« 稲岡耕二著『人麻呂の表現世界』 | トップページ | 都出 比呂志著『王陵の考古学』 »

2005/06/19

モーパッサン『短篇選』

モーパッサン『短篇選』の周辺散策(03/07/24)

 最初から断っておくが、モーパッサンの短篇や文学について書評を試みようという気は全くない。あくまでモーパッサンを巡るあれこれを書き連ねるだけである。ま、当てもなく散歩するようなものだ。
 今回、読んだのは、モーパッサン『短篇選』(高山鉄男編訳、岩波文庫刊)である。
 せっかくなので裏表紙にある謳い文句を引用しておこう:

鋭い観察力に支えられた,的確で抑制のきいた描写,結末の何とも言えない余韻. 師フローベールの教えを受け,モーパッサン(1850-1893)は19世紀フランス文 学を代表する短編小説の名手となった.その300篇以上にも及ぶ短篇作品の中から, 「ジュール伯父さん」「首飾り」など,厳選に厳選を重ねた15篇を収録した.新訳.

 ギイ・ド・モーパッサン(Guy de Maupassant/1850-1893)は小生が学生時代に魅了され、『女の一生』は勿論だが、特に彼の短篇集は繰り替えし読んだものだった。『脂肪の塊』など、幾度読んだことだろう。短篇の至上の傑作というと、小生はこの作品をすぐ思い浮かべてしまう。『脂肪の塊』についての書評はネットでも数多く目にすることができる。たまたま目に付いたので、一つだけ挙げておく。

 短篇集で比較的最近、見出した傑作というと、ダフネ デュ・モーリア著の『鳥―デュ・モーリア傑作集』(務台 夏子訳、創元推理文庫刊)が筆頭だろう。『レベッカ』に遠い昔、感激した記憶がかすかに残るが、短篇には手が出なかった。単に知らなかったからに過ぎないのだが。
 『鳥―デュ・モーリア傑作集』のレビューを読む:

ある日突然、人間を攻撃しはじめた鳥の群れ。彼らに何が起こったのか?ヒッチコ ックの映画で有名な表題作をはじめ、恐ろしくも哀切なラヴ・ストーリー「恋人」、 奇妙な味わいをもつ怪談「林檎の木」、出産を目前にしながら自殺した女性の心の 謎を探偵が追う「動機」など、物語の醍醐味溢れる傑作八編を収録。『レベッカ』 と並び代表作と称されるデュ・モーリアの短編集、初の完訳

 たまたま書店で見かけて手にしたのだが、その際、ヒッチコックの映画の原作という点に後押しされて買ったのかもしれないと思ったりする。しかし、読み始めたら垂涎の作品集だったのである。
 しかし短篇の名手となると、今度はやはり大学時代に読み浸ったチェーホフを挙げないわけにはいかない。特に『退屈な話・六号病室』(湯浅芳子訳、岩波文庫刊)の印象は強烈なものがある。さらにロシアの短編作家というと、ガルシンの名を逸するわけにはいかない……云々と、キリがなくなってしまうので、モーパッサンに戻ろう。
 と思いつつ、訳者の湯浅芳子というと、結構、懐かしい。彼女の訳にはかなりお世話になっている。参考のため、彼女の年譜など、眺めてみてもいいのかも。

 とにかく小生の中で、モーパッサンの短篇はどれも素晴らしい。中でも『脂肪の塊』は至宝だと思っているのである。

 あちこち覗いて回るこの小文なので、ついでに関係ないけど、もう少し、また寄り道してみたい。この岩波文庫版を手にして疑問に感じたことがある。それは、この岩波文庫の表紙をルノワールの「小舟」という作品が飾っている。どうしてルノワールなのだろうか、という点である。
 参考のため、ネットでルノワールの「小舟」を検索してみた。
 この画像は、このサイトで見つけた。

 またまた、余談だが、このサイトでは御覧の方は分かるように、何故か、ルノワールと一緒に、小生の大好きなフリードリヒの画像も見られるようになっている。学生時代に好きになり、78年に上京したその春・四月だったか、上野の国立西洋美術館で「フリードリヒ展」を見られたのは、まるで東京が小生を歓迎するための宴を張ってくれたような気がして感激したものだった。
 せっかくなので、実物をとは言わないが、せめて上掲のサイトで、是非、フリードリヒの絵を見て欲しい。

 ああ、また、話がずれている。どうしてルノワールとフリードリヒが並んでいるのだろう……、じゃない、どうして岩波文庫のモーパッサン短篇選の表紙をルノワールの「小舟」が飾っているのだろう。
 モーパッサンとルノワールとは何か関係があるのだろうか。
 たとえば、作家・プルーストはルノワールも好きだったと言われている。
 しかし、ネットではモーパッサンとルノワールとの関係は分からなかった。
 それとも、単に日本では過大に評価されているルノワールの「小舟」という愛らしい絵画を載せておけば、書店などで平積みに置いたら、小生のようなミーハーの気を惹くとでも思ったのであろうか。
 残念ながら書店では、棚に並べられ背のタイトルしか見ることができなかったし、小生はモームなどを読んで、ああ、久しぶりにモーパッサンを読みたいと、その名前だけで選んだ次第である。
 モーパッサンのアイロニーに満ちた世界とルノワールの世界とは、相容れないとは言わないが、小生には違和感を覚えさせる。
 さて、袋小路から抜け出る意味もこめて、最後にモーパッサンの年譜を見てみ
よう。
 モーパッサンというと、フローベールを連想する。モーパッサンの「女の一生」とフローベールの「ボヴァリー夫人」が、女の一生ものとして双璧だからなのだろう。
 このサイトによると、フローベールがモーパッサンに影響を与えたという意味で、文学的にもだが、実際にも彼らの一族は交流があったと言う。たとえば、モーパッサンの祖父がフローベールの名付け親になったとか。
 そのフローベールがモーパッサンをパリの文学サークルに連れて行ったとか。
 ま、この辺は、文学通の方には常識なのだろう。
 それにしても、43歳という死は早すぎる。実際にはその数年前に精神的な変調を来たしていたのだから、文学的営みという意味では、きわめて短い期間に限られていたのだ。そうした予感がモーパッサン自身にあったのだろうか。
 時間がタップリあれば、いい仕事ができるとも限らない。モーパッサンの文学と人間的成熟というのは似合わない気もする。それでも痛ましいことは痛ましいのだ。

|

« 稲岡耕二著『人麻呂の表現世界』 | トップページ | 都出 比呂志著『王陵の考古学』 »

書評エッセイ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: モーパッサン『短篇選』:

« 稲岡耕二著『人麻呂の表現世界』 | トップページ | 都出 比呂志著『王陵の考古学』 »