『カフカ短篇集』あれこれ
例によって読書感想文である。但し、今回は感想文にもならないかもしれない。
予め断っておきます。
小生はカフカの有名な作品や日記は幾度となく読んだが、『変身』などを例外として、カフカの短篇集を再読したことはなかった。今回が初めての再読となるかもしれない。読んだのは、『カフカ短篇集』(池内紀編訳、岩波文庫刊)で、この文庫で読むのはこれまた初めてである。
読み終えて、もっと早く読んでおけばよかったと思った。発見があったからである。幾つかの作品に新鮮なショックも受けた。その衝撃は何ゆえかの分析は、今はできそうもない。一番いいのは、自分なりに虚構作品を書いて、拙いなりに応用して見せることだと思う。
本書所収の作品のどれも面白い。「掟の門」とか「判決」とか「中年のひとり者ブルームフェルト」とか。
ここには本書の中で一番短い作品(の一部)を紹介しよう。まさに小品である。紹介といっても、内容についての小生の下手な解釈を示そうというのではなく、本文(の一部)を引用するので、関心のある方は味読して欲しいというだけである。
「夜に」
夜に沈んでいる。ときおり首うなだれて思いに沈むように、まさにそのように夜に沈んでいる。家で、安全なベッドの中で、安全な屋根の下で手足をのばし、あるいは丸まって、シーツにくるまれ、毛布をのせて眠っているとしても、それはたわいのない見せかけだ。無邪気な自己欺瞞というものだ。実際は、はるか昔と同じように、またその後とも同じように、荒涼とした野にいる。粗末なテントにいる。見わたすかぎり人また人、軍団であり、同族である。冷ややかな空の下、冷たい大地の上に、かつていた所に投げ出され、腕に額をのせ、顔を地面に向けて、すやすやと眠ってい
る。だがおまえは目覚めている。おまえは見張りの一人、薪の山から燃えさかる火をかかげて打ち振りながら次の見張りを探している。なぜおまえは目覚めているのだ? 誰かが目覚めていなくてはならないからだ。誰かがここにいなくてはならない。
「橋」
私は橋だった。冷たく硬直して深い谷にかかっていた。こちらの端にかかっていた。こちらの端につま先を、向こうの端に両手を突きたてて、ポロポロと崩れていく土にしがみついていた。風にあおられ裾がはためく。下では鱒の棲む渓谷がとどろいていた。こんな山奥に、はたして誰が迷いこんでくるだろう。私はまだ地図にも記されていない橋なのだ――だから待っていた。待つ以外に何ができる。一度かけられたら最後、落下することなしには橋はどこまでも橋でしかない。
ある日の夕方のことだ――もう何度くり返してきたことだろう――私はのべつ同じことばかり考えていた。頭がぼんやりしていた。そんな夏の夕方だった。渓谷は音をたてて黒々と流れていた。このとき、足音を聞きつけた。やって来る、やって来る!――さあ、おまえ、準備をしろ。おまえは手すりもない橋なのだ。旅人がたよりなげに渡りだしたら気をつけてやれ。もしもつまずいたら間髪を入れず、山の神よろしく向こう岸まで放ってやれ。
彼はやって来た。杖の先っぽの鉄の尖りで私をつついた。その杖で私の上衣の裾を撫でつけた。さらには私のざんばら髪に杖を突きたて、おそらくキョロキョロあたりを見回していたのだろうが、その間うっと突きたて
たまま放置していた。彼は山や谷のことを考えていたのだ。その想いによりそうように、私が思いをはせた矢先――ヒョイと両足でからだの真中に跳びのってきた。私はおもわず悲鳴をあげた。誰だろう? 子供か。幻影(まぼろし)か、追い剥ぎか、自殺者か、誘惑者か、破壊者か? 私は知りたかった。そこでいそいで寝返りを打った――なんと、橋が寝返りを打つ! とたんに落下した。私は一瞬のうちにバラバラになり、いつもは渓流の中からのどかに角(つの)を突き出している岩の尖りに刺しつらぬかれた。
カフカは、たとえばこの「橋」を不条理な文学として着想していたのか。何故に自分が「橋」なのかは分からない。しかし、とにかく自分は橋であり、橋としての役目を果たさなければならない。意味などないわけではない。といってあるともいえない。意味というのは、そもそも自分が理解できるということ自体、不遜なのかもしれない。何故、自分がここにいる、このような人間としている、このようなあのような人間達や社会・制度・国家の只中にいるのか、そんなことが分かるわけもないのだ…。
それとも、ただの寓話、滑稽な話として思いついただけだったのか。
訳者である池内紀氏が本書の解説をされている。その中でカフカの言葉が引用されている。『ヤノホとの対話』からのもので、「カフカはあるとき年少の友にむかって、こんなふうに言ったという」のだ:
「ある物語を聞きとるための耳が成熟するには、長い時間が流れなくてはならないのです」
大切なことは、ひたすらに生き、耳を澄ませることなのだろう。ゴドーを待つように。それまでは、何かが己に至るまでは、下手な解釈などせず、面白さを堪能していればいいのだ。
(03/01/14)
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