ブラッグ著『巨人の肩に乗って』
メルヴィン・ブラッグ(Melvyn Bragg)著『巨人の肩に乗って―現代科学の気鋭、偉大なる先人を語る』(熊谷千訳、長谷川真理子解説、翔泳社刊)を読了した。
表題の「巨人の肩に乗って」というのは、科学者などの伝記本好きならずとも、かのアイザック・ニュートンの「わたしが人より遠くを見てきたのは、巨人の肩に乗っていたからだ」に由来することは、小生が説明するまでもなく、それと気付いていることだろう。
但し、本書によると、この言葉は既に過去において引用されているのだとか。小生は初耳だった。念のため、当該部分を引用しておくと、「シャルトルのベルナールいわく、われわれは巨人の肩に乗った小人のようなものだ。当の巨人よりも遠くを見わたせるのは、われわれの目がいいからでも、体が大きいからでもない。大きな体のうえに乗っているからだ。1159年、ソールズベリーのヨハネス」だとか。
小生ならずとも子供の頃などに科学者など英雄の伝記を読むのが好きだったという人は、結構、多いのではなかろうか。小生のように、いい年になってからも、毎年何冊かは欠かさず読む人は少ないかもしれないが。
尤も、本書は伝記本ではない。「アルキメデス、ガリレオ・ガリレイ、サー・アイザック・ニュートン、アントアーヌ・ラヴォアジェ、マイケル・ファラデー、チャールズ・ダーウィン、ジュール・アンリ・ポアンカレ、ジークムント・フロイト、マリー・キュリー、アルバート・アインシュタイン、フランシス・クリック、ジェイムズ・ワトソン」という12人の科学者らの知的創造の秘密を、現代の碩学、知の巨人たちに語ってもらうという趣向の本なのである。
本書の中で扱われている科学者で、小生が伝記なり評論なり本人の著書なりを読んでいない人物はいない。それどころか、彼らに付いて語る、ロジャー・ペンローズ、ポール・デイビス、ジョン・グリビン、リチャード・ドーキンス、ダニエル・デネット、スティーブン・ジェイ・グールド、イアン・ステュアート、オリヴァー・サックス、ジョン・ホーガンらの本もそれぞれに一冊ならず読み漁っている。
数学者にも物理学者にも、そもそも科学者にはなれなかった小生だが、科学の世界は、文学や芸術の世界と拮抗するほどに垂涎の世界であったし、今も、そうなのである。
だからこそ、啓蒙書だろうと何だろうと読み倒していく。
科学者の本で、専門分野を離れても素晴らしい文章を書く人がいる。誰もが知るだろう、寺田寅彦や中谷宇吉郎らで、彼らの随筆全集は座右にある。全部を急いで読むのが勿体無くて、敢えて読み残してあったりして。
個別には、『物理学とは何だろうか』などの朝永振一郎や湯川秀樹(自叙伝『旅人』)、養老孟司(「身体の文学史」(新潮社)は抜群)などなど、好きな書き手は数多くいる。「若き数学者のアメリカ」の著者で数学者の藤原正彦のエッセイも大好きだ。
下に列挙する方々以外にも、リチャード・フォーティやハインツ・R.パージェルらの諸著も素晴らしい。前者については、 『三葉虫の謎』(垂水雄二訳、早川書房)や、『生命40億年全史』(渡辺政隆訳、草思社刊)など、後者については(彼は故人である。若くして亡くなられた。実に惜しい!)、『量子の世界』や『物質の究極』(共に黒星瑩一訳、地人書館刊)などがいい。
翻訳モノで科学者の自伝というと、W・ハイゼンベルク著の『部分と全体 私の生涯の偉大な出会いと対話』(湯川秀樹序・山崎和夫訳、みすず書房刊)に尽きるだろうか。
さて、本書について小生如きが感想を書くのはやめておく。紹介するサイト(99年11月Science Book Review)の感想に基本的に同感だし、本書に即した感想はその箇所のほうが参考になるだろうと思う。
本書は、基本的に文系の方向きと言えるかもしれない。それは数式が全くないこと以上に、記述内容が平明で、専門性という観点からすると、やや物足りないと感じるかもしれない点にある。
科学者ということで、ガロアやガウスら数学者は(ポアンカレを数学者だとすると彼を除けば)エントリーされていないのが残念だが、一般性を考えると難しいのか。
寝床で眠りに付く前に科学の香りを嗅いでみるには、科学する魂の渇きをほんの少しでも癒すには相応しいと思う。
数式を使わない科学啓蒙書というと、マイケル・ファラデーの「ろうそくの科学」(岩波文庫刊)が筆頭の候補だろう。その文章をネットでも読めることに、今、気が付いた。せっかくなのでサイトを紹介しておく。ファラデー晩年の名講演に未だ触れていない人は、一度は触れてほしいものである:
「ロウソクの科学 The Chemical History of a Candle 翻訳: 山形浩生」
科学も、きっと、究極においては、芸術と相通ずるところがあるに違いない。
本書の解説で長谷川真理子氏が書いているが、「科学と芸術は、ある意味で正反対の精神的活動のように思われることもあるが、実は、科学の研究には芸術的活動と似ているところがある。両者ともに、人間の本来的な欲求に基づく活動であり、科学は「知りたい」という欲望に基づき、芸術は「表現したい」という欲望に基づいている。」のだと小生も思う。
本書には、解説の長谷川真理子氏についての紹介が肩書も含め一切、見つからなかったが、恐らくは、『雄と雌の数をめぐる不思議』(中央文庫)などの著者である、霊長類生態を専攻された、この方なのだろうと思う。
間違っていたら、ごめんなさい。
尚、著者のメルヴィン・ブラッグについては、他に著書として『英語の冒険』(三川 基好訳、アーティストハウスパブリッシャーズ刊)があり、「1939年生まれ。オックスフォード大学で歴史を学ぶ。ガリレイやニュートンなど偉大な科学者の功績を描いた『巨人の肩に乗って』(翔泳社)をはじめとしたノンフィクションや、PEN賞を受賞したThe Hired Manなどの文芸作品を多数発表。ロンドンおよびカンブリア在住」くらいしか情報がない。
本書はBBCのラジオ番組から生まれたとか。日本と英国の彼我の違いを改めて感じる。
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