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2005/04/03

内田春菊著『息子の唇』

 小生は内田春菊ワールドが好きなのだろうか。書店でも、目新しい女性作家の本は一度は買って読むが、二冊目に手を出すことはめったにない。その例外の一人が、内田春菊であるという事実はある。
 漫画の本も、つい、何冊か買ってしまったし、文庫本も(さすがに単行本を買うほどのファンじゃない)『ファザーファッカー』(文春文庫刊)『やられ女の言い分』(文春文庫刊)『口だって穴のうち』(角川文庫刊)と買って読んできた。既に全て紹介済みである。
 今更、彼女の紹介を小生がするまでもないだろう。
 ただ、比較的最近の作品集である本作は、内田春菊的男性非難の度合いがわりと薄れている。もしかしたら彼女は、男性関係において安定期にあるのではないかと憶測されたりする。
 勿論、『息子の唇』は小説であり、小説に登場する女性の語り手は(なかには男性が語り手となっているものもある)、決して単純に内田春菊本人に重なるはずもない。が、小説の全体的雰囲気として、何となく今までの辛らつさが薄れているように思える。
 男性の語り手という形で「若妻にやる気をなくさせる方法」とか、「太れ僕の料理で君よ」とか「働く妻にやる気をなくさせる方法」なども、多少なりとも自立志向があり男性に対しても尽くす気がある女性にとって、なにがうんざりする男性の態度なのかを逆側から映し出すという手法であり、実際には男性批判の小説なのだが、そうした工夫をすること自体に、何かゆとりのようなものを嗅ぎ取ってしまうのだ。

 さて、内田春菊のどこに惹かれるのだろうか。失礼な言い方をすると、写真やたまに出るテレビで顔を見ると、どことなく助平っぽいような、男にだらしないような印象を受ける。これはあくまで外見的な印象だが、男からすると、何処か隙のある女性に見えてしまうのだ。
 特に彼女より年下の男性で、本人が自覚するか否かは別として女を利用しようという魂胆のある男性には恰好の獲物に見えてしまうような女性なのである。
 無論、そう見えてしまうということと、実際にそうであるというとことは天地の差がある。だから、彼女は自分が利用されているだけではないかという疑心暗鬼から逃れられない。否、決して疑心暗鬼に終わらない事態もしばしば迎えていると察せられる。

 たとえば、何となく怪しいタイトルの『息子の唇』を採り上げてみよう(告白するが、小生はこのタイトルで、思いっきりいやらしい内容を思い浮かべて、中身も見ないでこの文庫本を買ってしまった。その意味では期待外れなので、そう
いう期待を持つ人は、別の作品を読むことだ)。
 小説の主人公の女性は仕事が、家庭には主人も子どももいる。その彼女がタクシーに乗ったのだが、つい人のいいこの女性はタクシー運転手の相談に乗ってしまう。
 しかも、あろうことか運転手の願いで、彼の奥さんに家庭の主婦たる者は、斯くあるべしと説教して欲しいと、彼の自宅へ赴いてしまうのだ。
 その女性の夫ではないが、「普通、そんなこと、するかぁ!」である。
 けれど、その女性は、断りきれずにタクシー運転手の自宅に上がりこむ羽目になるのだが、長々と滞在した挙げ句、なんのために訪問したのか釈然としないままに自宅に帰る。しっかり運賃は支払って、である。
 当然、旦那には誤解を受けるだろう。

 彼女は会社でも、彼女が思うにそんな役回りを演じることになる。いつも、役に立たないような若い男を部下に持つことになるのだ。叱るとベソを掻くし。で、優しく接すると甘やかしているのではと不安になったりする。
 でも、たまに好感を抱ける部下が来ると、呆気なく自分がだめだからかもしれないと反省する。だから部下もだめになるのだろうと言い聞かせてみたりする。家庭と会社は別の世界なのだ、心を切り替えなければと思いつつ、ついつい、なんと言うことのない流れで気に入った部下と一緒にタクシーに乗ってしまう。
 そして気が付いたら彼女の「唇は、なぜか彼の唇のほうへ近づいて」そのまま触れてしまう。小説の最後は、「彼の唇は子どもの頬のように柔らかいと思った」である。
 少なくとも小説の中の彼女は、誘われたり頼まれたりしたら断れない、だけじゃなく相手の気持ちを察して、自分から誘うような形にさえ持っていく。で、相手からすると、この女は都合のいい女だ、利用するだけ利用すればいい、俺がこの女と付き合うのは女へのサービスだ、だって、女から誘ってきたんだし、という発想になってしまう。
 結局は類は友を呼ぶ…、に過ぎないのだが、その性懲りのない後悔の繰り返しを敢えてやってしまう(傍からは人のいい、でも本人はそんなはずではないと思って真剣に後悔する羽目になる)その<敢えて>が描かれているからこそ、内田春菊ワールドなのである。
 でも、さて、そんな彼女が常識に目覚めたら(否、目覚めているのはとっくに、そうなのだが、行動パターンにおいても常識に叶う振る舞いをするようになったら)、つまりは発想そのものが当たり前になり、つまらない(でも本人の生き方としては楽な)発想の、ありきたりな女性作家の一人になってしまうのではないかと、他人事ながら危惧するのだ。
 
 このサイトで内田春菊の連載「いつの日か旅に出よう」が読める。


                       (03/04/06)

[一昨年は、「基礎体温日記」がネットで読めたのだけど、今は、書籍化されているようだ。ネットで彼女の文章(日記)と共に漫画のタッチも楽しめたのだけど:
 内田春菊著『基礎体温日記』(実業之日本社)]

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