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2005/04/23

金達寿著『古代朝鮮と日本文化』

 白川静氏著の『後期万葉論』(中公文庫刊)を読んでいたら懐かしい書に言及されていた。それがこの金達寿著『古代朝鮮と日本文化』(講談社核術文庫刊)である。
 買ったのは92年の暮れだったか。古代史や考古学への関心が再熱していた頃で、古代日本に関わる本を物色していて行き逢った本だった。読了しても大概の本は、ダンボール箱に詰め込んでしまうのだが、この本はいつかは再読するような気がして、書棚に詰め込んでおいた。
 その書を久しぶりにひもといてみたのだ。
 三浦佑之・現代語訳『口語訳 古事記』を巡る感想文の中でも触れたが、江戸時代になり、鎖国されているとはいえ、世界の激動ぶりが国内の有識者には伝わっていて、国内で安閑としていらえる時代の終焉を自覚し始めていた。
 いな、むしろ、この日本も世界の植民地競争の波に浚われる恐れが多分にあると、危機感を高めていたのである。
 その中で、日本とは何かが問われ始めた。数多くの藩に分かれて、それぞれが「クニ」意識に凝り固まっている。決して、日本という統合された国家が意識されているわけではない。国家というより、むしろ、天下である。
 天下とは何か。そんな議論をここでするつもりはない。ただ、海の向こうの朝鮮も中国も、まして急激に勃興しつつあった西欧の貪欲な食指を意識するはずもない。あくまで、地続きの島国全体が世界であり、その上を天が覆い、天が地の下にいる我々を見守る。

 漠然とした天下意識はあっても、国家の意識などあるはずもない。せいぜい小さく区分された藩を邦(くに)として意識するだけ。藩の境を越えるとそこは他国であり異郷なのだ。激しく各地方を人々が行き来しつつも。
 今まではそれでもよかった。けれど、では、世界が日本に押し寄せてきたら。先進の技術と武力と国家としての統合意識のある列強が攻め込んできたら。中東や西南アジアの運命は、明日は我が身となるのは必定なのだ。
 その中で、日本を日本として統合するものは何か。何が日本のオリジナリティなのか。何をもって日本を象徴させてるのか。どのようにしてアイデンティティの明確な他国と伍すようなアイデンティティを確立できるのか。
 その文学や政治思想あるいは文化の面での切実な焦燥感が、『古事記』や『万葉集』などの研究に走らせたのだと言えると思う。賀茂真淵、平田篤胤、本居宣長、新井白石、綺羅星の如き先覚者たちが日本とは、世界を意識しつつ考え始めたのだ。
 が、古くからの伝統があり文学的な蓄積がありつつも、宗教の面では何が日本の国教かは見えないものがあった。結局、行き着いたところは神道なのだ。
 が、その神道がまた、食わせ物だった。単にやがて生じる廃仏棄釈の運動に象徴されるように、いかにも日本的な神仏習合という曖昧で無自覚な宗教的混沌状態から渡来の宗教である仏教を排斥したはいいけれど、では、さてその神道とは何かを探求すると、まさにそこに厄介な真実が現れてくる。
 だからこそ、明治以降は神道は国家神道となり、伝統的な神社・仏閣を軽視する結果になったのだ。
 何故か。古来よりある神社の多くに祀られている神々は実は多くは渡来のものだからだ。そのことが実によく分かるのが、本書・金達寿著『古代朝鮮と日本文化』なのである。
 天孫降臨の神と国の神との戦い。それが国譲りの結果、天孫の神が日本を支配することになる。その天孫というのは、朝鮮半島からであろうことは、大よそ見当が付く。では、国の神とは何ものか。実は、その多くの在来の神も古く(全てとは断言できないが)は渡来の神なのだ。
 つまりは、天孫(外来・渡来)の神か土着の神(国津神)かは相対的なもので、数十年・数百年早く日本の地に来て土着していた神々は、後からきた神々から見ると国の土着の神だというに過ぎない。
 その名もあからさまに渡来の神を示している天日槍(天之日矛=新羅系渡来人集団)にしても、確かに大国主命やスサノオノミコトに比べれば新来であり、天孫だが、そのスサノオノミコトにしてからが、水野佑氏の『古代の出雲』によると、「新羅系帰化人が斎き祭った神」なのである。
 そのスサノオノミコト集団が出雲の奥地に入り開拓したのは、「半島部や東出雲が海人部族によって既に支配されていて、容易に入り込む余地がなかったから」なのだ。
 そして、本書の中でも金達寿氏は、そもそも神社という文化や形式自体、朝鮮渡来の人々が創始したものだと主張する。
[尤も、この説に小生が全く首肯しているというわけではない。ただ、縄文の昔から神社があったわけではなかろうと思うだけである。丁度この金達寿氏の本を読んだ頃、鳥越憲三郎著の『古代朝鮮と倭族』(中公新書刊)を読んだ。
 その中で、興味深かったこと、そして今でも印象深かったのは、「鳥居の形式はどうやら中国・江南が発祥地」らしいということ、さらに、鳥越憲三郎氏は「「倭族」という概念で、中国南部や東南アジア、それから朝鮮南部および日本に共通して残る習俗を括」った上で、「雲南省やそこに隣接する東南アジア北部の山岳地帯に棲むタイ系諸族(アカ・ハニ族など)に「鳥居」が見出されている」という指摘だった。
 幸い、ネットでも鳥越憲三郎氏の説が採り上げられていたので参照されたい。
 いずれにしても、朝鮮からと限定されず、そもそも習俗として鳥居的なものは「倭族」に共通するものとして一般的だったのかもしれない。]

 驚いたのは、小生は、持統天皇との絡みで無理矢理な印象のあった天照についても、これは実は、そもそもはソウルにいたものだと主張している。(p.96) 
 天照大神は伊勢神宮の祭神であることは言うまでもないのだが。
 浅草三社祭りの神も、その三社が「土師直中知・檜前浜成・檜前武成」であり、古代朝鮮から渡来した神なのだという。
 縄文時代の日本の人口は数十万だったと言われる。それが一気に増えたのは、弥生時代の始まりと並行している。その弥生時代というのは、つまりは主に朝鮮半島からの渡来の人々によりもたらされた金属器などの先進文化の流入と相俟っていた。
 そしてやってきたのは文化や技術だけではない。平均、年間千人程度の渡来の人々があったわけだ。彼らにより、縄文の人々は混血もしただろうが、多くは従属を強いられたか、日本の辺境へ追いやられるか、あるいは渡来の人々にとっては魅力的ではない、地理的に朝鮮半島から遠い地の縄文の人々が残ったのだろう(北海道や東北、南九州、奄美など)。
 実質的に、日本というのは、少なくとも西日本から東日本に渡っては朝鮮渡来の人々が開拓し日本たらしめたという面が、相当に強いのではなかろうか。そのことを古い神社は歴然と示しているのだ。ほとんどが百済系か新羅系か高句麗系なのだ。
 日本の人々と朝鮮の人々が同族と言うことはないだろうが、文化的に近いということだけは言えそうだ。中国は先進過ぎ、日本のようは辺境には渡来するを潔しとしなかったのだろう(ほんの一部の海賊連中と、鑑真のような高僧を除けば)。
 本書の最後には、(付)として、「苗代川――薩摩焼の創始者たち」という一節がある。豊臣秀吉の朝鮮出兵の時、島津義弘により朝鮮から連れて来られた者達の話だ。つまりは秀吉の文禄・慶長の役の際に<拉致>された人々の話なのである。彼らの技術が欲しかったのだろうが、技術は人と結びついてる。そして本来は土地と結びついているのだが、秀吉や島津は土地から引き剥がして拉致してきたのだ。
 多くは、虐待に堪えられず消えていったが、中には朝鮮人としての誇りを保って、しかも、朝鮮人名さえも保って数百年を生き抜いてきた人々がいるのだ。そうした人々との著者の邂逅は、当事者でなければ分からないものがあろう。この一文を読むだけでも、本書を買う値打ちがあるというものだ。
 国家の為政者とその人民・国民は同列視すべきでないと思う。北朝鮮が脅威だというが、アメリカの悪の枢軸というレッテルを真に受けて、間違っても極東の地で戦火を交えるようなことがあってはならない。日本の国民の多くは百済系か新羅系か高句麗(北朝鮮)系かは別にして、そうした渡来人と深い結びつきを持っている。遠い昔に血の交わりを持っているのだ。
 話が脇道に逸れた。つまりは生粋の日本を探ろうとして仏教を排斥し神社を大切にしようと思ったら、その大半が朝鮮系の神を祭っている。そこで苦し紛れに国家神道という奇妙な存在が生れたのだろう。また、単一民族なるものを夢想し、朝鮮の人々を軽蔑しようとした(長年の劣等感の裏返しなのだろうが)。人為的な強制的に仕立てられた神々には、ちょっと馴染めないのも無理はないのだ。馴染まれるためには、数百年の風雪に耐える必要があるに違いない。

                           (03/04/13)

[アップするに際し、「Amazon.co.jp: 本 古代朝鮮と日本文化―神々のふるさと」からレビューだけ転記しておく :

本書は、日本独自の文化といわれる神社・神宮の中に、高麗(こま)神社、百済(くだら)神社、新羅(しらぎ)神社など、古代朝鮮三国の名を負った神社が日本各地に散在するのに注目した著者が以来、十数年の歳月にわたり、それらの由来を明かすべく、文献や地名などを手がかりに実地踏査したものをまとめたものである。新羅において祀った祖神廟(そしんびょう)を神社・神宮の原形とみるなど、日本の神々のふるさとを遙か古代朝鮮に見いだした、著者ならではの労作といえよう。
                             (転記終わり)

 金達寿の本は電子書籍でも買える。
座談会『日本の朝鮮文化』 - 司馬遼太郎・上田正昭・金達寿のトロイカ」は読んで面白い。
 小生は未読だが、崔 孝先著『海峡に立つ人―金達寿の文学と生涯』(批評社)がある。

 鳥越憲三郎著『古代朝鮮と倭族』(中公新書刊)についても、レビューだけ転記しておく:

中国雲南省辺りの湖畔で水稲栽培に成功し、河川を通じて東アジアや東南アジアの広域に移住していった人々があった。これら文化的特質を共有する人々を、著者は「倭族」という概念により捉える。この倭族の中で朝鮮半島を経て縄文晩期に日本に渡ってきたのが弥生人である。著者は、倭族の日本渡来の足跡を理解するため、径路となった朝鮮半島および済州島を踏査。そこには日本では失われつつある倭族の習俗・慣習が脈々と息づいていた。
                             (転記終わり)
(05/04/23 追記):]

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