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2005/02/26

麻生幾著『極秘捜査』

旧題:「麻生幾著『極秘捜査』(文春文庫)雑感」

 副題に「政府・警察・自衛隊の[対オウム事件ファイル]」とある。
 小生は麻生幾氏という方の本を初めて読むのだが、著者紹介には作家・ジャーナリストとある。その割には、本書はあくまで官権と反政府組織であるオウムとの戦いという視点で書かれている。
 警察や自衛隊や、阪神・淡路大震災の対応で厳しい批判の対象となった政府(村山内閣)について、批判的な視点は基本的に見つからない。僅かに、誰もが知る警察のネックである刑事と公安の対立が最後に若干触れられるだけである。
 本書を小生は車中での休憩時に読んだので、以下、ないよう案内を兼ねて、車中でのメモ書きを関係する箇所だけ抜粋して列挙する。

2003/01/23 (木)
 『カフカ寓話集』(池内紀編訳、岩波文庫刊)を読了した。前にも書いたけど、本書にはカフカの書いた絵(ペン画やエンピツ画)が挿入されている。凄く、センスを感じる。挿絵画家として自立できたんじゃないかと思ったり。
 会社では、『極秘捜査』(麻生幾著)と、気分転換に芸術新潮をパラパラ捲っている。今月号は歌麿特集。すげぇって感じ。見ごたえがある。リアルに、超リアルに男女の交わり(の部分)を描いている。
  自宅では、『AV女優 2』と『アインシュタインとピカソ』だ。取り合わせは変かもしれないけど、面白い。

2003/01/25 (土)
 昨日も合間合間に麻生幾著の『極秘捜査』を読んでいた。松本サリン事件やオウムが絡む拉致事件が頻発し警察庁が対策本部を立ち上げる。拉致事件に絡み、警視庁も独自に本部を立ち上げ、上九一色村のサティアンに突入しようとする。
 が、サリンが絡むことに鑑み、警察庁の待ったが入る。サリンという未曾有の化学兵器の登場に警察庁は密かに自衛隊の化学兵器にノウハウを持つ部隊の協力を仰ぐ。いよいよ警察庁の体制が整い、サティアンなどへの一斉捜索の日取りが決まる。
[警察側の体制を整えるのは至難だった。サリンへの対処に苦慮したこともあるが、その年の1月に発生した阪神・淡路大震災の救助活動などで自衛隊も警察もフル活動していて、警察官も自衛官らも疲労の極にあったのだ。]
  一方、オウムも警察庁の動きを察知し、警察の捜査を一歩先んじて、地下鉄サリン事件を起こす。オウムはとうとうやってしまったのだ。

2003/01/30 (木)
 そう、「極秘捜査」では、いよいよオウムの連中が地下鉄でサリンを撒き、自衛隊や警察が、上九一色村に突入する場面となっている。地下鉄で撒かれたサリンの洗浄に自衛隊などがいかに苦労したかが分かる。
 それに、警察が上九一色村のオウム施設に強制捜査に入る時、オウムがどの程度サリンを所蔵し、あるいは武器を持っていたのか、十分な情報がなかったということに驚く。
 ピストルが一丁でもあれば、警察は突入に躊躇うのに、相手はオウムであり、サリンを持っている可能性があり、ピストルを持っているかもしれないのに、強制捜査に踏み切ったのだ。

2003/01/31 (金)
 御蔭で「極秘捜査」を百頁ほど読めた。
 上九一色村のサティアン群に強制捜査を仕掛けたが、もぬけの殻。あるかもしれないサリンも見つからない。幹部も行方不明。
  いよいよサリン発見や幹部の捜索のため、警察の威信をかけた大捜査が始まる、その矢先、何者かによって警察庁長官である国松氏が狙撃された。
 明らかにプロ中のプロの手になるもの。暴力団にはできそうもない高度な技(わざ)。
  なかなか捜査が実を結ばない中、捜査の網にある信者の乗ったが引っ掛かる。その車には、多くの雑物と共にMO(光ディスク)が見つかった。
 その中には膨大な資料が。さらに各地の関係する県警が足で集めた情報を集積し、オウムに立ち向かう。

 この後は残りわずかとなったので自宅で読んだ。警察とオウムの懸命の戦いは一応は警察の勝利に終わったと言える…のか。
 最後の最後まで刑事警察と公安警察との確執は解けず、国松警察庁長官(当時)を狙撃した事件も未解決。何人かのオウム関係者も見つかっていない。オウムの危険な性格が少しは変わったのか分からない(今後のオウムの活動方針)。
 あるいは警察と自衛隊との連携、あるいは警察庁と警視庁との確執や地方の警察署との連携の拙さなど。
 さらに、本書の中では全く未解決(ないしは手付かず)なのがオウムとロシアとの関係や、暴力団との関係。
 北朝鮮問題でも覚醒剤や武器などで暴力団が深く関与しているようだが、オウムでも薬物の密造や販売に暴力団が関与しているが、結局は闇の中に消えたままである。
 国松警察庁長官(当時)を狙撃したのは日本の暴力団関係者ではない。奴等の中にそんな度胸も腕もある奴はいない、と断言する辺りは、なんとなく滑稽。過日の群馬での組長襲撃事件を見ても、なるほど、日本の暴力団には冷徹な狙撃など無理だと納得させられる。
 驚いたのはオウム捜査の上で、かの不祥事で有名な神奈川県警が足で稼いだ情報がかなりの役割を果たしたこと。オウム信者等の情報を神奈川県の内部に関しては、相当に調べ上げていたのだ。
 やることはやっていたということか。
 さて、本書にオウムの教義や今後の方針がどうかを問うことは見当違いだろう。オウム信者側の言動などはほぼ無視されている。別に彼らに同情する必要などないのだろうが、しかし、何故に彼らがそういう方向に走ったのかについて、多少はジャーナリストとして通り一遍でもいいから調査し証言を取ってほしかった。
 ただ、凶悪な犯罪者集団(狂信的なカルト集団)がいます。危険なのでやっつけました、では、今後への教訓に何もならないだろう。
 それと、最後の大きな山場である、麻原彰晃らに対する殺人罪・殺人未遂罪の容疑で逮捕状を請求する場面がある。東京地検が最高検察庁の吉永祐介検事総長から決裁を貰うのだが、その吉永氏の名前が、間違っているような(p.435)。
 ちょっと気が抜けてしまう。97年に単行本で刊行され、文庫本化されたのだ。もう、訂正がなされていて構わないはずなのだ。
 最後に繰り返しになるが、本書はあくまで警察などの側から捜査の苦労などを描いたものである。警察内部、あるいは警察と自衛隊の連携の拙さ、政府の対応のドタバタぶりなどは極力省かれている。
 ただ、そうした点を割り引いても、サリンや炭疽菌を実際に使った未曾有の事件だっただけに、警察などの苦労が知れて興味深かった。一読に値すると思う。
 その警察(自衛隊、政府)の一番の頭痛の種は最後まで二台のラジコンヘリコプターだった。その訳は、本書を最後まで読むと分かる。
 地下鉄サリン事件が発生した頃、小生はまさに失業保険の給付期間も過ぎ、いよいよ次の仕事を選ぶ決断をする直前だった。その年の1月には阪神・淡路大震災も発生している。まるで自分にサラリーマン人生に訣別し、好きなことをやる、そのために多くのことが犠牲になっても仕方ないと、決断を迫るかのようにこれらの事件や出来事を受け止めていた。
 大方の人には大震災もオウム事件も風化してしまったのだろうか。今更、これらの出来事の意味を問い直すことは時代錯誤なのだろうか。そんなことはないはずなのだが。

                               (03/02/02)

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