« 岡村直樹著『寅さん 人生の伝言』 | トップページ | リンダ・リア著『レイチェル』 »

2005/05/28

『日本語の起源を探る』の周辺

 今回は、河出書房新社編集部編の『日本語の起源を探る』(河出文庫刊)(の周辺)を扱う。
 本書のサブタイトルとして「美しい日本語を究める」とあるのは、愛敬だろう。一九八九年に『ことば読本――日本語の起源』として刊行されたものを再編集し、本年の五月に本書(文庫版)が出されている。
 この数年、日本語ブームで様々な日本語に関わる本が出されているので、その流れに乗るため、こうしたサブタイトルが安易に選ばれたのだろう。
 但し、本書の中身は表題に関わるものとして、データ的に今から14年前のものとして最新の論説ではないことを鑑みても、日本語の起源をどう考えられているかについて大雑把な展望を入門的な立場でするには、初学者には気軽な読本として読んでみていいと思う。

 本書の目次をまず見てみよう:

 日本語の起源              タミル語の大野晋
 日本語の語彙              語彙論の金田一春彦
 文化と波及               中本正智
 日本語と韓国とはどんな関係にあるのか  朝鮮語の馬渕和夫
 モンゴル語と日本語           モンゴル語の小沢重男
 日本語の起源―レプチャ語を中心に    レプチャ語の安田徳太郎
 なぜ「ソイヤ」なのか          朝鮮語の金達寿
 南方語と日本語             南島祖語の村山七郎
 南島祖語の楽しさ            南島祖語の川本崇雄
 日本語系統論について―アイヌ語との関わりで  田村すず子
 日本神話の系統について         吉田敦彦
 日本語の古層を統計的にさぐる      安本美典

 文庫本の裏表紙には編集部の手になると思われる謳い文句が載っている:

 私たちが普段の生活で何気なく使っている「日本語」は、どこからやってきたのだろうか。諸説入り乱れた「起源論」の歴史を追いながら、緻密な分析過程を再確認して、現代日本語の特徴をあぶり出す代表的学者によるアンソロジー論集。系統学的な視点だけでなく、広く民俗や文化などの視野を導入することで壮大に「日本人の思考」を展望する必読の名論集。
                                 (転記終わり)

 大野晋や金田一春彦、金達寿、吉田敦彦、安本美典の各氏ら馴染みの名前もあるが、中本正智、馬渕和夫、村山七郎、川本崇雄、田村すず子ら各氏については、非学の小生にはほとんどあるいは全く初耳の学者もいる。
 中には、安田徳太郎のように懐かしい名前も見出されて、ちょっと驚いたものだった。安田徳太郎といえば、小生が若かりし頃、確か大学に入って間もない頃だったはずだが、刊行されたフックス著『風俗の歴史』(角川文庫)
の訳者として小生の記憶にインプットされている。
 彼は反骨の医師で、獄中で拷問死した小林多喜二の遺体の解剖のために奔走した方である。
 ここを参照
 その彼がレプチャ語も研究していたとは、意外だし、彼の気骨が日本文化の源流へ向わせたのかと、感慨深いものがある。
 安田徳太郎氏には、『古代日本人の謎』(たま出版刊)がある。

 日本の記紀神話とギリシャ神話との類似点を指摘する吉田敦彦氏らの説は、今日では、かなり広範に受け入れられているように小生には感じられる。短い論文なので一読を勧めたい。

 安本美典氏については、古代史や日本の言語に数学的な計量方法や統計の手法を採り入れた方として有名で、邪馬台国の地の比定についても、日食の日を割り出すなどの方向から割り出している(比較言語学では、早くから統計や計量の手法を駆使している)。
 安本氏には、たとえば『言語の科学---日本語の起源をたずねる』(朝倉書店刊)がある:
 『言語の科学』についての数学の専門家からの言及がある:
 
 安本氏は、時枝誠記(ときえだもとき)氏の説を援用しつつ、日本語について、河川図モデルを想定されている。
 古くに根幹となる共通祖語としての日本語があり、それが様々な影響を受けつつ枝分かれした中の一つとして今日の日本語を考えるのではなく(樹幹図モデル)、源流にはもとももと多方面に渡る必ずしも系統を同じとしない
言語があり、それらの細かな支流が次第に合わさって支流となり、さらに合流して太い川となって今日の日本語となったと考えるのである。
 印欧語は樹幹図モデルで考えられやすいが、日本語に関しては適用が難しいようだ。
 日本という地は、よくも悪しくも吹き溜まりの地で、様々な背景を持つ文化や言語や民族や集団が、これより先は進みようのないどん詰まりの地で共存したり影響しあったりして次第に日本語が成立したと考えるのが無理がない考え方なのだろう。
 安本氏はわれわれが用いている日本語は三つの層から成り立っていると考える。中でも日本語の単語の中核をなしているのは、大和ことばであるという。その上に、中国語からの借用語としての漢語があり、さらに表層として印欧語などからの借用語の層があるというのである。
 その大和ことばは、氏らの説からすると、大和ことばという固い岩盤というか基層があるわけではなく、見かけ上、基層のように見えてもさらに源流を辿れるはずだということになる。
 小生は未読だが、『日本語の誕生』(大修館)では日本語のルーツを探っている:
 このサイトによると、日本語は以下の四層からできていると主張されているようである。

 1.日本語、朝鮮語、アイヌ語の共通祖語である「古極東アジア語」
 2.インドネシア語、カンボジア語などの南方語
 3.稲作とともに移入された中国江南のビルマ系言語の語彙
 4.弥生時代以降に移入された中国語、朝鮮語の語彙

 本書『日本語の起源を探る』の中の「日本語の古層を統計的にさぐる」という稿でも、ビルマ系江南語が強調されている。大和ことばも後に中国語、朝鮮語の語彙以前に多様な源流が合わさっていると氏も考えているわけだ。
 
 最後に小生の単純な考えを簡単に言うと、基本的にタミル語やレプチャ語やモンゴル語などが縄文時代、弥生時代を通じて共存し影響し合い語彙として日本の列島に並存・共存・競合して存在していたとしても、特に7世紀の時点で日本の中央政権に圧倒的な力を持った朝鮮渡来の集団が(それも新羅系、百済系、高句麗系と多様なようだが)牽制し合い権力の交代を経つつも、彼らのうちの言葉の専門家たちが表記を次第に決定していった面がもっと考えられるべきだと思う。
 語彙には確かに恐らくは多様な源流を探れるに違いない。また、語順にはモンゴルそしてモンゴルに深く影響された朝鮮語との類似性が見られるとしても、最終的には、7世紀から8世紀にかけて、民族集団としての出自(ふ
るさと)は朝鮮の地にあるとしても、日本の地に踏み止まる、文化的政治的に大陸から独立すると決断した連中が政治や文化(宗教)の独自性を志向すると同時に日本独自の表記方法を編み出したのだと思う。
 その表記方法に深く関わったか、あるいは表記方法の上での暗中模索の経緯の一端が『古事記』や『万葉集』に見られる、そして特に柿本人麻呂に見られると思うのである。
 次回は、小生の文字通りの日本文学の上で最も注目し関心の的となっている柿本人麻呂を扱う文献を採り上げたい。

                             (03/07/05)

|

« 岡村直樹著『寅さん 人生の伝言』 | トップページ | リンダ・リア著『レイチェル』 »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

はじめまして。
早速ですが、安本美典氏に関して「日本人の出現」(雄山閣出版、1996)のなかで、大野晋さんが安本氏に対して方法論として良くない旨の発言をされていました。失礼しました。

投稿: ドラドラ | 2009/03/09 20:24

ドラドラさん

情報、ありがとう。

今は調べている余裕がありません。
どういった批判をされているのか、教えてくれたら嬉しいのですが。

投稿: やいっち | 2009/03/09 20:59

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 『日本語の起源を探る』の周辺:

« 岡村直樹著『寅さん 人生の伝言』 | トップページ | リンダ・リア著『レイチェル』 »