ミラー著『アインシュタインとピカソ』
旧題:「ミラー著『アインシュタインとピカソ』から」
本書はタイトル名だけで買ったといっていい本である。その意味で罪作りな本ではある。
小生ならずともアインシュタインのファンは世の中に沢山いるだろう。一方、ピカソのファンも、これまた数えきれないほどにいるに違いない。その両者を並べれば…、これは売れる。筆者は、アーサー・ミラー。訳者は松浦俊輔氏。
せっかくなので、生命誌研究館の中村桂子女史の本書に寄せての感想を紹介しておく。良識ある人は、そのサイトを読めば本書の紹介という点で十分だと思う。
小生のガキの頃の英雄は、力道山でもなければ長島茂雄でもなく(王貞治には痺れたけど)、ニュートンやアインシュタインだった。
ま、野口英世やエジソン、マリー・キュリー夫人、パスツール…と、ガキの頃に読んだ偉人伝は数多いし、中学の頃は、まだ自分も何か科学に関係する仕事に携われるのではという思い上がりというか、うぬぼれというか、身の程知らずな思いもあったが、高校に入る頃には、さすがに科学のセンスが欠片もないことを思い知らされた。高校3年の夏になって最終的に科学(物理)への道を諦めて理系から文系へと進路を変えてしまった。
無論、単に諦めただけではなく高校二年の頃から哲学に目覚めて(デカルト、ラッセル、パスカル、フロイト、ショーペンハウエル、三木清…)、事象のいかにではなく、そもそもあるということ自体の不可思議に目が開かれたということもある。
ラッセルの『数理哲学入門』、特にペアノからフレーゲに至る算術の哲学の論旨の展開に、息を呑む思いをさせられたものだ。
その後、ラッセルらの先にはヴィトゲンシュタインがいると知るに至るのだが。それでも学生時代に既にラッセルからは離れていたにも関わらず、ラッセルの『自伝』を読んで、天才の頭脳の燃えるような煌きに圧倒されたものだった。
科学に自ら携わることは諦めたとはいえ、科学への興味が失われたわけでは一向になかった。毎年必ず物理や生物や医学や天文学(宇宙論)などの啓蒙書を読み漁ることは止めなかった。というより、一ヶ月でも理科系の本の読書から離れると、心の渇きが生じて、書店へ図書館へ足が自然に向き、最新の科学の動向に目を向けるのだった。
その中で、直接間接を問わずアインシュタインは理科系の読書の焦点であり続けた。というより、20世紀以降の物理学(天文学、宇宙論)の発展は彼の考案した相対性理論なしにはありえなかったのだ。
彼の決定論(偶然性や確率を原則として認めない立場)的理論は、彼が一般性相対性理論を構築した、そのほんの数年後にはハイゼンベルク(ニールス・ボーア、 シュレディンガー)らによって開発された量子論により乗り越えられてしまう。
(ちなみに、ハイゼンベルクの『部分と全体』(山崎 和夫訳、みすず書房刊)は、刊行されて久しいが、物理学では今も最高に知的興奮に溢れる書だ。物理学者の書いた本で唯一、部分的にでもプラトンの対話篇の域に迫る本だと思う。機会があったら改めて触れてみたい本。学生時代に刊行された直後のその本を大学の書店で見つけて、即座に購入し、一気に読み終えた。あの興奮は忘れられない。その後、二度だけ再読している)。
よく言われるように、アインシュタインは、量子力学というのは確率を含むため基本的に不完全な理論に過ぎないと生涯、見なしていた。その量子力学を駆使した宇宙論においては、アインシュタインの相対性理論は必要不可欠の理論だということは、皮肉なのかどうなのか。
相対性理論を越えることは不可能なことなのか。スーパーストリング理論を含め、小生には今後の宇宙論の動向は興味津々なのである。既に紹介したが、ブライアン・グリーン著の『エレガントな宇宙』(林一・林大=訳、草思社刊)は、超ひも理論の紹介の書だが、それ以上に、物理学(宇宙論)は、実は、今後も際限のない展開の可能性に満ちていることを示してくれるという点で興味深い本だった。
さて、一方のピカソである。小生は必ずしもピカソのファンではない。「ゲルニカ」や、本書の中で焦点となっている「アヴィ二ョンの娘たち」、あるいは初期の青の時代など好きな作品は多数ある。「ゲルニカ」など、原爆と絡めてエッセイも書いている。
それでも、小生は、パウル・クレーやミロ、ヴォルスやフォートリエ、ポロック、ジャン・デュビュッフェら抽象表現主義や特にアンフォルメルの作家達に惹かれて来た。その前はムンクやエゴン・シーレ、フリードリッヒらである(彼らには無論、今も惹かれている)。
参考に抽象表現主義やアンフォルメルの作家達を紹介するサイトを示しておく。
ピカソの「ゲルニカ」や「アヴィ二ョンの娘たち」に圧倒されながらも、何か窮屈なものを感じて、無条件に彼の作品世界には浸れなかったのである。その原因の一端が、本書を読んで多少は分かったような気がした。
かなり強引な説明を試みると、現代の宇宙論が古典的決定論の発想から抜け出せなかったアインシュタインの宇宙論のままでは決して誕生できず、むしろアインシュタインの殻を破って、量子論を駆使することで豊穣な世界を展開できたように、美術の世界でもピカソが絵画の世界において時空の認識と表現において革命を起こしたにも関わらず、ピカソは逆に彼のどこか古典的世界を引き摺った発想法のままに、他の画家達のようには自由に奔放には実は羽ばたいていなかったのだ。
二人が20世紀の初頭において、革命的な展開の契機を創出したが、その先へは彼ら自身は進めなかったのである。
強引な理屈であることは承知している。そもそも物理学と絵画芸術を同列に論じること自体が無理のあることは分かる。それでも、ピカソが晩年に至るまで旺盛な創作意欲を示したとはいえ、クレーやヴォルス、あるいはモンドリアンらの示した吹っ切れたような世界には至れなかったことは間違いないように感じる。
それにしても、冒頭で紹介した中村桂子女史の言を借りるなら、「……それを21世紀はどう展開するのか。次の天才はどんな形で現れるのでしょうか。その兆しはどこかに見えているのでしょうか。知の興奮の時を待っています」というのは、小生も心底、同感する。
きっと、何処かで誰かが今、新たな世界への飛躍を試みているに違いないのだ。
(03/02/03)
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コメント
TBありがとうございます
量子力学は昔ランダウというロシアの人がいたような気がします、僕が学生の頃には既に交通事故で亡くなっていたと記憶しています
投稿: ウォルフガング | 2005/03/03 21:55
ランダウ’=リフシッツ)というと、物理学科の教科書(テキスト)として使われる本を書いた方でしょうか。最近は、学生には難しいから読まれていないとか:
http://landau.exblog.jp/225884/
投稿: 弥一 | 2005/03/04 09:45
そうです、確かに超難しい本ですが、日本の大学生も馬鹿になったのだとしたら哀しいですね、物理学の学生ならこれくらい読めないとね
流体力学だけが何故か岩波から、他は東京書籍から出てました
投稿: ウォルフガング | 2005/03/05 01:28
学生時代(入学当初)、富山小太郎著の『力学』(岩波書店)を読もうとして、理解できず、挫折したことがあります。この本って、初歩の初歩を扱う本ですよね。苦い思い出です。
ウォルフガングさんは、音楽にも物理にも詳しいのですね。
投稿: 弥一 | 2005/03/05 01:59
お知らせ:
アーサー・I・ミラーが「次世代文化フォーラム」の基調講演者として、やってきます。
開催日:2006年8月30日(水)14:00~17:00
開催場所:東京大学安田講堂
参加費:一般2500円、学生1500円、
交流会参加費(定員100名):2000円
次世代文化フォーラムhttp://kamakura.ryoma.co.jp/~aoki/ace/forum.htm
問い合わせ Email: forum_ticketinfo@acejapan.or.jp
投稿: プラトテレス | 2006/06/24 21:22
プラトテレスさん、情報、ありがとう。
聞けるものなら聞きたい。でも、水曜日の昼間となると。
投稿: やいっち | 2006/06/24 22:00