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2005/08/25

世界を更地に…

旧題:世界を更地に変えよう!(03/12/07)

 あるサイトの日記を読んでいたら、悲しくなる話が書かれてあった。
 その方の近くには鬱蒼と生い茂る林とも呼ぶべき一角があった。空を見上げることもできないほどに大きな木々で埋まった場所だったとか。その地は、ある変わった方が住まれていたが、事故で亡くなられてしまい、以来、荒れ放題の土地となった。
 昼間でも暗く、そのためか、子どもがらみの事件が続いて、物騒でもあり近隣の不安の種ともなっていた。
 それが、或る日、その場所にトラックなどが来て、見上げるような木々も一気に切り倒されていった。どうやら、土地の相続の問題も片付き買い手も決まり、物騒だった一角が一週間もしないうちに想像以上に開けた更地となった。
 そうなると、不安の種にもなっていた土地が逆に全く別の顔に変わり、物足りなくもあり淋しくなってしまった。その方はお子さん達と密かに「トトロの森」と呼んでいたのが、今は何処にでもあるような更地になってしまったのである。
 ある人から近くの病院の前で車に轢かれて死んでいたハクビシンのことを教えてもらう。ここに引っ越してきた頃、家に帰る途中、車の前を横切る2,3匹のハクビシンを彼女とお子さん達は見ていたのだとか。ただ、その頃は、タヌキだとばかり思っていたけれど。
 そのハクビシンたちは、あの林に住んでいたのだろう。
 住処を追われて死んでしまったハクビシン。日記では、ハクビシンが死んだ話を子ども達にしたら、随分ショックを受けた。そして、お子さんがその話を元に創作を加えてお話に纏めたと続いている。
 ここから以下の話は、小生による全くの別の話である。

 人間の我が侭勝手が如実に現れている話だと感じた。ハクビシンだけじゃなく、それこそ「トトロの森」であり、他にも多くの動物達、そして植物たちの生息地だったのだろう。大事にしていた変わり者の方が亡くなって放置され、荒れ放題になり、土地の相続を巡って争っているうちに人間たちにしたら物騒な一角となり、やがてその相続問題も片付き、一気に更地に。実際にそこに住んでいる動植物のことなど誰も考えない。その林に思い入れする人たちの気持ちも考えない。
 でも、更地にすることで、人間からしたら利用価値のある土地に変貌する。仕方ないことなのかもしれない。考え方に依れば、何も問題がないってことなのかもしれない。
 人間が便利な生活を追い求める。通勤に、あるいは居住に適した場所を開発する。野生の動物の生息した林は消えて、住宅街かオフィス街の一角に整備された並木道か公園くらいはできるのかもしれない。そこには猫たちくらいは、呑気に遊べる場所になるのかもしれない。
 
 小生は今、ポーラ・アンダーウッド著の『一万年の旅路―ネイティヴ・アメリカンの口承史』(星川淳訳、翔泳社刊)を読んでいる:

 内容は、上掲のサイトにあるように、「人類ははるか一万年前、ベーリング陸橋を越え、アジアから北米へ渡った。イロコイ族の血をひく女性が未来の世代へ贈る、一万年間語り継がれたモンゴロイドの大いなる旅路。 」である。
 本のカバーの見返しには、次のように書かれてある(いずれも、星川淳「訳者あとがき」より):

アメリカ大陸に住む、インディアンとも呼ばれるネイティブ・アメリカンの人々は、その昔ベーリング海峡が陸続きたっだころベーリング陸橋をわたり、アジア大陸へ渡ってきたモンゴロイドの子孫だという説が定着しつつある。 「一万年の旅路」は、ネイティブアメリカンのイロコイ族に伝わる口承史であり、物語ははるか一万年以上も前、一族が長らく定住していたアジアの地を旅立つ所から始まる。彼らがベーリング陸橋を超え北米大陸にわたり、五大湖のほとりに永住の地を見つけるまでの出来事が緻密に描写されており、定説を裏付ける証言となっている。イロコイ族の系譜をひく著者ポーラ・アンダーウッドは、この遺産を継承し、それを次世代に引き継ぐ責任を自ら負い、ネイティブ・アメリカンの知恵を人類共通の財産とするべく英訳出版に踏み切った。


 そのようにして海を渡ったネイティヴ・アメリカンたち。そのネイティブ・アメリカンをインディアンなどと称して、徹底的に追い詰めていって、更地にして今日のアメリカが成立している。その際には、アフリカのネイティブを奴隷にし労働力として使った。アフリカの更地化は中途半端なままであるが。
 上掲の書を読んでいて(といっても未だ冒頭の数十頁だけだが)、大いなる感動を覚えている。この先、読み進めるのが楽しみだ。
 が、そのネイティブ・アメリカンも、アメリカ大陸をどんどん開拓し、木々を切り倒し、アメリカの風景を一変させた歴史を持つことも否定できない。アメリカ人が野生のバイソンなどを殺しまくったほどではないにしろ。
 そのネイティブ・アメリカンの歴史をイギリスなどから渡ってきた白人が踏襲したことになるのかどうか。いずれにしろ、結果的にはネイティブ・アメリカンをほぼ一掃し、アメリカ大陸を更地にすることで、今日の繁栄があることは間違いないだろう。
 アメリカの歴史は、たかだか数百年に過ぎない。歴史ではあるが、熱い記憶であり、今に生きるニュー・ネイティブ・アメリカンの父の時代、祖父の時代、曽祖父の時代、どちらにしても語り継がれていても可笑しくはない、そんな近い過去の出来事、犯した事柄なのだろう。
 そうしたアメリカ人にとって、世界の多くの地域・国々が鬱蒼と生い茂った、物騒な、野蛮な林・森・未開の土地に映ってならないのだろう。ネイティブ・アメリカンではなく、あくまでインディアンとして、野蛮で無知な生き物として抹殺しかけたように、アメリカにとって世界はまだまだ西部開拓の途上にあり、野蛮な生き物がうろうろする、未開拓な西部なのだ。
 やがては、アフガニスタンもイラクもイランもサウジアラビアもパレスチナも、とにかく中東に限らず、都合の悪い土地は、或る日、突然、トラックやブルドーザーがやってきて、綺麗に整備された更地にされ、売りに出され、住宅街にされ、公園となり、家族連れや恋人達の歩く並木道となり、人の眼の届かないところに石油パイプが蜿蜒と走り、飼い猫や飼い犬、あるいはカラスかハトくらいは闊歩するような人間の土地となるのだろう。
 この場合の人間とは、白人か白人に準じる、乃至はその価値観を戴く類いの人々を差すことは言うまでもない。
 イラクとの闘いは、文明の衝突ではない、あくまで世界の脅威となる国(国々)との正義の戦いなのだと、米英などは主張する。日本もその尻馬に乗り、中東の民主化(!)に貢献しようとする。
 そうした時、アメリカなどの意図する野望が果たされた時、ハクビシンも熊もタヌキも動物園で見るだけの、檻の中でうろつくだけの希少動物たちとなり、町中で見られるのは人間に馴致された動物達だけとなるのだろう。
 野生の動物は、せいぜい、ウイルスか微生物か、でなかったら、「トトロ」などのように仮想の空間に魂だけの形となって見出されるだけとなるのだろう。
<野生>の人間達、アメリカ人から見たら野蛮な人間達は、何処に見出されるのだろうか。<野性>の人は語らず、ただ、消え行くのみなのだろうか。
 現代において、住宅街に隣接する森や林を守るには、世間から変人扱いされることを覚悟しないとならない。そして、物語は作られる。悲しい過去を作った人間達の手で。悲しみは物語の中にしか見出す余地がなくなるのだろうか。
 人が生きる限り、世界の相貌は変えられてしまう。見慣れぬ、見たくもない世界から、見慣れた、親しみに満ちた、物騒ではない、監視カメラの整った、見晴らしの良い世界へ。
 正義の闘い。人間達の欲望を叶えることが正義なのだとしたら、イラクやイランなどを都合のいい国に、つまり更地に、つまりアメリカの価値観に叶う人間達の住む地域に変えることは、至上の正義の遂行に他ならないのだろう。
 そして今、我々はその渦中にあり、その潮の勢いを増そうとしているのだろう。
 さあ、未開の世界を更地に変える闘いに参画しよう!ってか。

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