小山修三著『縄文学への道』再読
マスコミなどで広く報じられたので、弥生時代の始まりの時期が、場合によっては数百年も繰り上がるかもしれないという最近唱えられた説は、知っておられる方も多いだろう。
大陸(朝鮮半島を含む)の影響が強く、且つ、影響を即座に受ける列島(日本)としては、大陸や半島の変化(金属器や土器、稲作文化など)が数百年もずれて日本(北九州)にやってきたと考えるほうが、不自然だと感じていた。
紀元前も含め、列島も半島も国の体(てい)を未だ為していなかったから、まさに人々の交流や行き来は、国の制約を受けず、ただ、国(中国)の内乱などの影響や中国で発達した先進文化の影響をモロに受けつつ半島を通じて、あるいは大陸から直接、列島に伝わったと思われる。
そもそも、人々の交流や交易は、縄文の昔から列島内部は勿論、海を越えて大陸などとも幅広くダイナミックに行われていたという。
その点などを改めて確認するため、96年頃に購入し読んだ小山修三氏の『縄文学への道』(NHKブックス刊)を再読することとにした。
この本は、90年代の前半から公表された論文(一部は80年代)を集めたものだが、96年の論文も掲載されている。95年に三内丸山遺跡が大々的に報じられた(直径1メートルの柱の発見が報じられたのは、94年)ことを受けての論文であり、本書も三内丸山遺跡ブームに乗る形で刊行されたのではないかと感じる。
少なくとも小生自身は、縄文時代への関心を改めて掻き立てられる中で本書を読んだのだった。
96年頃は、脚光を浴びた三内丸山遺跡を契機に縄文時代への関心が高まっていた。そうした熱気を示す一つの例をここに示しておく。
ついでに、著者の小山修三氏のプロフィールも示しておこう。
本書は、著者によると、「三内丸山遺跡の巨大な柱や盛り土遺構は、メソポタミヤやインカの都市とまえはいわなくても、アメリカの北西海岸や東部の大マウンドを残した社会に匹敵するもの」であり、「ヒスイや黒曜石などの遠距離交易網が確立していたことも、社会経済が大規模だったことをしめしている」ことをテーマにしている。
著者によると、「世界の考古学は今、四大文明とは別系統の「狩猟採集への依存度が強いが、高度に複雑化した社会」に注目している。縄文社会はその代表的なものの一つといってよいだろう」という。
小山氏は、従来の日本の考古学への不満があったようだ。それは「日本の考古学では、土器編年が確立しているためか、研究者たちは絶対年代を軽視する傾向にある」点だ。
だから、三内丸山に限らず、大量の有機物資料が出土しているのに、放射性炭素による年代をあまり示してこなかったのである。
これは、小生の勝手な憶測なのだが、弥生時代の開始年代を朝鮮半島との数百年ものズレをものともせず、紀元前数百年にしていたのは、記紀の記述を否定したくないという思いがあるからではなかろうか。紀元前600年頃、天孫降臨があって、日本の歴史は始まる。その大前提を大きく覆すような歴史を認めたくなかったのではないか。
だが、さまざまな科学的計測などから実際には稲作文化も含め、半島と大差ない時期に北九州に伝播し、徐々に長い年月をかけて列島の東へ向けて広がっていったのだろうと、ようやく考えることができるようになった。
科学的な絶対年代の測定では、放射性炭素による年代測定もあるが、年輪年代法という方法もあることは知られている。
年輪年代法については、ネットでも多くのサイトで学ぶことが出来る。
本書では、食糧事情についても、さらには航海(列島周辺だけではなく、大陸や東南アジア諸国との往還も含めて)の方法についても、従前より踏み込んだ推測が為されている。著者の自負が伝わるようである。また、期待できる食糧の種類や量、必要なカロリー量や栄養分などから、遺跡の規模とも絡め、縄文時代の人口(の推移)を彼は探求している。
本書はまさに縄文学への道を著者なりに示した本なのである。
(03/05/30)
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