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2005/06/25

岡本太郎著『今日の芸術』

「原題:岡本太郎著『今日の芸術』あれこれ(03/07/28)」

 縄文文化を探る一環として宗左近著『日本美・縄文の系譜』 小山修三著『縄文学への道』などを読んできた。今度、その延長で、岡本太郎著『今日の芸術』を再読した。
 前回、読んでから未だ5年も経ったかどうかで読むのも、そういう意図があったればこそかもしれない。
「芸術は爆発だ!」という一斉を風靡したというか、時にその眼を剥いた生真面目さ、真剣みに辟易して、揶揄がちに見られたりもした。その彼が今、見直されている。

 岡本太郎は、自分の目と感性を何よりも大事にする。芸術家として当たり前のようでいて、実に勇気の要ることだと思う。どうしたって、同時代的には、その時代に常識として通用している価値観がのさばっている。優秀な美術評論家が海外の動向を勉強して、薀蓄を傾けてくれる。その高邁な眼がどうしても気に掛かるものだ。その枠組みから食み出して独自の世界観、価値観を打ち出すというのは、想像を絶する己の目への自信がなければ、ただの一歩さえ踏み出せない。
 いや、己の目への自信という言い方自体が、岡本太郎の生き方からしたら愚かしいのかもしれない。自分に自信があるかどうかではなく、そのように感じるから、そのように主張し、そのように行動するだけの話なのだろう。

 歌人・小説家の岡本かの子の息子として彼は生まれている。父は漫画家の岡本一平である。
 岡本太郎自身による両親、つまり岡本かの子と一平へのシビアーな批評が読める本がある。それは、岡本太郎・著『芸術と青春』(光文社知恵の森文庫)である(但し、小生は未読)。以下のサイトで、鹿島茂氏の書評が読める。その評がなかなか面白いので、ちょっと閲読するのもいいかも。

 芸術家的直観と感性で生きているようでいて、実は冷徹な批評眼のあることが察せられるのではなかろうか。

 さて、岡本の曇らない目が、日本の縄文観を揺るがせたことは有名である。
「岡本はたまたま立ち寄った東京国立博物館の考古学のコーナーで、縄文土器に出会う」のである。1951年のこと。以下、その時のエピソードなどは、ネットでもいろいろ知ることができるが、下記のサイトをここでは参照したい。

 彼の発見と衝撃が、やがて「1952年(昭和27年)、美術雑誌「みづゑ」に「縄文土器論」が発表される」に至るのであり、この「縄文土器論」が「この後、梅原 猛などが学者の立場から縄文文化論を展開していくこと」に繋がったのだし、「梅原氏自身も、岡本の論文に刺激されて自ら縄文への眼差しを深めていったことを認めている」
 この「縄文」という頁では、岡本太郎が、「今夜は最高」というタモリの番組に出演したことに触れている。
 偶然だったが、小生も、岡本がタモリの番組に出て、例によってタモリが岡本の仕草を真似たりして、それが岡本をひょうきんなタレント扱いにするようで、何か見ていて悲しいような、辛いような、勝手な危惧を抱いていた。
 どう岡本は乗り切るのかと思ったら、彼はタモリの茶々など平気で且つ、持ち前のパワーでタモリを圧倒していた。
 見方に依れば、タモリの冗談も分からないほどに真面目だという言い方もできるし、ある意味、世間的な常識の枠に最初から嵌るはずもないということだったのかもしれない。
 そう、小生の、世間的常識に凝り固まったちっぽけな危惧など、歯牙に掛けない、掛からないということなのだろうか。

 とにかく岡本は、縄文土器の価値を、単に考古学などの資料的なものに止まらないことを世に喧伝したのである。
 既に見慣れているかもしれないが、ここで改めて、例えば、火焔式土器の凄みを感じてもらいたい。
 岡本がどんな縄文式土器を見たのか小生は知らないが、その泥臭い、何処か無骨な、しかしそれだけに根源的な生命力の横溢を実感させる縄文土器の世界は、岡本をある意味開眼もさせたのではないかと思う。

 ここで岡本太郎の年譜を見てもいいだろう。

 そう、小生が最初に岡本太郎の存在を、しかも強烈な印象を以って知ったのは、1970年の大阪で開催された万国博によってだった。そのシンボルゾーンに「太陽の塔」「青春の塔」「母の塔」を含むテーマ館が作られたのだが、その「太陽の搭」の作家として小生の脳裏にしっかり刻まれたのである。
 小生はその頃、初めて好きになった美術の授業で少しずつ、絵画の世界に関心が向きつつある時だった。そのときの美術を受け持っていた先生は、授業で、放任ではないが、わりに自由に絵を描かせてくれた。
 その時、小生が描いた作品は未だ田舎の屋根裏部屋の梁の上辺りに残っているかもしれないが、はっきり言って駄作だ。しかし、出来不出来を無視して意図だけに注目するなら、思いっきり抽象画だったのである。
 イメージとか感性だけで描くこと。自由に描くこと。下手でも構わないということ、好きに描けばいいってことを、美術の先生は授業において雰囲気の形で小生に教えてくれた。
 その年、同級生にダリ好きなTという奴がいて(彼は後に美術史の研究者となった。この彼も目が大きかったな…)、彼にも影響されたし、授業でよくダリやキリコやピカソなどの絵の映写会を開いてくれた。絵画にも無知な小生をびっくりさせてくれた。一種の衝撃を受けたのである。
 その前年に『ジェイン・エア』で文学に目覚め、やがて関心は文学からデカルトやパスカル、ベルクソン、ラッセル、親鸞、西田幾多郎、三木清などの哲学や宗教へ移していったが、絵画の世界の魅力に浸る歓びを知ることができたのは、先生のお蔭であり、ダリ好きな彼の影響であると思っている。
 そしてその頃、相前後して岡本太郎の存在を知ったのである。

 「太陽の塔」には、無骨なもの、それでいて真っ直ぐなものを感じる。太陽のようにパワフルで、何かの役に立つとか、どんな意味があるかとか、そんな小生が通常抱く陳腐な感懐を圧倒し去るものがあった。
(但し、念のために断っておくが、「太陽の搭」なる作品を(テレビなどで)観ても、迫力は感じても、感心は全くしなかった。当時も今も、である。そのことは、かれの絵画作品についても同じだ。)

 それにしても、岡本太郎も凄いのだけど、彼をテーマ館の総合プロデューサーに選んだ人も凄い。随分と思い切った登用だったのではないか。その選択が結果として万博のインパクトを強めることになったことも間違いない。
 というか、大阪の万国博覧会に行っていない小生は、万博というと、岡本太郎の「太陽の塔」しか印象に残っていないのである(そもそも、愛知万博も含め、小生は万博という発想が嫌い、少なくとも興味が湧かない…、いや、正直なところ、本当は大嫌いなのかもしれない)。

 さて、しかし、翻って自分を思うと、悲しいかな岡本太郎的要素の欠片もない。大地の根源から湧き出る生命力など、物心付いた時から、縁遠いものだった。自らの目を恃む勇気など、体を思いっきり絞っても、一滴だに滲まない。
 だからだろう。ある意味、反発した。いや、反発という大袈裟な反応ではなく、太陽のギラギラとした容赦ない炙り出しの故にしなびる青菜だったのである。せめて地に根っこがしっかり食い込んでいたなら、少しは反発もできたかもしれないが、しばらくはもっと陰気な世界でウロウロするしかなかったのである。

 肝腎の本書についての感想が、まるでない。
 せめて本書の背表紙の宣伝文句だけ引用しておこう:

今日の芸術は、うまくあってはならない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない」。―斬新な画風と発言で大衆を魅了しつづけた岡本太郎。この書は、刊行当時、人々に衝撃を与え、ベストセラーとなった。彼が伝えようとしたものは何か?時を超え、新鮮な感動を呼び起こす「伝説」の名著、ついに復刻。

 ついでに付言すると、この覆刻版『今日の芸術―時代を創造するものは誰か』(光文社文庫刊)では、序文を横尾忠則が、解説を赤瀬川原平が書いている。
 本書が最初に世に出たのは1954年である。実際に書かれたのは53年。縄文の衝撃が覚めやらぬ時だったとも言えるかもしれない。本書が世に衝撃を与えて既に半世紀が経過した。しかし、本書は今も新鮮なのである。

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コメント

こんばんは。
岡本太郎というと今メキシコの「明日の神話」の壁画を日本に持ち帰れないかと話題になってますね。
川崎市岡本太郎美術館でもその企画展示をやるようなー。
北朝鮮の核が現実味を帯びる今、岡本の思想は注目されていいですよね。

投稿: oki | 2005/06/30 00:40

「asahi.comのニュース」によると:

美術家・岡本太郎(1911~96)がメキシコで描いた巨大壁画「明日の神話」が日本で修復・公開されることになった。30年以上も所在が分からなくなっていた傑作で、再生の道を探っていた岡本太郎記念現代芸術振興財団が取得した。
壁画は縦5.5メートル、横30メートル。岡本の絵画としては最大で、68~69年に制作された。題材は核が炸裂(さくれつ)する瞬間で、中央には火に焼かれる骸骨(がいこつ)。コンクリート板にアクリル絵の具で描かれている。
メキシコ市に開業するホテルのために制作されたが、経営状態の悪化で開業せず、壁画は行方不明に。岡本太郎の養女で、4月に亡くなった岡本敏子さんが03年9月、同市近郊の資材置き場にあるのを確認した。
何度も保管場所が変わるなど保存状態は悪く、一部は欠落している。
5月末に日本に運ばれた。今後は愛媛の工場で1年から1年半かけて修復される。プロジェクトには数億円かかる見込みで、財団は企業や個人の寄付を募っている。修復後に壁画を公開し、恒久展示する団体などに寄贈する予定だ。
(転記終わり)
この先は、「http://akaboshi07.exblog.jp/886214」を参照のこと。

>北朝鮮の核が現実味を帯びる今、岡本の思想は注目されていいですよね。

 すみません。この一文が理解できない。

投稿: やいっち | 2005/06/30 01:56

川崎の展示見てきました。
ヒロシマの碑文に「甘ったれたいやな文句」と書くように常に現在を見つめ、瞬間燃焼しようとした岡本の姿勢が読み取れました。
北朝鮮はまあ一種マスコミが六カ国協議云々、核の査察云々といっていることをそのまま言っただけで不穏な時代になったといいたかっただけ、それにしても岡本敏子さんの死は惜しまれますね

投稿: oki | 2005/07/22 00:49

こんにちは。相変わらず旺盛な意欲を示されてますね。小生は、全く動いていないだけに眩しい。
「ヒロシマの碑文に「甘ったれたいやな文句」と書」いていたというのは初耳。だったら、凄いね。原爆だからって、いつも感傷的に、しおらしい態度で居ればいいというものではない。
もっと激しさとしみったれた道徳や倫理観など吹き飛ばす凶暴さがないと、残虐さに向き合うことなどできるはずがない。
小生に、掌編ですが、原爆をテーマにした作品があります:
「闇に降る雨/黒い雨の降る夜」
 http://homepage2.nifty.com/kunimi-yaichi/essay/blackrain.htm

岡本敏子さんが亡くなられたことで、岡本太郎の仕事が一頃のように玩具的に扱われるようになりそう:
 http://www.taromuseum.jp/toshiko.htm

投稿: やいっち | 2005/07/23 11:56

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