天沢退二郎他著『名詩渉猟』
天沢退二郎他著『名詩渉猟 わが名詩選』(詩の森文庫 102 思潮社)を読んだ。
でも、楽しんだと言えるかどうか。
本書の謳い文句を転記しておくと、「詩の森文庫創刊!既成の愛唱詩集を捨てよ 天沢退二郎、池内紀、岡井隆、塚本邦雄、立松和平、坪内稔典、四方田犬彦 オリジナルな名詩選を繙くことで、かつてない詩的体験が訪れる」とのこと。
詩の世界にも疎い小生なので、いずれ劣らぬ詩人や作家たちの、それぞれののオリジナルな名詩選を一冊の本で渉猟できるというのは、ありがたいことだった。
とはいえ、溜め息頻りの詩体験でもあったが。
小生など、詩というと、遠い昔の『一握の砂』の石川啄木や 『二十億光年の孤独』の谷川俊太郎に始まり、『北原白秋詩集』を時に繙き、学生時代のほんの一時期、既に晩年を迎えていた金子光晴に凝り、ほとんど勉強のためという心境で草野心平らを齧った程度で、小生には遠い世界だったように思える。
鮎川信夫や谷川雁は、名前だけ、中原中也も個々の詩に輝きを感じるだけ、大岡信も詩人としてより、評論家として彼の著に親しんでいただけ。宮沢賢治の詩も、初めて感動したのは94年の失業時代になって初めて。吉本隆明が好きだということで高村光太郎詩集を覗き、肝心の吉本隆明の詩はネットで覗くだけ。
一番、最初に覗いた詩集というと、ゲーテ詩集だった。それも、好きな人がゲーテの詩を好きだという噂を聞きつけたからに過ぎず、ゲーテの詩の世界というより、ゲーテの詩の言葉の端々に憧れの人を想うという純情可憐なもの。
小生には詩よりも、歌謡曲のための作詞された歌詞のほうがガキの頃からの馴染みだった。「雨に咲く花」(唄:井上ひろし)や「アカシアの雨がやむとき」(唄:西田佐知子)、「王将」(唄:村田英雄)に「霧の摩周湖」(唄:布施 明)や「虹色の恋」(唄:中村晃子)など…(「歌謡曲の時代」参照。このサイトに出てくる大半の曲は今も口ずさむことができる。こうした歌詞や歌謡曲への思い入れについて、いつか、取り組んでみたいものである。「エッセイの部屋」に少々、試みの小文が載っている。いつか、「音楽の部屋」として独立させたいと思っている)。
ずっと、歌詞に親しんで、歌詞と所謂詩人の詩との乖離を超えようともしなかった。今でも、さだまさしや中島みゆきらの作詞のほうが好きだったりするが、さて、彼らの作詞は作曲というかメロディを離れてだと、つまり、詩単独の世界に向き合った時に好きになれていたかというと、定かではない。
当然のことながら(?)、文芸雑誌の類いは一切、買わないし覗かない小生のこと(この三十年余りで二冊ほど、買ったかどうか)、詩の雑誌も買わない。そもそも、『現代詩手帖』も一冊くらいは、もしかしたら何かの間違えで購入したことがあったような気がするが、パラパラと捲ってみるだけだったような気がする。
そんな貧しい<詩>体験。
ネットの世界に関わるようになって初めて、小生は歌謡曲の歌詞以外の詩の世界に親しむようになったといっていいような気がする。ネットの仲間となった方たちの詩に触れる機会が増えたからだ。身近な人(といっても、ネット上でのことに過ぎない)が書くということで、初めて、詩を書く人に知り合いを持ち、親近感を抱き、詩を自分なりに丁寧に読み口ずさんでみたりするようになったのだった。
ある意味、詩の世界を味わう喜びをしみじみと感じるようになったのは、この数年だといっていいような気がする。
そんな小生がネットを通じて知った方の詩をここに紹介したいが、相手の方が紹介を望まれるかどうか分からないので、自重しておく。
さて、このように書いてくると、小生は詩の世界に無縁の人間に思われるかもしれないし、実際、そうなのだが、なのに、小生は詩の世界に憧れてきたのも事実。
その憧れがまた奇妙奇天烈で、絵画や数学や音楽に憧れるように詩の世界に憧れてきたようにも思える。この憧れの心情には、自作は手の届かない営為なのだろうなという諦めの念も常に付き纏っているのである。
絵画にしても数学にしても、たとえ間近に作品や論文や描く行為や推論する営為を垣間見ていてさえも、その奥深い緑豊かな世界が霞越し仄かに仰ぎ憧れ見るのが精々であるように、それほどに大雑把で鈍感な感性しか自分にないことを痛感するように、詩の世界についても、ダイヤモンドの輝きでさえ、分厚い雲を透かしてやっと洩れ出てくる朧な光を目にして、ああ、感受性が人並みにあればもっと詩の世界を痛切に哀切に感性を直撃されて味わう…、味わうだけじゃすまなくて、つい己の言葉としての表現行為に至ってしまうのだろうなと想うばかりなのである。
その鈍感さの正体は一体何なのか。そこには、詩や数学や音楽や絵画や…、そうではなく人生そのものへ欣求する念も見え隠れしている。
(本書の中で一番、詩人らしくなく作家的な文章を書いている立松和平が金子光晴の詩に共感している、彼の「おっとせい」の詩に思い入れしている、その文章に心ならずも共感してしまったことが、何事かを暗示しているようでもある)
ガキの頃、小学校に上がる前に妙に救いようのない、中学か高校の時に、ひょんな偶然で知った諦念という言葉で表現するしかないような、人生を諦めるような妙なエアポケットに嵌ってしまった。
自縄自縛でしかなかったのだろうけれど、勝手に短絡的に人生を遥か遠くに眺めてしまう、自分には人生などありえないのだという思い込みの中で、深く深く沈み込んで行った。何処へ沈んでいったのか自分でも分からない。
人生に臆してしまったのだと思われる。本当は、些細な罅割れ程度の亀裂にすぎないものを、針小棒大というか、センチメンタルに誇張してしまって自分と回りの世界の間にとてつもない深く黒い河をあるものと思い為してしまった。
一旦、そうした斜面で滑り落ちる感覚に甘酸っぱい快感を見出してしまうと、もう、その蟻地獄(地獄なのか極楽なのか見分けのつかない、カサブタを剥がすにも似た神経を逆撫でされるような<快楽>にも似た底なしの愉悦の園)から脱するなど論外になってしまう。崖を攀じ登ろうにも、あまりに崖が急峻に見え、声をあげる気力も萎え、しかも、その崖の中途にはそれなりの身を潜め雨風を凌ぐ穴倉というか窪みもあったりして、いいや、今更、指や手を傷つけてまで、今度は本当に崖下へ転落する危険を冒してまで頑張る値打ちもないし(挑戦する勇気も覇気もない!)、このまま薄明の境で、人生の風雨を崖に生える草で編んだ蓑などを被って避けていれば、そのうちに人生の時も過ぎ去り行くに違いないのだし…。
感性の鈍磨とは、つまりは人生を臆し怯える臆病の念に過ぎないのだったろうけれど、でも、気が付くのが遅すぎて、或る日、はっと気がつくと、自分が何処にいるのかさっぱり分からなくなってしまっていたのだ。もう、どうしようもない闇の世界の泥沼で足掻いているばかりで、どっちへ向いて足掻けばいいのかも分からない。足掻くほどに泥濘の深みに嵌り、沈み込んでいく。息が苦しくなる。
苦しみに耐え切れず、感性を閉ざしていく。感じることを止める。生きることに共感することを臆する。今更、下手に感じ共感などして、取り返しの付かない間違いに後悔するその恐怖など味わいたくはない…。
詩も音楽も絵も数学も、つまりは人生も遠い憧れ、自分には無縁な世界。乾いた砂の原、乾きすぎた空気、人影どころか枯れた雑草の一本さえ見ることのない不毛の世界。
そう、詩への憧れとは、つまりは、そんな臆病の念に取り込まれ、自閉してしまっている蓑の中の、殻の中の自分を痛撃する一言を欲する気持ちに他ならないのかもしれない。
詩人の綴る詩の世界から我が身を我が心を引き上げてくれる、そんな一言にめぐり合うことを希っていた。
言葉を変えていうと、蜘蛛の糸が天上世界から、詩の世界から、一本でもいいから垂れ降りてくることを期待していたのだということなのだろう。
自閉する心に掠り傷の一本も与えることができないものか。何も見えない感じない、絶えず縮小していく、酸欠の一途を辿る密閉された時空に風穴を開ける一言が見つからないものか。鈍磨した神経を一閃する匕首の煌きはないものか。
こんなふうにして詩に接するなんて、邪道の極みなのだろう。
そうして、ついには、自分で小説を詩を句を作るしかないのかという思いにまで立ち至ってしまった。どんなに無様であっても、風穴は自分で穿つしかないのだ。現実へ至る脱出路を凍て付いた氷の世界に指先でガリガリやって作り出すしかないのだ。
虚構とは、自分にとってある種の隘路であって、恐らく、10のうちの8か9は、もっと居心地のいい崖の途中の避難場所を作るに止まるのだろう。けれど、それでも、崖の上によじ登る可能性が全くないわけでもなく、幻想であっても蜘蛛の糸を自ら吐き出し、無数の極細の糸を捩る合わせて、現実感たっぷりの世界に近付こうとすることくらいはやりつづける。
なんだか、表題の本とはまるで無縁なことばかりを書いてしまった。でも、これが一番、正直な感想なのかもしれないと思ってもみたり。
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