松本隆対談集『KAZEMACHI CAFE』
過日、図書館から借り出してきた『KAZEMACHI CAFE』(ぴあ 2005/03/19刊)を読んでいる…それとも楽しんでいる…あるいは懐かしんでいる。
本書は松本隆対談集で、16人の対談相手がおり、「谷川俊太郎 桜井淑敏 林 静一 太田裕美 細野晴臣 佐野史郎 大瀧詠一 筒美京平 薬師丸ひろ子 藤井 隆 松 たか子 萩尾望都 松任谷由実 町田 康 妹島和世 是枝裕和」といった面々である。
小生は、作詞という時の詩と、所謂「詩」との区別や異同がよく分からない。作詞される方は、初めから曲となることを想定して作詞される(場合もあろうけれど)とは限らない。むしろ、作詞というより、あくまで作詩なのではないか。
この辺りの創作の心理は、分からない。
詩にも疎い小生、そんなに詩に親しんできたわけではない。むしろ詩を作詞の詞に広げていいなら、圧倒的に詞の世界に影響されてきたと思う。
詩を創造する方は尊敬する…というより、尊敬の念を以って見てしまう。が、小生、作曲される方のほうが遥かに強い、そう、もう、畏敬の念といっていいような感覚を抱いてしまう。
だから、むしろ、だからこそ、作詞の詞の世界に戸惑ってしまう。
曲、メロディ、リズム、伴奏、イントロ、間奏などと重なった形でしか詞と触れ合うことは、自分にはできない。ごくたまに、全く売れなかった曲、あるいは知らない曲の歌詞を<読む>と、場合によっては貧相とは言わないが、平凡な言葉や表現に過ぎないと、さっさと読み流してしまう。
これが、曲に載って詞と接すると、もう、そこには恋だったり夢だったり思い出だったりがイメージタップリに広がってくる。
一体、自分はメロディ(リズム)によって膨らまされた、つまり、もともとは空気の抜けた風船に過ぎないものが、曲という息を吹き込まれて言葉の世界の肌が見違えるように張りが出てきて、光り輝いている、そんな単に言葉の世界に止まらない別個の世界に没入されているだけなのか。
作詞の詞にはだから、今一つ、どう接したらいいのか分からないのである。
いつだったか、松本隆の詩集を書店で手に取り、彼の作品の数々を白い紙面を背景に読もうとしたことがある(それも何度となく)。が、必ずと言っていいほど、曲が鳴り出す。詩集に採り上げられるほどだから、多くの人が知る曲(作詞)だったりするから、当然なのかもしれないが、いずれにしても詩集を詩集として楽しむことができないのである。
で、それはそれでいいのかもしれない、とも思ったりする。
宮沢賢治の詩を読む。曲を付けられた詩もあるのだろうが、小生はまずはそんな試みに関心を持たない。自分には自分なりの宮沢賢治の世界があり、他の人の解釈で邪魔されたくないのである。作曲や編曲された方には申し訳ないけど、自分は自分なりの、曲とはなりえないかもしれないが、それなりのメロディラインやリズムで宮沢賢治の詩の世界を楽しんでいるのである。
そのためには、無音でなければならない。どんな素晴らしい演奏家も不在であってほしい。銀河鉄道の夜の旅は、自分ひとりで目を閉じたスクリーンに投影される音なき音の夢幻の世界をじっくりと見、感じ、一体化したいのである。
わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
宮沢賢治については、「幽霊の話は後に尾を引く」の中で若干のことを書いている。
さて、では、いわゆる作詞家の作詞、<詞>については、どうか。もう、曲などと一体のもの以外での形では読むことも楽しむこともできない。仮に白い紙面に書かれた(印刷された)作品を見ても、言葉がいい意味かどうか分からないが、言葉が浮き上がってくる。際立ってくる。メロディラインや編曲の音と一体になっていて、それはもう単なる言葉の世界ではありえず、まさに歌謡の世界なのである。
二十世紀には日本に限っても素晴らしい詩人がいる。誰と敢えて名前を挙げはしない。彼らの幾人かは今世紀に入っても名は残っており、詩が読まれつづけている。
が、そのうちの何人が今世紀の半ばに至るも読まれつづけていることか。
欧米にしても詩人はいる。が、ポピュラーソングだからなのだとしても、ビートルズの曲(歌詞と併せて)はあと半世紀は残りつづけることだろう。
さて、ビートルズの曲はともかく、歌詞は詩として抜群なのか。それとも、そんな問い自体がナンセンスで、曲と分離された詩だけのビートルズは、想像する事も叶わないことなのか。
たとえば、モーツァルトのオペラの歌詞は、素晴らしい歌詞なのか。同時代前後の詩人の詩と比べて遜色ないものなのか。遜色があろうとなかろうと、今世紀末まではモーツァルトのオペラも残りつづけるのだろう。歌詞が歌われつづけるのだろう。
どうやら歌謡曲という世界に向き合う必要があるのだろう。『梁塵秘抄』だって、歌謡だったのだろう。きっと誰彼によって俗謡として謡われていたのに違いない。伴奏があったのかどうか、一人で、それとも何人かが集まって謡ったのか、謡うとして日常においてだったのか、労働の最中だったのか、祭りなどの特別の機会にだったのか、あるいは上皇の前で遊女(あそび)や傀儡子(くぐつ)などの女芸人により、特別に披露されたものだけがたまたま拾い集められたに過ぎないのか。
遊びをせんとや生(う)まれけむ
戯(たはぶ)れせんとや生(む)まれけむ
遊ぶ子どもの声きけば
わが身さへこそゆるがるれ
この<歌>は、どんなメロディでどんな衣裳で、どんな舞台で、どんな状況で謡われたのだろう。無論、小生は知らない。が、小生は決して口に出すことなく、胸のうちで勝手なメロディやリズムなどを付して、あるいはメロディなどに載せて謡っている。
「万葉集」や「古事記」の一部、和歌。それらは声に出して読まれた…というより謡われた。祝詞も、たまにそれらしく聴かされるような神々しさと厳粛さ、荘厳さを以ってではなく、もっと土俗的でバイタリティ溢れていて、血とまでは言わないが、汗が飛び散るような、衣服にこびり付いた埃や泥にも塗れているような、そんなエネルギッシュな、それこそ、祝詞の「祝」が、本来は「呪い」の「呪」であったような、情念のはちきれんほどに溢れる謡い方をされていたに違いないと勝手に思っている。そうでなければ、古事記の時代まで歌い継がれるはずもなかっただろうし。
「口頭伝承の古代詞章の上の、語句や、表現の癖が、特殊な――ある詞章限りの――ものほど、早く固定するはずである。だから、文字記録以前にすでにすでに、時代時代の言語情調や、合理観がはいってくることを考えないで、古代の文章および、それから事実を導こうなどとする人の多いのは、――そうした人ばかりなのは――根本から、まちごうた態度である」と、折口信夫が言うように(「水の女」より)。
口頭伝承するには、口から出る言葉に息が吹き込まれないと、魂が入らないのだろう。
それにしても、古代においては、どんな魂が揺蕩っていたのだろうか。
曲と相俟っているからこその歌謡曲。実に不思議で魅力的な世界だ。
『KAZEMACHI CAFE』の書評をするのも、なんだか奇妙な感じだし、松田聖子や中原理恵、太田裕美らの曲と絡めた思い入れの形で書きたかったが、紙面が尽きた。
いつか、また、松本隆らの作詞の世界を扱ってみたい。
それにしても、久しぶりに松本隆のホームページを覗いてみたけど、一変していてびっくり:「風待茶房」
[ 本稿は季語随筆「KAZEMACHI CAFE…歌謡曲」(2005.06.06)から書評エッセイ部分を抜粋したものです。 (05/06/11 注記)]
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