や水を浴びせるばかりでは、靖国神社だけしか脚光を浴びないことになってしまう。
本書の末尾で高橋氏は、「「靖国問題」の解決は、次のような方向で図られるべきである」としている:
一、政教分離を徹底することによって、「国家機関」としての靖国神社を名実ともに廃止すること。首相や天皇の参拝など国家と神社の癒着を完全に絶つこと。
一、靖国神社の信教の自由を保障するのは当然であるが、合祀取り下げを求める内外の遺族の要求には靖国神社が応じること。それぞれの仕方で追悼したいという遺族の権利を、自らの信教の自由の名の下に侵害することは許されない。
この二点が実現すれば、靖国神社は、そこに祀られたいと遺族が望む戦死者だけを祀る一宗教法人として存続することになるだろう。
そのうえで、
一、近代日本のすべての対外戦争を正戦であったと考える特異な歴史観(遊就館の展示がそれを表現している)は、自由な言論によって克服されるべきである。
一、「第二の靖国」の出現を防ぐには、憲法の「不戦の誓い」を担保する脱軍事化に向けた努力が必要である。
なんだか、呆気ない結論である。そもそも、少なくとも「合祀取り下げを求める内外の遺族の要求には靖国神社が応じること」意志が皆無だと、高橋氏が縷縷、書いている。信教の自由に付いても、その自由をどの宗教に対して以上に自分たちに追い求める特異さが靖国側にあるのではなかったか。宗教を超えるのだとさえ、のたまう連中も居るくらいなのだ。
本書についての感想は、ネットでも数知れず見つかる。ここでは一つだけ:「世に倦む日日 日本国憲法は靖国を認めず - 石橋湛山の靖国神社廃止論」を紹介しておく。
靖国問題のみならず戦争責任に関して、小生の拙稿を挙げておく:「荒れ野の40年」(April 24, 2005)」
さて、本書を読んでの一番の収穫は、実は土壇場というか最後の最後「おわりに」の項に残されていた。
それは、「世に倦む日日」にもあるように、「日本国憲法は靖国を認めず - 石橋湛山の靖国神社廃止論」である。昭和二〇年一〇月二七日号東洋経済新報の「社論」記事だとのこと。
ネット検索したら、全文(?)が掲げられているサイトをヒットした:「参考資料:石橋湛山「靖国神社廃止の議」(東洋経済新報1945年10月13日号)」
リンク先を読んでもらうのが一番なのだが、リンクをクリックするのも面倒がる人が多いようだし、ここに勝手ながら転記させてもらう:
石橋湛山 靖国神社廃止の議 難きを忍んで敢て提言す
甚だ申し難い事である。時勢に対し余りに神経過敏なりとも、或は忘恩とも不義とも受取られるかも知れぬ。併し記者は深く諸般の事情を考え敢て此の提議を行うことを決意した。謹んで靖国神杜を廃止し奉れと云うそれである。
靖国神杜を廃止せよという。
何故に。
靖国神社は、言うまでもなく明治維新以来軍国の事に従い戦没せる英霊を主なる祭神とし、其の祭典には従来陛下親しく参拝の礼を尽させ賜う程、我が国に取っては大切な神社であった。併し今や我が国は国民周知の如き状態に陥り、靖国神杜の祭典も、果して将来これまでの如く儀礼を尽して営み得るや否や、疑わざるを得ざるに至った。殊に大東亜戦争の戦没将兵を永く護国の英雄として崇敬し、其の武功を讃える事は我が国の国際的立場に於て許さるべきや否や。のみならず大東亜戦争の戦没者中には、未だ靖国神杜に祭られざる者が多数にある。之れを今後従来の如くに一々調査して鄭重に祭るには、二年或は三年は日子を要し、年何回かの盛んな祭典を行わねばなるまいが、果してそれは可能であろうか。啻に有形的のみでなく、亦精神的武装解除をなすべしと要求する連合国が、何と之れを見るであろうか。万一にも連合国から干渉を受け、祭礼を中止しなければならぬが如き事態を発生したら、卸て戦没者に屈辱を与え、国家の蒙る不面目と不利益とは莫大であろう。
戦没者には祭られていない人が多数あるから。
また、発見し祀るたびに祭典を行う必要がある。この様子を連合国がどう見るか。干渉を受け、祭礼の中止となったら屈辱ものだ。靖国神杜(の祭典)の存続自体、あやうくなる。
又右の如き国際的考慮は別にしても、靖国神杜は存続すべきものなりや否や。前述の如く、靖国神杜の主なる祭神は明治維新以来の戦没者にて、殊に其の大多数は日清、日露両戦役及び今回の大東亜戦争の従軍者である。然るに今、其の大東亜戦争は万代に拭う能わざる汚辱の戦争として、国家を殆ど亡国の危機に導き、日清、日露両戦役の戦果も亦全く一物も残さず滅失したのである。遺憾ながら其等の戦争に身命を捧げた人々に対しても、之れを祭って最早「靖国」とは称し難きに至った。とすれば、今後此の神社が存続する場合、後代の我が国民は如何なる感想を抱いて、其の前に立つであろう。ただ屈辱と怨恨との記念として永く陰惨の跡を留むるのではないか。若しそうとすれば、之れは我が国家の将来の為めに計りて、断じて歓迎すべき事でない。
大東亜戦争という汚辱の戦争の結果、国家存亡の危機に瀕し、日清、日露の成果も滅失した。もう、靖国とは到底呼べない。靖国の前に立っても、後代の我が国民は心穏やかでは居られないのではないか。
言うまでもなく我が国民は、今回の戦争が何うして斯かる悲惨の結果をもたらせるかを飽まで深く掘り下げて検討し、其の経験を生かさなければならない。併しそれには何時までも怨みを此の戦争に抱くが如き心懸けでは駄目だ。そんな狭い考えでは、恐らく此の戦争に敗けた真因をも明かにするを得ず、更生日本を建設することはむずかしい。我々は茲で全く心を新にし、真に無武装の平和日本を実現すると共に、引いては其の功徳を世界に及ぼすの大悲願を立てるを要する。それには此の際国民に永く怨みを残すが如き記念物は仮令如何に大切のものと錐も、之れを一掃し去ることが必要であろう。記者は戦没者の遺族の心情を察し、或は戦没者自身の立場に於て考えても、斯かる怨みを蔵する神として祭られることは決して望む所でないと判断する。
何時までも怨みを此の戦争に抱いていけはいけない。そんなことでは日本の更正が成らない。無武装の平和日本を実現するのが先決だ。そのためには、国民に永く怨みを残すが如き記念物、つまり靖国神社は一掃する必要がある。遺族や戦没者だって、「怨みを蔵する神として祭られることは決して望む所でない」のではないか。
以上に関連して、茲に一言付加して置きたいのは、既に国家が戦没者をさえも之れを祭らず、或は祭り得ない場合に於て、生者が勿論安閑として過し得るわけはないと云うことである。首相宮殿下の説かれた如く、此の戦争は国民全体の責任である。併し亦世に既に論議の存する如く、国民等しく罪ありとするも、其の中には自ずから軽重の差が無ければならぬ。少なくも満州事変以来事官民の指導的責任の住地に居った者は、其の内心は何うあったにしても重罪人たることを免れない。然るに其等の者が、依然政府の重要の住地を占め或は官民中に指導者顔して平然たる如き事は、仮令連合国の干渉なきも、許し難い。靖国神社の廃止は決して単に神社の廃止に終るべきことではない。
此の戦争は国民全体の責任だとしても、其の中には自ずから軽重の差があるはず。責任者は重罪人であり、政府の枢要の立場に今も平然と指導者顔でいるのは、許しがたい。
つまり、靖国神社の廃止は決して単に神社の廃止に終るべきことではな」く、戦争責任の追及とも関係する。
政党の指導者にして、こんなことを戦争直後に主張した人物がいたとは。さすがに天皇の戦争責任までは追及していないが。
戦後、多くの戦争当時の責任者が政府の枢要な地位を占め、あるいは細菌兵器の研究、しかも人体実験をも行った連中さえも、連合国側の都合もあって免責された。
あれほどの事態を招いてさえも、責任が問われないのであれば、国家にあって役人が無責任天国になるのも、当然だ。ただ、先輩の顰(ひそみ)に習っているだけなのだし。
[ 25日、以下の内容の記事が流れた(24日、分かった):
駐米大使に靖国参拝抗議の書簡 米下院外交委員長
米下院外交委員会のハイド委員長(共和党)が、小泉純一郎首相や国会議員の靖国神社参拝に抗議する書簡を加藤良三駐米大使あてに送っていたことが24日、分かった。韓国紙、朝鮮日報(電子版)などが報じた。在米日本大使館は20日付の書簡を受け取ったことを確認したが、内容についてはコメントしていない。
ハイド氏は書簡で「靖国神社はアジアや世界において第2次世界大戦の未解決の歴史、さらに太平洋に戦争を引き起こした軍国主義的な姿勢のシンボルになった」と指摘。A級戦犯を裁いた極東国際軍事裁判(東京裁判)が勝者の押しつけた正義ではなく、真の正義だと強調している。(共同)
(10/25 11:20)
ネット配信の記事で読めるのは以上。
さらに、「「PUBLICITY」(パブリシティー) 編集人:竹山 徹朗」のNo.1247(2005/10/28/金)によると:
「中央日報」は、この書簡でハイド委員長が「靖国は戦犯合祀で軍国主義志向の象徴となった」と強調したと記している。また、小泉首相が「侵略を謝罪するとしながら、軍国主義日本のA級戦犯は追慕する、という二重の態度を堅持してきた」ことや、「米国との同盟関係さえうまく維持できれば、北東アジアの機嫌を取る必要はない」との小泉首相の認識を指摘。
「日本は、米国が沈黙を破って厳しく忠告したことの意味に気付かなければならない。日本はこれ以上周辺諸国の傷を突きまわすな」と主張している(2005.10.24 18:31:40)。
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(05/10/29 追記) ]
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コメント
「靖国問題」・「戦後責任論」、ダブルでトラックバック頂き、ありがとうございます。RX5と申します。
詳細かつ丁寧な書籍紹介、大変参考になります。書評としても的確な記述で驚きです。
今後ともよろしくお願いいたします。
投稿: RX5 | 2005/09/04 00:27
RX5さん、いきなりTBして失礼しました。ネット検索していて貴サイトを見つけ、靖国問題と高橋氏の「戦後責任論」との項目が相次いでいたので、思わずTBしてしまいました。
挨拶が遅れてすみません。
投稿: やいっち | 2005/09/04 03:19
高橋哲哉「国家と犠牲」NHKブックスを買ってきました。
靖国問題もそうですが、この本ではさすが哲学者らしく聖書の「イサクの犠牲」を論じ、デリダの「絶対的犠牲」が扱われます。
最終章では「犠牲なき国家」が存在するとしたらそれは「軍を持たない国家」であると論じます。
「靖国問題」を一歩進めた本で、弥一さんの感想を聞きたいです。
投稿: oki | 2005/09/06 16:54
oki さん、コメント、ありがとう。
> 高橋哲哉「国家と犠牲」NHKブックスを買ってきました。
面白そう。
同時に、
常に小生の何歩も先を行くoki さん、逸早く高橋哲哉氏の新しい本にも目配りされてますね。小生は本を買えないので、図書館で借りられたら、その際は、感想文を書くかも。
「靖国問題」は、今一つ、喰い足りないものがあって、もやもやしているだけに、oki さんの本書「靖国問題」への感想も聞きたいところです。
投稿: やいっち | 2005/09/07 02:44
「駐米大使に靖国参拝抗議の書簡 米下院外交委員長」というニュースが25日、流れたので、入手しえた記事を転記しました。
投稿: やいっち | 2005/10/29 06:45