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2005/08/09

E.モーガン著『子宮の中のエイリアン』

 小生は、エレイン・モーガンの(著作の)ファンである。
 少なくとも、出る本を次々に読んでいくという意味では、ファンという意識はなくても、結果としてそのようになっている。
 これまで、読んできた本をざっと列挙してみると、「女の由来」「人は海辺で進化した」「進化の傷あと」「人類の起源論争」であり、本書はそれに引き続くものである。
 が、本書は、実は、「人類の起源論争」以前に出されていた本で、何故か読み逃していた。どうも、タイトルで、彼女のこれまでのテーマから外れるような、際物に飛びついてしまったんじゃないかと勝手に思い込んでいたような気がする。
 実は、この本を買ってみようと思ったのは、あるネット仲間の方が妊娠されたので、ふと、そういえば、モーガンに妊娠や胎児に関連する本があったと思い出したのだった。そうでもないと手を出さなかったかもしれない。
 出版社(どうぶつ社)の謳い文句によると、本書『子宮の中のエイリアン』について、次のように書いてある:

 子どもは他の誰のためでもなく、自分自身のために発達を遂げようとする。親もまた親自身の利益をはかろうとする。 人類進化の歴史は、母子間の葛藤の歴史でもあったのだ!

 テーマはまさにここに示された通りだと思う。
 次第に肥大化した人類の赤ちゃんの頭。胎児は母親の御腹の中でできるだけ育とうとする。けれど、あまりに頭が大きくなると、出産そのものが母体の危機になってしまう。

 そこで、そこそこに育ったところで出産と相成るのだが、しかし、人類という種の子どもは、それこそ、知的にはともかく、体力の面では、ほとんどの種の赤子より未熟なままに生れる。とても可愛い赤子。でも、ほとんど無力。
 だから、(母)親に全面的に依存するしかない。長い母親の保護。その期間の間に、御腹の中でも貪っていたけれど、その勢いにも増して赤ちゃんはたっぷり知的にも精神的にも栄養を貪る。
 今、(母)親としたが、人類においては、赤ちゃんの面倒を見るのは、主に母親の役目になっている。が、これは自明のこと、自然なことなのか、についても、彼女は持論(定説への異論)を展開している。
 本書の内容を片鱗でも知るのに、目次はとても役に立つだろう:

 小生がエレイン・モーガンの著書のファンになったのは、失業時代だった94年である。暇の徒然に、その頃近所に出来た図書館で本を片っ端から借りまくった。
 自腹で本を買うとなると、どうしても、自分の好きな書き手か、書評で評判の本などに限られる。興味を惹くけど、面白いかどうか分からない、買って損したらガッカリだし、という関心の上でグレーゾーンの本にはなかなか手が出せないものである。
 その点、図書館の本となると選り取り見取りである。小生は、時間のある今はチャンスだとばかり、書棚でちょっとでも目を惹いた本をドンドン借りていって、読み倒していった。一年あまりの間に三百冊ほどを読めた。発見も多かった。
 その発見した本の中に、エレイン・モーガンの「人は海辺で進化した」(望月弘子訳、どうぶつ社刊)があった。この本は、小生にちょっとした衝撃を与えた。その感想については、以前、書いたので、ここでは省略する。

 ともかく、人類が人類となる一歩は如何にして印されたのかについて、サバンナ説などがある中で、「人は海辺で進化した」の提示した説はとても魅力的なものに思われた。
 その後、彼女の本を物色し、さらに彼女についての本も読んで、人が海辺で人類となったという説には難があって、際物扱いされている面もあることを知ったのだった。

 この人類水辺(海辺)創生説については、下記のサイトが丁寧に分かりやすく纏めてくれている。一時は、海辺での創生は矛盾が大きいとして葬り去られるかに思われた説も、海辺ではなく淡水の水辺、つまり巨大な池などの水溜りでの生活を余儀なくされた時期がサルを人類たらしめたと考えると、必ずしも、荒唐無稽の説とも思えず、生き延びる余地があると考えられてきたのである:
 永井俊哉講義録 第147号「ヒトは海辺で進化したのか
 この講義はとても面白い。一読を薦める。
 
 E・モーガンの説が煙たがられたのには、説のユニークさもあったが(実際、この説を最初に唱えたのは、他の人である。彼女は女性の視点から捉え直し、忘れられがちだった水辺説を社会に提示したのである)、彼女がウーマンリブの波に乗っていたと見なされたことも大きかったようだ。その傾向は、確かに、「女の由来」に見られないことはない。

 上記の謳い文句にあるように、「定説は言う。人類の特性はすべて「彼」が草原の偉大な狩人になるために生じたのだと。だが、そこには「彼女」の側の視点がない。「彼女」は「海辺」で進化したのだ!」と、女性の側の視点を強調している。
 そう、彼女は女性の視点に拘ってきた方なのである。「女の由来」の中で、彼女が示した説には、大概の男性が顰蹙を買ってしまっても無理はない。最たるものの一つは次のようなものだ。E.モーガンは、人類最初の犯罪は、聖書が言うところの殺人などではなく、レイプであったという説を提示しているのだ!
 
 ま、そんなあれこれは抜きにして、本書『子宮の中のエイリアン』はとても読みやすく、且つ面白い。「人類進化の歴史は、母子間の葛藤の歴史でもあったのだ! 」という視点で書かれている。
 仮にこの視点が多少とも妥当なのだとして、もしかしたらだからこそ、母子間の愛情(愛憎)は深いのであり、また、その情念の深さと強さがまた、人類をより一層、情愛の深い(愛憎の激しい)人類たらしめているということになるのかもしれない。
                                     (03/11/11)

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