堀川潭/著 『悲劇の島』
本書には、「記者の見た玉砕島グアム」というサブタイトルが付されている。
昭和41年に「玉砕島」というタイトルで出版された(弘文堂刊)を文庫化(光人社NF文庫)したものである。
小生にとって、近年では、昨年読み紹介済みの本間猛著『予科練の空 かかる同期の桜ありき』(光人社NF文庫刊)に続く戦記物である。
本書は、上掲のサイトの紹介を引用すると、「玉砕は太平洋戦争が生んだ悲劇である。グアム守備隊の壊滅後、報道班員一行は島の北端に追い込まれ、自決か突撃かの関頭に立たされた―荒涼たる岩礁地帯からジャングルに分け入り、雨とと飢渇と絶望と戦い、生命の極限状況のもとで、流浪の果てに、奇しくもアメリカ兵士と対決するまでの二ヵ月間を描く感動作。 」となるらしい。
しかし、最後の「奇しくもアメリカ兵士と対決するまでの…」というのは、ちょっと無理がある。流浪の果てにアメリカ兵と行き会うのだが、決して対決したわけではない。
むしろ、報道記者たる著者(堀川潭=ほりかわたん)は、アメリカ兵(軍)と遭遇することを発見され次第殺されるかもしれない、あるいは掴まって虐待されるかもしれないという恐怖と、あるいは生き延びさせてくれるかもしれないとい
う期待の相半ばする中で意図的に望んでいたのである。
ある、アメリカ軍の息の掛かった小屋(そこでは嘗てニワトリが飼われていて、主のなくなった後も、ニワトリが卵を産みに戻ってくる)に、卵などの食糧を求めるためと、事によれば、アメリカ軍に発見され捕虜になるかもしれないことを確信犯的に理解しつつ、入り込んで行った。
しかも、その小屋で疲れもあったのだとしても、もう、どうにでもなれ(掴まってもいい)という心境もあり、彼は寝込んでしまうのだ。
語り手である報道記者は、若い頃、左翼的な集会へも顔を出し、逮捕・拘束されるという経験を持つ。戦地にあって、アメリカ兵(軍)を鬼畜米英と教え込まれた多くの日本軍兵士と違って、多少はアメリカに対し違う認識を持っていたわけである。
が、それがために、島で食糧を求めて彷徨する中で、彼が捕虜になることを辞さないという発想の持ち主だということが知られ(誰かに密告され)、仲間外れの憂き目にも遭ったりする。
但し、大急ぎで注釈はつけておく必要があろう。
本書の「まえがき」に著者自らが、「荒涼たる岩礁地帯に投げ出されたあと、断崖をよじ登ってジャングル地帯に分け入り、雨と暑熱と飢渇と戦い、生命の極限状況下で奇しくも米兵と対決するまでの二ヶ月の体験を、事実に即して作品化したもの」と書いているのだから。
つまり、彼にとって(そして鬼畜米英と教育されていた当時にあっては、幾ら多少の教養があっても、多くの日本人と同様)、実際にアメリカ兵と遭遇したなら、どんな目に合わされるか予測などできないわけである。
出会った時は、彼にとって<対決>だったというのは、決して嘘偽りや大袈裟な表現ではないと思う。
あくまで結果からしたら国際法に基づくような、そしてそれなりに戦略的な意図もあったりして(後者は小生の想像、何故なら著者が報道記者、しかも、当時としては有名な会社の記者。つまりアメリカ軍からしたら貴重な情報を入手できるかもしれないのだ)彼は戦地としては悪くはない待遇を受けたと言えるのみなのだ。
このドキュメントには実は淡いラブロマンスも伏線として描かれている。そのあまりに奇異なドラマは、読んでからのお楽しみということにしておこう。
それにしても、本書を元のタイトルである「玉砕島」から 『悲劇の島』へ変更したのは、何故なのだろうか。
著者は昭和54年に亡くなられているので、著者の意向ではないことは明らかだと思う(遺言でも残してないかぎりは)。
『予科練の空』もそうだったが、後書きの類いは何もない。だから文庫化に当たっての出版社の意図は何も分からない。まして、著者の素顔も著書の背景も何も分からない。なんという不親切な扱いなのだろう。ただ、出せばいいということなのか。誰かに簡単でもいいから解説を書いてもらうということはできなかったのだろうか。経費を掛けたくない? 立派な本だし、出せばいいだろうって?
読むほうとしては歯痒いのだ。
さて、今、こういった本を読む時、アフガニスタンやイラクを誰しも連想することだろう。本書を書いた著者は「まえがき」でベトナム戦争に対する思いもあって書いたという。
15年戦争、特に太平洋戦争に関しては日本は完敗だった。
戦争に負けたからという以上に、捕虜の扱いに関しても完敗だった。日本は捕虜を(必ずしも全ての捕虜に対してとは思いたくないが)かなり残虐に扱った。中国でも朝鮮でも東南アジアでも。確かに日本人にとってはまるで事情の分からない地だったのだろう。そして、なんといっても日本軍は物資の補給の面で、絶対的に絶望的な状況にあったこともある。
15年戦争での死者は、実際の戦闘や爆撃での死者より飢餓や病死のほうが圧倒的なのだ。病死にしたって食糧不足(医薬品不足)が大きく影響していたと見られるわけだから、やはり食糧事情の逼迫は相当なものがあったと思うしかないだろう。
日本軍はそんな物資の補給など肝心の見通しもないまま、大和魂とかいう精神力を鼓舞するばかりだったのだ。
その点、アメリカ軍は違う。比較するのも愚かなほどの豊かさ。その豊かさが齎す余裕。捕虜だって、食事を与える、粗末であろうとベッドに寝かせる、風雨をしのげる、衣服を与える、捕虜収容所には日本の懐かしい歌が流れる…、なんという違いなのか。
このことは、さまざまな瞑想に誘わずにはいない。
小生は、グローバリズム批判めいた議論をたまに展開する。日本にしても何処の町にいってもコンクリートとアスファルトとガラスとプラスチックの塊ばかりが目立つ。金太郎飴のような感がする。伝統も地域性もあったものじゃない。貧乏人と金持ちの差の拡大…。
しかし、そうはいっても、日本人はもう後戻りできないほどに豊かさの恩恵と居心地の良さにドップリとはまり込んでしまった。年中、温泉に浸かっているようなものだ(小生は風呂にさえ入れない)。
この豊かさとのびやかさとは、物質的豊かさの結果でなくて、何なのか。人権を多少でも語れるのは、余裕があるからではないのか。10人に一欠けらの食べ物がないとしたら、他人への配慮も何もあるはずはないのではないか。
そして、アメリカは豊かだから人権を語れ実現できる。そう皮肉ることは容易だ。
でも、もしかしたら、本気でアメリカは世界を豊かにする。物質で満ち溢れた世界にする。道路をアスファルトで埋め尽くし、高層ビルを世界中に建て、流線型の車を走らせ、巨大な飛行機を飛ばし、海には旅客船を運航させ、スーパーにはカッパエビセンなどのビニール袋入りの御菓子が、あるいはトイレットペーパーが山積みにされ、郊外にはまだ使えそうなゴミの山が無数に出来上がり…、そんな地域を世界中に作り出そうと、本気でマジで考えているのではないか。
そうなったなら、世界は豊かになり民主化され道路は走りやすくなり、いつもお腹が一杯で糖尿病の心配こそして難しいことは億劫になり、面倒な問題には是か非か、正義か悪かの二分法の思考で対処し、訳の分からぬイスラム教などは衰退し(日本の場合は宗教はあれ何処なきがごとくに成っている??)、アメリカ人がどこでも闊歩できるのだろう。そんな日を夢見ているのではなかろうか。
イラクを民主化するって、そういうことなのだろうか。捕虜談義から話が例によって飛んでしまった。戦記物を読むと、つい、あれこれ思ってしまうのである。
旧題:堀川潭/著 『悲劇の島』雑感 (03/03/06 記)
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