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2005/05/22

岡村直樹著『寅さん 人生の伝言』

[本稿は無精庵徒然草の「風天居士…寅さん」(May 14, 2005)からの転載です。]

 先の五月の連休中、帰省して久しぶりに家事などやっていたのだが、合間を縫って、読書にも勤しんでいた。読んでいたのは、図書館の新刊書コーナーに並んでいた(この一角には何故か映画関連の本が多い。それとも、映画関係の本が借りられることなく残っている…、ってことはないと思うが)、岡村直樹著『寅さん 人生の伝言』(生活人新書 112、日本放送出版協会)である。
 連休前、あるサイトで寅さんのことが話題になっていたこともあり、寅さんの本がこれ見よがしに並んでいるとなると、小生、借りるしかないわけである。
 まあ、寅さん(の映画やイメージなど)は、小生、身につまされるものがあり、感情移入せずに彼の映画を見ないわけには行かない。
 今、彼の映画と書いたが、山田洋次監督なのか、映画上の寅さんなのか、渥美清さんなのか、渥美清さんなのだとしても、役者としての渥美清さんなのか病気と闘いつづけた私人の渥美清さんなのか、曖昧である。が、曖昧なままに先に進む。
 ともかく、別に映画嫌いというわけではないが、映画館に足を運んで映画を見ることのめったにない、腰の重い小生を幾度となく動かすのだから、思い入れぶりが知れようというもの。最後に映画館で映画を観たのも(ポルノ映画を覗くと…馴染みのポルノ映画館が十年程前、潰れてしまった。行く場所がなくなった!)、寅さんの映画である。確か、映画が回想シーンで始まるのが寅さん映画の定番だが、その時はアンタッチャブルで、寅さんがネスか誰かの役になりきっていたような。

 寅さんの映画が観れなくなり、次は西田敏行主演の『釣りバカ日誌』に何度か足を運んだが、今一つ、人情が描ききれていない。どちらかというと、ドタバタ喜劇に終わっている、という感があり、感情移入はできない。
 やはり、寅さんの映画は長い長い、ロードムービーという側面があり、旅に出ることで、意想外のドラマが生じても、必ずしも無理はない、ということなのか。あるいは放浪癖的側面というのは、日本人の根無し草的土壌にマッチするのか。演歌が流行ったのも、仮の宿があっても、いつ、何かの事情があって流れ者として河原乞食(乞食って使用禁止の言葉だったっけ)たる自分を見出す羽目になるかもしれないという懸念を常に抱えてきた、そんな時代背景があったからなのだろう。
 今は、岬も海峡も、北の海も、風も涙も、すっかり根を下ろしてしまった時代にあっては、他所事であり、ドラマの中の話であり、実感を以って演歌の世界に没入するなど、とっくに難しくなっているのだろう。
 その意味で、寅さんの映画も、演歌ではないが、時代が葬り去る、お役御免と切り捨てられる運命にあったのかもしれない。
 山田洋次監督に限らないが、次の方向を見出すのは、映画も演歌も小説も困難なのかもしれない:
Cinema Clip:映画に生きる 山田洋次監督インタビュー 映画に生きる

 寅さんについては、これまで掲示板でも随筆などの中でも折に触れて書いてきた。ここでは、最近のものから一つだけ挙げておく:「指パッチン

 さて、例によって紹介した本とは懸け離れた内容になる怖れが大なので、冒頭に示した出版社サイドの宣伝文句を示しておく:
「あの男のあの声が、今、語りかけてくるもの
映画史上空前の長寿シリーズとなった「男はつらいよ」全48作。風のように生き、風とともに消えた我らが主人公・寅さんは何を残していったのか。家族の絆や地域の結び目がほどけ、男と女の居場所も窮屈な今こそ、“風の旅人”の生涯に学びたい。現代人に贈る懐かしくも新しい人生読本」
                         (転記終わり)
 著者である岡村 直樹氏については、「江戸川河川事務所 月刊Web広報誌・E-na 川ってE-na」というサイトに依り、プロフィールを示しておこう(それにしても、「川ってE-na」って、うまい表題である。うまいな!て思わせた):
「旅行作家。川の旅人。1948年、東京都生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。文学、絵画、歌謡などにあらわれた河川のありようから、川と人間のかかわりを探求している。「寅さん人生の伝言」「川の名前で読み解く日本史」(監修)「川の歳時記」「きらめく川たち―― 一級水系踏破の旅」など川に関する著書多数。日本旅行作家協会、日本河川開発調査会会員」
                         (転記終わり)

 いいねー、「旅行作家。川の旅人」という肩書。羨ましい。必ずしも世間に認知されておらず、時に際物扱いされ苦い経験をされることもあると本書にもあったが、でも、楽しいことをやると、仕方ない面もあるのかも。
 小生は人生の旅人と肩書きを自称したいけど、その前にタクシードライバーなので、街の流しさん、というのが無難なのか。
 でも、お客さんに巡り合う機会もめっきり減って、街のあぶれ者の感も濃厚である。

「川の旅は本当におもしろい。都会では感じられない四季折々の季節感も味わうことができ、流域の人たちから話を聞いたり、文学や絵画、歌謡などにあらわれた河川の歴史をひもといたり、生物を観察したり、本当に奥が深い。さまざまな発見の連続です」などという話を伺うと、尚更、垂涎の的である。
 でも、怠け者で、一旦、どこかに腰を落ち着けると、梃子でも動かない小生には、旅人の資格も資質も皆無なので、涎を垂らして話を伺うのが、やはり無難のようだ。

 上掲の、「川ってE-na」によると、「日本には、伏流水も含めて約3万の川があると言われてい」るという。全部は無理だろうと、まずは、「国が管理している109の一級水系の川をめぐってみようと目標を立てた」のだとか。
 車の免許を持たない彼が(車寅次郎のファンなのに?!)、旅の手段に使うのは電車・バス・徒歩で、「109の川を踏破するまで、10年かか」ったという。その苦労(楽しみ)のほどは、上掲のサイトを読んでいただくとして、いよいよ話は、「寅さんのふるさとの川、江戸川」の項に至る。
[ちなみに、我が郷里の富山県では、黒部川、常願寺川、神通川、庄川、小矢部川の五つの水系が一級水系に指定されているようだ。
 その中でも、黒部川水系が全国でも水質の上でトップ10に入っている(一級水系109水系166河川を対象に水質調査を行い、ランクはBODで評価した結果、平成14年)。]

 実は長々と綴ってきたのも、前振りで、江戸川に話を持ってきたかったのだ。深謀遠慮も極まれリだが、少しは長文も遠慮しろよ、辛抱も限界がある、という声が聞こえてきそう。
 江戸川の矢切の渡しなど、寅さんに縁の深い話や本書『寅さん人生の伝言』に纏わる余談などが読めるが、どうぞサイトへ飛んで読んでみてほしい。

 さて、ようやく本題に入る。但し、本題は呆気なく書ききれると思う。
 寅さんの姓名は、車寅次郎である。姓名はどのようにして決められたのか、小生は調べていない(誰か教えて欲しい)。
 ここでは、「寅次郎」、愛称、「寅さん」に焦点を合わせる。
 これは寅さん映画ファンの間では有名というか周知の事実なのだろうが、葛飾柴又の辺りには、昔、「トラさん」や「サクラ」さんが住んでいたらしいのである。
 つまり、「奈良時代の戸籍には、「刀良(トラ)」「佐久良売(サクラメ)」という人物の名前が記載されてい」るというのだ(「葛飾柴又寅さん記念館」参照)。
 また、「平成13年8月4日、奇しくも渥美清さんの命日に柴又八幡神社古墳で「寅さん」そっくの埴輪が出土し」たとのことで、「本物は葛飾区郷土と天文の博物館に所蔵されてい」るとのこと(同上サイトより)。
 ま、これだけのことを書きたくて、長々と綴ったのだった。
 これが映画だったら、とっくに席を立たれているんだろうな。入場料が只だし、文句の来る心配がなくて助かる。

 実を言うと、フーテンの寅さんということで、「フーテン」という言葉についても、調べたかったが、幾らなんでも長くなりすぎたので、「大辞林 国語辞典 - infoseek マルチ辞書」で調べた結果だけを示しておく。
 一つは、「瘋癲(ふうてん)」であり、「(1)精神状態が異常であること。また、そういう人。癲狂」と、「(2)定まった仕事をもたないで、ぶらぶらしている人」と説明されている。
 もう一つは、「風天(ふうてん)」で、「〔梵 Vyu〕十二天の一。もとインドの福徳・子孫・長生をもたらす神。のち仏教の守護神となり、西北を守る。胎蔵界曼荼羅(まんだら)では赤色の身体に白鬚(はくしゆ)で、冠と甲冑(かつちゆう)をつけた老人の姿をとる」ということで、ちょっとフーテンの寅さんのフーテンの義としては、重すぎるか。
 でも、寅さんに守護神となってもらうには、「風天」がいい。
 ただ、意味合いからすると、「瘋癲」の(2)だと思うしかないのだろう。
 けれど、寅さんには香具師という立派な仕事がある。ブラブラはしているが、帰る家もあることはある。まして精神の統合異常とも思えない。
 となると、案外と、「フーテン」に漢字表記を当て嵌めるなら、「風天」のほうが正解なのかもしれない。
 
 小生が初めて「フーテン」という名前に出会ったのは、高校2年のころで、クラスに美術部の人が居て、ダリなどに凝っていた(影響を受けていた)という記憶があるのだが、彼の自称(絵画などへの署名)が「風天居士」だった。
 そのとき、「風天」「居士」の両方共が印象付けられたのだった。
 あるいは、彼は寅さん映画のファンだったのだろうか。しかも、寅さんの正体を見極め、「瘋癲」ではなく「風天」を選んでいたのだとしたら、彼は小生より遥かに先覚者だ!
(関連しないでもないエッセイに「フロイト事始、あるいはダリやキリコから」がある)
 大学生になってからだったはずだが、埴谷雄高著の『死霊』第四章が発表され、彼の『死霊』を通して読んだが、作中、瘋癲病院などが登場してきて、「フーテン」への共感的傾斜が一層、露わになったのだが、それはまた後日、書くかもしれない。

 季語随筆に無理矢理、この拙稿を結びつけると、ネット検索していたら「持ち物は鞄一つや春の旅」(小谷隆子?)という願望かフーテンの寅さんを連想させるが見つかった。

 寅さんに戒名を付けるとしたら、「風天居士」なのだろうなと思いつつ、本日の稿を終える。

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