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2005/05/13

富岡 多恵子著『西鶴の感情』

[ 本稿は、季語随筆日記「無精庵徒然草」の「風薫る…西鶴…近松」(2005.05.11)から、書評風エッセイ部分を抜粋したものです。 (05/05/13 記)]

 富岡 多恵子著『西鶴の感情』(講談社刊)を読んでいたら、知る人は知っているのだろうが、興味深い本の存在を知った。
 先に進む前に、『西鶴の感情』は、どのような本なのか、若干、触れておきたいが、紙面の都合もあるので、下記サイトを参照願いたい:
富岡多恵子さん 5年がかりの労作「西鶴の感情」 出版トピック 本よみうり堂 Yomiuri On-Line (読売新聞)

 冒頭に、「大阪生まれの富岡さんは、上方で活躍した近松門左衛門については早くから論考を重ねてきたが、井原西鶴をまとめて読むのは20年ほど前に『好色五人女』『好色一代女』の現代語訳(集英社文庫)を手がけて以来。独白体で女の好色を描ききる『一代女』の現代性に魅せられ、「この大天才の全体像をつかみたい」との思いを温めてきたという」とあるが、富岡氏はひょうんなことから早くから井原西鶴に因縁めいたものを感じていたと本書の冒頭にある。
「井原西鶴の『好色一代男』の板下を書いた水田西吟は、「吾すむ里は津国櫻塚」と跋文に記している」のだが、富岡さんは、まさにその今となっては旧となった地名の冠せられた櫻(桜)塚高等学校に通っていたのである。
 板下を書いた水田西吟は櫻塚に縁があるのは当然として、富岡さんが調べてみると、「やはり西鶴は西吟の落月庵での万句俳諧に出座するために訪れてい」たというのである。

 自分が居住したことのある地に昔、名のある、しかも、その業績に無関心ではいられない人物が関わりを持っていた。このことは、他人には些細なことでも当人には、まさに因縁めいたものとして、胸裏に深くその<事実>が刻まれたりすることがある。
 勝手な飛躍をさせてもらえば、小生が上京して四年目から十年目を暮らした地・高輪や白金(台)は、その地を離れてから知ったのだが、島崎藤村に縁の深い地である。白金台にある明治学院の先生をしていて、そこで不祥事を藤村は引き起こしてしまうのだが、それはともかく、藤村は白金・高輪近辺を歩いていたのだった。
 そのことを知って小生は、島崎藤村に一方ならず傾倒してしまったのだ…。このことは、他で書いたので、ここでは略すが、僭越というか生意気とは思うけれど、富岡氏の西鶴への思い入れの情のほんの一端は分かるような気がするのである。

 上掲の「本よみうり堂 Yomiuri On-Line」に依って西鶴についてみると、「17世紀、経済膨張期の大坂に商人の子として生まれた西鶴は、20代で俳諧師として頭角を現す。34歳の時に妻を亡くし、頭を丸めて家業も人に譲った。『好色一代男』で浮世草子(小説)作家に転身したが、活動期間は52歳で没するまでの10年余に過ぎない。好色物、町人物など膨大な著作を残した割に、手紙類など素顔をうかがわせる資料は少ない」という。
 資料が少ないのは西鶴に限らない。写楽よりはましかもしれない。

「浮世草子という虚構を通じて「色」と「遊び」、女と「世間」の実相を見つめた西鶴の散文精神とは何か。「大げさな表現で笑いを取っても、情緒や感傷に流されない。それが西鶴の批評精神、イコール感情ではないか」。本書を書き終えた、実感をこう表す」とある。
 批評精神。西鶴は、前にも小池昌代氏の話を援用する形で書いたが(「西鶴の感情:世間胸算用」参照)、西鶴が自らを語ることの少なさ(皆無に近い?)という点とも繋がるのだろうか。自らを語らないことがプロたることの最低限の条件ということなのか。

 さて、最後に「浮世草子だけでなく挿絵も描いたし、俳諧イベントの仕掛け人でもあった西鶴には、「早くから文筆で食べていくという自負があった。詩を書く人、小説を書く人はなぜ書かずにおれないのか。私自身も含めて、文芸に生きる人間への興味は尽きません」」という点は書く文章の量だけは少ない方ではない小生としても、考えさせられるものがある。

 さて、井原西鶴の同時代人に「井原西鶴(浮世草子)、松尾芭蕉(俳諧)とともに元禄三大文豪として名高い浄瑠璃・歌舞伎作者近松門左衛門」がいる。
 近松門左衛門については、「鯖江市 - 歴史の散歩道 - 近松門左衛門ゆかりのまち」など、紹介してくれているサイトがネットでも数知れず見つかる。
 芭蕉と西鶴との関係や、芭蕉による西鶴評も気になるところだが、今回は略す。焦点は、近松門左衛門に合わせる。
 ちなみに、松尾芭蕉((1644~1694)、井原西鶴(1642‐1693)、近松門左衛門(1653~1724)である。

 やっと、富岡 多恵子著『西鶴の感情』(講談社刊)を読んで知った興味深い本の紹介に移れる。
 それは、近松 洋男著『口伝解禁 近松門左衛門の真実』(中央公論新社、2003/11)である。
Amazon.co.jp: 本 口伝解禁 近松門左衛門の真実」にあるレビューを借りると、「近世文学において西鶴、芭蕉と並称されながら、近松門左衛門の生涯は謎に満ちている。本当の生誕地は? スペインとの関係とは? 赤穂藩御用に徹した謎の10年とは? 300年の禁を破って9代目が明かす「近松家の謎」」といった内容だとか。
 近松門左衛門の9代目が明かす「近松家の謎」! この本の目次を眺めるだけでもワクワクしてくる:

 第1章 出生地と青年期の謎(生誕三百五十年を機に公開を決意
     真実は「越前生まれ」に落着 ほか)
 第2章 歴史から抜け落ちた十年(鍵を握っていた赤穂塩
     大石良雄との再会が発端となる ほか)
 第3章 「近松」は筆名にあらず(生まれは「杉森」育ちは「近松」
     筆名・通称・号に隠された裏意 ほか)
 第4章 劇作家「門左衛門」の軌跡(処女作『世継曽我』が好評を博す
     新境地を開いた『出世景清』 ほか)
 第5章 門左没後の近松家(「尊皇」と「公界往来」の生涯
     門左没後の京都近松家 ほか)

近松門左衛門の真実」というサイトを覗く。

 悲しいかな小生は本書の存在を知っただけで未読だが、この本が登場した以上は、以後、忠臣蔵の芝居興行を打つにしても、本書に見られるように幕府側と朝廷側との皇室財政的基盤を支えた赤穂藩の製塩事業という側面を踏まえた上でないと、説得力を持たないだろう。
 以前から(製)塩の利権のことは取り沙汰されていたが、一層、この点が脚光を浴びるようになるのだろう。
 さて、赤穂藩の藩士である「近松門左衛門はもともと御所侍として、多方面にわたる知識を駆使して塩のネットワークを完成させました。なんと彼は当時としては御禁制の塩貿易ルート開発構想まであったようで、スペイン語の知識もあったとの事」
 富岡氏の『西鶴の感情』を介しての『近松門左衛門の真実』からの情報によると、近松門左衛門の「門左衛門」も、スペイン語との関連があるかも、とか…。近松の作品にスペインの劇の影響が窺われるとか…。
 さて、「赤穂浪士四十七士の内、2名は近松家」とのことだが、本来なら、赤穂藩の取り潰しの際、近松門左衛門も存命は危うかったのだが、徹底して秘密を保持することで生き延びることができた。
 その秘密とは、「門左衛門が赤穂四十七士のひとり近松勘六の遺児ふたりを養子にしており、義士たちは切腹したが、そお遺児に対しても処分は厳しく、もし養子が発覚すれば、義士の遺児たちのほとんどは遠島か出家であったからそれ相応のおとがめを受けるのが必定だった」のである。
 門左衛門のもともとの名前は越前福井の出の杉森信盛(通称平馬)で、近松家に養子として入ったとか。門左衛門は忠臣蔵と俗称される事件後、二年間、近松寺に身を隠していた。
 近松寺については、「三井寺>三井寺について>歴史散歩>天才戯曲作家、近松門左衛門の謎をさぐる」を覗くと、幾許かを知ることができる。但し、このサイトでは、「平馬が何処で生まれ、何処で育ったか、なぜ三井寺(近松寺)へ行ったかは定かでない」とあるが、本書『近松門左衛門の真実』の存在を未だ知らなかったから、このような記述も仕方ないのだろう。
 また、「三井寺三別所」と上掲のサイトにはあるが、本書『西鶴の感情』では「三井寺五別所」とあるのだが。

 さて、芭蕉と西鶴は互いに寸評する文章があったりするが、西鶴と近松とは、どうなのだろう。浄瑠璃・歌舞伎作者として当時においても成功した近松門左衛門だが、一方、西鶴は小説作品はともかく、実際の浄瑠璃では近松ほどの成功を収めなかったとも言われたりする。
 虚実皮膜の論を浄瑠璃・歌舞伎の舞台の上で示す近松と、自らを語ることのなく、俳句や小説(虚構)作品の中で物語を示す西鶴の資質の違いが歴然としているということか。
「西鶴が生きているころは、近松は京都に住んでおり、大阪に住むようになるのは西鶴の死後のこと」とのことで、西鶴の住む大阪のどこかで二人が擦れ違うことは、可能性としては少なかったようだ。また、生没年を見ても分かるように、「近松晩年の世話物の浄瑠璃名作群を知らない」。もしかしたら西鶴は近松の歌舞伎の噂は聞き及んでいても(あるいは見たとしても)、初期の無名だった近松の名前は知らなかった可能性もある(当時、浄瑠璃台本に作者名を出すことはありえなかったとか)。

 本書『西鶴の感情』では、富岡氏は、尾崎紅葉、田山花袋と共に、『一代男』や『一代女』より『置土産』を評価しているとある。その『西鶴置土産』を次には読んで見たいものである。

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