杉浦 日向子著『一日江戸人』
[本稿は、季語随筆「季語随筆日記拾遺…タクシー篇」(2005.05.21)より、書評エッセイ部分を抜粋したものです。]
今週は車中に杉浦 日向子著『一日江戸人』(新潮文庫刊)を持ち込んでいる。
杉浦 日向子さんというと、「NHK総合の『コメディー・お江戸でござる』を見ている人ならご存じの、江戸風俗研究家、杉浦日向子先生」である。
「なかなか天然ぼけでかわいらしいですよね」とあるが、素直に正直に、そうですね、と相槌を打っていいものか。
「過去には、漫画も描いていらっしゃいます」というが、どうやら、本書『一日江戸人』中の挿絵は、杉浦日向子さんご本人が描かれているようなのだ。
ようなのだ、とは、無責任な表現だが、本を幾ら引っくり返しても、挿絵は誰と銘記していないので(銘記してある箇所を発見できないので)、杉浦日向子さん本人の手になるものと推測するしかないのだ。他の方の絵なら、分かりやすい場所に誰々と銘記するはずだろうし。
で、文章も軽妙なタッチで、また、歴史の素人たる小生にも分かりやすいし、絵もコミカルで、時に艶っぽかったりして、しかも、絵に添えられる科白(ト書き?)も手書きで細かい文字で老眼の気のある小生には読みづらいが、なんとか頑張って読んで楽しんでいる。
この本を読んでいたら、天麩羅の話が出てきた。江戸時代で天麩羅というと、徳川家康を連想する人も少なからずいるだろう。小生も、昔、聴いた俗説で、家康は天麩羅を食べてお腹をこわして死んだ、という話を真に受けていたことがあって、けれど、調べてみたら、間違いだったと分かり、ちぇ! と思ったことがあった(何故、ちぇ! だったのか、覚えていない)。
「穴子の魚竹寿し」の「江戸食文化・天麩羅1」なる頁を覗いてみると、「天麩羅」についても詳しく書かれてある。
徳川家康に事寄せて引用させてもらうと「徳川家康が「鯛」の「てんぷら」を食べて腹痛を起こし、死亡したという俗説が知られているが、もしほんとうに食べたとしたら、江戸中期以降に庶民たちに好まれた天麩羅ではなく、ポルトガル料理「てんぷらり」であったと推測される」というわけである。
この点は、「ようこそ Heroの 《食べ物うんちく》 のページに」の「第四章 てんぷら ( 天麩羅 ) 考」では、「徳川家康がてんぷらが大好きで あまりにもおいしすぎたため 食べ過ぎて 命を落としたという俗説があるが 実際は 1616年 ( 元和2年 ) 4月 博多の貿易商人茶屋四郎次郎に教えられて 南蛮料理を食し 中毒をおこして 大腸カタルで落命した。鯛をカヤの油で揚げたから揚げだったのではないかともいわれている」とある。
つまり、「天麩羅は 安土桃山時代に伝わった南蛮料理だといわれている。 語源は諸説あって ポルトガル語の中にある “テンペラ-ト”からきたとも 同じくポルトガル語のTempero(調理と言う意味)からきた説や スペイン語の “テンプロ”<Tempora> (寺の意)の転化した言葉とも 天麩羅阿希(あぶらあげ)の阿希(あげ)がとれたものともいわれている」わけで、テンプラはテンプラでも、天麩羅というより、南蛮料理であり、鯛か何かの調理された料理を食べて当たったという説があるわけである。
尤も、もともと既に家康は胃癌が進行していたというから、何に当たってもおかしくはなかったのかもしれない。
で、『一日江戸人』で知ったのは、「寿司、天ぷらは屋台が生み出したヒット商品」で、「婦女子はもちろん、硬派の殿方なども口にせぬ下司な食べ物」だったこと。「江戸の初期には油を使ったいろいろな料理を「天ぷら」と呼んでおり、その形態、調理法も種々ありましたが、中期、寛政以降になると「魚の衣揚げ」を「天ぷら」と呼ぶようになりました」というのである。
このように屋台で広まった天ぷらで、「吉兵衛は天麩羅で名を挙げた店」なる川柳もあるとか(喜多村均庭の記録によると、寛政末(1800ころ)に日本橋の屋台店の吉兵衛が庶民向けの天麩羅を考案し、成功を収めたという)。
本書には書いてなかったと思うが、「「天麩羅」という名前を考案したのが戯作者で著名な山東京伝であるという説がある」という。その経緯(いきさつ)は、リンク先を覗いてみて欲しい。
なんとなく怪しい気がする。「テンプラ」に近い表現が江戸初期からあったのだから、その言葉に漢字表記を当て嵌める知恵を貸したのが山東京伝辺りだったのかもしれない。
この他、浮世風呂の話、相撲の話、春画のこと、大道芸のことなど、話題は尽きない。江戸の260年余りが現代に繋がる日本人の性向や文化を醸成したと思われ、江戸時代(について)の本を読むのが小生、大好きである。
当然、食の話もたっぷり載っていて、江戸というと、豆腐と同様に庶民に身近だったのが大根だったとか。「明治初期に来日し、大森貝塚を発見したアメリカの生物学者エドワード・モースは「日本には大根の他、ロクな野菜はない」と言い切ってい」たとか。実に心外な話だ!
この大根、外来の野菜で鎌倉時代には既にあったとか。室町時代などに品種改良が進められ、元禄の頃にほぼ完成したらしい。外来品種だった大根を育て上げたがゆえ、大根を欧米では「Japanese Radish」と呼ばれるのだという。この点は、欧米へ行ったことのない小生、確認が取れないが、日向子さんが言うのなら、信じちゃう!
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コメント
恥ずかしながら、小生、杉浦 日向子さんが昨年(2005年)7月22日 に亡くなられていたことを3月31日の夜半(あるいは4月1日の未明)、ラジオでのあるパーソナリティの話で偶然、知った。下咽頭癌だったとか。ショック。46歳と若いのに。この書評文を書いたのは、5月だから、その頃には病床で死病と戦っていたということか。
投稿: やいっち | 2006/04/02 00:02