ワトソン/ベリー著『DNA』
別頁に掲げる小文は、季語随筆「遺伝子という蛍?」(2005.06.03)の中から書評エッセイに関わる部分を抜粋したものです。
扱っているのは、ジェームス D.ワトソン著 アンドリュー・ベリー著『DNA』(青木 薫 訳、講談社刊)。
「DNA」とある。そこから、かのマーロン・ブランド主演、ジョン・フランケンハイマー監督映画『D.N.A.』を連想してはいけない。小生と同じ轍を踏むことになる。こちらの映画は、H・G・ウェルズの『モロー博士の島』という立派な原作がある。
映画の内容については、「D.N.A(96米)」を参照。ネタバレもあるから(といって、原作だってあるわけだし、今更、関係ないが)、気をつけて覗いてみて。
いっそのこと、「D.N.A.(みんなのレビュー)」などを覗いた上で、映画の『D.N.A.』を鑑賞し、そこから原作の『モロー博士の島』を創造し直してみるのも一興かも。
さて、気を取り直して、本書『DNA』は読み応えがあった。書き手が論争の的となることを厭わない率直な書き手なので、時に微妙な問題でも、何が問題点なのかを真正面から語ってくれて、とても参考になった。遺伝子研究などの問題は、実に複雑多岐に渡ると実感する。複雑…けれど、専門家であろうが素人であろうが、誰彼にお構いなしにどうすると選択を迫られる場面が遅かれ早かれやってくるのかも。他人事でも、学問的な好奇心で収まる話でもないのである。
ジェームス D.ワトソン著 アンドリュー・ベリー著『DNA』(青木 薫 訳、講談社刊。文庫版が今春、出たばかり!)を読了した。小生は早とちりというのか、二重らせん構造が発見されるまでのドラマが、当事者(たち)の手により、学問状況を背景に描かれている本だろうと思い込んで借りてきた。
二重らせん構造が発見されてから既に50年、功なり名遂げた一角の人物の自伝だろう、この歳になっても自伝や伝記の類いの好きな小生のこと、実話の物語を読むのも一興だろうと、そんな単純な動機で借り出したのだった。
が、その手の本は、一九六八年に出版されていた(原書)。ジェームス・D・ワトソン著『二重らせん』( 中村 桂子/江上 不二夫訳、講談社文庫刊)と、既に文庫本にも訳書が入っている、その本である。
小生は未読なのだが、出版社側のレビューによると、「生命の鍵をにぎるDNAモデルはどのように発見されたのか?遺伝の基本的物質であるDNAの構造の解明は今世紀の科学界における最大のできごとであった。この業績によってのちにノーベル賞を受賞したワトソン博士が、DNAの構造解明に成功するまでの過程をリアルに語った感動のドキュメント」だという。
では、本書『DNA』とは。
本書の性格は、上掲の「amazon.co.jp」の中に原書ハードカバーのレビューから転載という形で、紹介されている。つまり、「ワトソンと共著者のアンドリュー・ベリーは、メンデルからゲノム配列解析までの遺伝学の歴史を明確に分かりやすく説明している。また、近代科学のエキサイティングな歴史のよく知られている事実の背後にあることを、ワトソンは臨場感あふれる筆致で描き出す。彼は、遺伝子工学とクローン技術への執着を生み出した研究上の抗し難い魅力を喜々として報告してくれる」とか、「多くのイラストと写真を使うことで、ワトソンは、いわゆる遺伝子工学の「セントラル・ドグマ」であるタンパク質の合成の仕方が記述されているDNAコードを、いかに科学者が解読したかを、熱っぽく解説」してくれている本なのである。
[文中にも出てくる共著者のベリー,アンドリューは、「ショウジョウバエの遺伝学で博士号を持ち、ハーバード大学比較動物学博物館の助手をつとめる。ライターでもあり、また編者として生物学者アルフレッド・ラッセル・ウォレスの選集にも携わった」という。
ついでながら、訳者の青木 薫さんは、「1956年山形県生まれ。京都大学理学部卒業、同大学院修了。理学博士。専門は理論物理学」というが、この方の訳されたサイモン・シン著『フェルマーの最終定理――ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで』(新潮社)やイアン・スチュアート著『2次元より平らな世界――ヴィッキー・ライン嬢の幾何学世界遍歴』(早川書房)、ジョージ・ガモフ著『不思議宇宙のトムキンス』(白揚社刊)、アミール・D. アクゼル著『「無限」に魅入られた天才数学者たち 』(早川書房刊)、D. ルエール著『偶然とカオス』などは小生も楽しく読ませてもらった。]
前半については、DNAがバイオ技術などと絡んで、学問の領域を遥かに越え、バイオビジネスの世界に広がり、それどころか企業や国家などの思惑が錯綜している過程が、まさに一番深く関わった当事者として描いてくれている。
本書の後半こそが本書の真骨頂なのかもしれない。遺伝子操作技術が現実のものとなって、遺伝子組み換え農作物や塩基配列特許、DNA鑑定が、今や我々の生活に密接に関わり、まさに学問という象牙の搭どころか企業や国家に難しい問題だからとゲタを預けて済む問題ではなくなっていることを示す。
トウモロコシなどの遺伝子組み換え農作物については、専門家だからこそ、一般の世間に疑惑の念で見られていることへ、はっきり残念だと述べている。遺伝子組み換え技術で害虫を寄せ付けない形で農作物を育てることの齎す可能性の上の危険性と、除草剤などを使う危険性とどちらがどうなのかを冷静に判断して欲しいという考えを示している。
胎児の段階で、それどころか遺伝子診断で結婚する前に、その男女の結婚だと生まれる子供の遺伝子異常の可能性がある程度、あるいははっきりと診断でき、それでも結婚し子供を産むのかどうかの判断が迫られる。決定するのは当事者である、医学的にも遺伝子についても専門的知識の乏しい一般人なのである。
本書(の後半)では、「優生学」の負の歴史にも敢えて言及している。遺伝子診断も遺伝子操作も、どうしても過去の「優生学」の色彩で見られがちだというのは、専門家にとっては特に残念な傾向だろう。
しかし、「優生学」ではないのだとしても、そうなりかねない現実がある以上は、敏感にならざるを得ないのは当然なのかもしれない。ただし、可能な限り正確な知識を求める必要があるし、専門家もどんな可能性があるのかについて、分かりやすく情報を提供する責務があるのは当然かもしれない。
将来、遺伝子治療が幾つかの個々の病気について可能になっていくのだろう。実際、既にそうした話題はマスコミでも扱われている。
その際、こうした治療は高額な費用を求められるという現実がある。その人の今あるのは、環境のせいか、それとも生まれなのか、という昔ながらの議論がある。生まれ持っての才能が花開いたのか、それとも才能はそこそこだったかもしれないが、生まれ育つ環境が、たとえば、周囲に知的関心あるいは音楽など芸術的関心、それともサッカーや野球、テニス、ゴルフなどのスポーツをエンジョイする人が何人もいて、そうした結果としての英才教育的な環境がその人に他の人と際立った違いを齎している…。
が、仮に知的刺激、芸術的素質が遺伝子操作で豊かなものに改変できるとして。
そうした遺伝子操作にチャレンジできるのは、裕福な家庭環境にある人に限られるのは、当分は(あるいはずっと?)冷厳なる現実でありつづけるのだろう。
別に遺伝子治療でなくても、高額な費用の要る治療は、初めから諦めてしまっている現実があるのではないか。また、何かの病気について、何処にどんな専門的知識と経験を持つ医者がいるかという情報も、これも、コネが関係し、人脈を有するかどうかに関わり、お金持ちはやはり圧倒的に有利な現実が歴然とある。
遺伝子治療も、そうした趨勢を加速させることに終わる可能性もある。
また、先天的な遺伝子異常の有無(の情報)と保険(保険料)とも相関する。
さて、ワトソンは、遺伝は育ちを決定する因子ではなく、ポテンシャルを示すに過ぎないと論じている。遺伝子は利己的かもしれないが、人の心は生まれ持った素質を凋ませることも花開かせることも、本人の努力や意志次第の側面が大きいということか。
なるほど。けれど、遺伝子の異常で生まれながらに肉体的精神的ハンディを背負うというのは、ポテンシャルを相当程度に制約するものなのではないか。
難病の克服から犯罪捜査までDNAは、ますますその威力を発揮していく。
いつか、機会を設けて、DNAの現実の社会での持つ意味などを簡単にでも調べてみたい。
たとえば、「容疑者DNA情報、データベース化へ 有識者会議で賛同」というニュースがつい一昨日だったか、報道されたばかりである(「asahi.com 2005年6月1日」より)。つまり、「警察庁は1日、全国の警察本部が犯罪捜査のために容疑者から採取し、それぞれで保存しているDNA型情報を8月にもデータベース化することを決めた」というのだ。
「型情報のデータベース化は昨年12月、事件の容疑者が現場に残した体液などに限り、運用が始まった。県境をまたがった事件でも同一犯かどうか分かり、各都道府県警が警察庁に容疑者の型情報を送って照会すれば余罪の有無が判明する仕組みになった」というのである。
「データベース化される型情報は、鑑定方法が整った03年8月以降のもので、今年4月現在で容疑者からと現場からの計約3000件。容疑者の罪種は定めず、どのような犯罪でも捜査の過程でDNA鑑定が必要と認められれば、裁判所の身体検査令状と鑑定処分許可状をもとに採取、蓄積する。採取は主に血液を注射で抜き取り、口内の粘膜を取る方法もあるという」から、犯罪捜査という面では心強いが、こうした態勢が整うと、そのうち拡大して情報が集積されるようになる傾向が見受けられるから、成り行きを見守る必要がありそうだ。
それにしてもDNAに限らず、医学に限らず、学問や科学・技術の世界の進展は凄まじく早い。本書の著者ワトソンは、率直な方で(自評するところ粗野)、本書が世に出る頃には書かれた内容は古くなっているだろうが、などと臆面もなく遠慮もなく書いてくれる。
そんな方だから、誤解を恐れず、議論の的となることにひるむことなく、DNAに関連する諸問題を語ってくれる。しかも、分かりやすく。小生には提示された問題を考え尽くす力などないが、本書が再読に値する本であることは間違いない。
最後に参照となる頁、関連するサイトなどを幾つか挙げておく:
●「QOLeLifeLine遺伝子治療と再生医療」
これは、「看護師等の医療専門職・有資格者により制作してい」るという。
●「Oxford Ancestors」
ミトコンドリア・イヴ伝説と呼ばれる説がある。ミトコンドリアDNAの塩基配列をたどっていくと、現生人類はすべて約20万年前(本書では15万年前)のアフリカにいた女性に行き当たり、そのアフリカから現生人類はヨーロッパやアジアなど各大陸に渡ったのだ、というのがイヴ伝説。
「オックスフォード大学のブライアン・サイクスは、現代ヨーロッパの複雑な遺伝的地図の解明に力を注いできた」人物。「従来は、地中海とペルシャ湾との間の肥沃な三日月地帯で農業を発明した中東の人々に発するとされていた」が、「サイクスは、大半のヨーロッパ人の祖先は、肥沃な三日月地帯ではなく、中東の人々侵入する以前にユーラシア大陸中央部から移住してきた、いっそう古い種族にさかのぼれることを発見した」という。
さて、「サイクスはmtDNAの解明を進め、ほぼすべてのヨーロッパ人は、「イブの七人の娘たち」のうちの誰か一人の子孫だと主張した。つまりヨーロッパ人のmtDNAの系図には、驚くほど少数の幹しかないということ」を示したのである。
「彼がオックスフォード大学と共同で設立した「オックスフォード・アンセスターズ」は、あなたのmtDNAの一部を使って、あなたが「イブの七人の娘たち」のうち誰の子孫なのかを有料で調べてくれる」という。
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