レビー著『暗号化』
[ 本稿は季語随筆「暗号・季語」(2005.04.30)より、書評感想文部分を抜粋したものである。 (05/06/28 追記)]
スティーブン・レビー著『暗号化 プライバシーを救った反乱者たち』(斉藤 隆央訳、紀伊國屋書店刊)を過日、読了した。スティーブン・レビーというと、同じく彼の手になる『ハッカーズ』(松田 信子/古橋 芳恵訳、工学社刊)を思い起こされる方も多いかもしれない。後者はレビューによると、「本書では、’50年代のMITに端を発するマニアックなコンピュータ狂の天才少年たちが『ウォー・ゲーム』のモデルになるような無軌道ぶりを発揮しながらも妥協を拒み、官僚主義と戦いながら理想を追い求めていった姿を描く」というもので、なかなか大部の本である。
前者『暗号化』は、後者ほど大部ではないが、それでも500頁もある。筆者は人間像、人間関係、そうコンピュータやパソコンのソフト制作という、一般人からすると(小生からすると尚のこと)常識からは懸け離れているかのような世界の人間味、体臭をこれでもかと描いていく。
登場人物の多い、多すぎる小説のようで、同じ人物だけれど、百頁以上も先になってから不意に再度、現れてくるものだから(二度目以降の登場となると、人物紹介は繰り返してくれないし)読んでいるうちに、この人って誰だっけ、と、文章の流れに乗り切れなかったりする。
実際、本書のレビューにさえも、「巻末に短い用語集をつけて専門用語を解説しようと試みているが、これは中途半端なものにとどまり、あまり役に立たない。本文は、アメリカ人に見られるやや冗長な書き方をしている。行きつ戻りつしないで読み進めることができるように書いた、こうしたスタイルを読みやすいと思うかどうかは、読者によって個人差があるだろう。小さい文字で長々と書いたものよりも、もっとすっきり簡潔に要点をしぼった書き方を好む読者も多いのではないか」などと書いてある。
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