梅原猛著『日本の深層』
過日、梅原猛著の『日本の深層 縄文・蝦夷文化を探る』(集英社文庫刊)を読んだ。前回、読んだのは96年頃の事だから、わずか7年ぶりの再読となる。それというのも、縄文文化を探るというテーマでの読書をこのところずっと続けているので、改めて読み直してみる必要があったからである。
例によって文庫本の裏表紙から、本書についての謳い文句を示すと、以下のようである:
かつて東北は文化の先進地だった。亀ケ岡式土器に代表されるように、繊細で深みのある高度な縄文文化が栄えたのである。著者は東北各地を旅しながら、宮沢賢治など詩人たちの心の深層に耳を傾け、また土着の信仰や祭りの習俗・アイヌの言葉に、日本人の隠された魂の秘密を探り当てる。原日本文化論の新たな出発点を印す意欲作。
目次を見ておくと、素養のある方には、ある程度、内容について判断できるかもしれない:
序章 日本文化の源流を探る
1章 大和朝廷の前線基地、多賀城
2章 「大盗」もふれえなかった平泉文化の跡
3章 宮沢賢治の童話の語る日本人の隠された心の深層
4章 山人と神々の声のこだまする遠野
5章 強い自負と奔放な想像力をもつ東北の詩人たち
6章 洞窟の奥深く隠されたもの
7章 みちのくの果てに栄えた華麗な文化
8章 ディオニュソス的空想と熱狂の地、津軽
9章 「おしらさま」の意味するもの
10章 生霊、死霊の故郷、出羽三山
終章 新たな文化原理の発掘
会津魂の深層
山形紀行
8月、高校野球が今年限りで隠退を表明している木内幸男監督が率いる常総学院(茨城)が優勝し、東北(宮城)が惜しくも涙を飲んだ。決勝戦前後の頃、紙面などを「東北が悲願の“白河越え”にあと1勝」とか、「白河越えならず」といった見出しが賑わせていた。
その表現について、9月4付けの朝日新聞の朝刊だったか、「白河越え」というのは差別表現なのでは、というある女性公務員の方の投書が載っていた。
何気なく「白河越え」という言葉を読んでいたけれど、彼女のご主人が、これは差別表現なんだよ、子供に関係する記事でこんな表現が使われるのはどうかと言われ、感じるところがあったという趣旨だったと思う(手元に当日の新聞がなく、小生の記憶で書いている)。
小生は、この表現について深く考えたことがないので、5日、帰宅して「白河越え」についてネット検索してみた。
すると、翌日のネットで読む産経新聞の中の産経抄:Page One Column に、この投書を扱った記事が載っているのを見つけた:
内容は上掲のサイトを見て欲しいが、いかにも産経グループという予想されるものだった。
白河というのは、昔は歴史の因縁にちなむ地名だったが、今では日本語の多彩な表現の一部に成っている。そんな言葉を差別表現だと言うと、一種の言葉狩になってしまう。司馬遼太郎氏の「奥州」に郷愁の思いが灯るという考えを紹介し、東北には三内丸山遺跡もあり、文化の高さを示していると付け加えている。
だから、今更、白河越えという表現に目くじらを立てるなという趣旨だと理解する。
確かに、「地名にはみな深い由緒があり、古い文化があり、長い歴史がある。当然ながら人間の哀歓が宿り、明暗こもごも入りまじる。その暗だけを見て、“差別語”などと排斥する」のは、物事の反面しか見ていないことになりかねないのだろう。
が、しかしながら、歴史に学ぶとしたら、東北(や北海道など)の差別され貶められた歴史をしっかり学ぶ必要があるし、そうした過去の歴史が共有されていない現状を憂える必要がまずあると思う。
そうした知識が共有されないままに、白河越えが日本語の多彩な表現の財産としか扱われないとしたら、やはり何か足りないのじゃないかという気がする。
最低限、歴史にしっかり学び、知識が共有された上での日本語の多彩な表現であって欲しい。
そうした考えもあって、小生は少しずつ日本の文化の深層をなしている可能性のある縄文文化に関心を持ちつづけているわけだ。
その意味でも、本書は読みやすく面白い。本書の紹介は、例えば下記のサイトが分かりやすい:
必ずしも梅原氏の見解全部を受け入れるわけではないが、80年代半ばに示されたその洞察に敬服する。
一番、首肯された点は、上掲サイトの言葉を引用すると、「東北は、なぜ優れた文学者が多く輩出するのか?宮沢賢治、太宰治、石川啄木等々…。彼らには九州人のノーテンキな私にはじれったいほどの粘りと重さと深みがあり、それに冬は雪で長い間閉じ込められる生活・風土から生み出された心性であるという単純な説明がされていました」…
そうした常識に対し、
「何よりも何千年も豊かな狩猟採集の高度な文化を築き上げてきたた縄文人の土地に、特に平安時代以降、大和朝廷から何度にもわたって侵略を受けてきて、西から稲作農民が定住するようになり、結果的に稲作を主体とする大和朝廷に制圧された結果、自然と一体となっていた代々の信仰や文化体系が壊されたための、アイデンティティの喪失感から、自然と東北人は内省的な傾向になったのではないかということを、筆者は示唆して」いる点である。
ところで、本書の中で、十三湊のことに触れられていた。長く、幻の中世都市と見なされてきた、あの十三湊である。津軽一体を支配していた安東氏の居城があったところとされている。
居城を含めた一帯は、興国元年(1340年)に巨大な津波で湖底に沈んでしまったのである。その湖とは十三湖であることは言うまでもない。
梅原氏は、「かつての安東氏の栄華のあとは、今は十三湊の底深く沈められているようだであるが、もしもそれが発掘されるようなことがあれば、なにが出てくるかわからないといわれる。中央の史書が秘して語らなかった歴史の真相が、この十三湖の湖底に眠っているように思われる。」と書いている。(p.172-3)
本書が最初に公刊されたのは上記したように、80年代の半ばだった。しかし、その頃からそれなりの歳月が経っている。
知る人は知るように、幻の中世都市・十三湊の全貌が現れつつある。「このまちは興国年間(1340-46)の津波によって壊滅し,何も残らないと信じられてき」たが、「十三湊は,実は日本海と十三湖に挟まれた砂州の上に,完全な状態で残されていた」。「 1991年の歴博の調査を契機にはじまった発掘は,その全貌を刻々と明らかにしつつ」あるというのだ:
さらに詳しくは、下記のサイトを参照:
「よみがえる十三湊(とさみなと)遺跡」
「十三湊こそは日本の北の境界に位置する、西の博多とも並ぶ国際ターミナルだったのである。「十三(とさ)」という地名自体が、トー・サム(湖・のほとり)というアイヌ語と思われることも、北へとつながるその性格をよく示している」という。
歴史の底を探ると何が出てくるか分からない。歴史の厚みのある言葉について、早計に日本語の多彩な表現などと言わず、まずは謙虚に歴史の声、地の底に眠る声に耳を傾ける必要が、まだまだあるように思われる。
原題:梅原猛著『日本の深層』雑感(03/09/07)
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