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2005/02/03

宗左近著『日本美・縄文の系譜』(前編)

 今、宗左近著『日本美・縄文の系譜』(新潮選書刊)を読み直している。縄文に拘った一連の作家・思想家・芸術家などを改めて読み返してみようという試みの一環である。今後、岡本太郎や梅原猛などを扱うつもりでいる。

 その前段階として、「小山修三著『縄文学への道』再読 」を既に公表しているが、この宗左近著『日本美・縄文の系譜』についても、近いうちに紹介したいと思っている。
 さて、その前に、本書の末尾に気になる一節があったので、今回はその点に触れたい。
 その一節というのは、「東北の生んだ重要な思想家のうち、少なくとも安藤昌益、平田篤胤、埴谷雄高の三人だけは、本書で語りたかった。そこには、縄文の伏流水が激しく噴き上げている」という件(くだり)である。
 安藤昌益や平田篤胤はともかく、埴谷雄高については虚を突かれた感があった。
 小生とても、彼が東北は福島と縁(ゆかり)が深いことは知っている。
 実際に生まれたのは、父の事情もあり埴谷の姉と共に台湾においてだった。埴谷の台湾での経験が彼の文学形成に与えた影響については、彼自身、縷縷語っているところでもあり、周知のことだろう。
 が、東北は福島と彼との関係については、あまり深く考えてこなったのである。
 小生自身、以前、埴谷については、<結核>というキーワードとの絡みで簡単に触れたことがある。
 息継ぎの苦しさについては個人的な事情もあり、文学的分析というより、肉体的な地平から埴谷の文体を感覚的に読み取ってみたのである。
 ちょっと長い引用になるが、関連する部分を以下に示す:

 健康な人でも風邪を引いたりすると、多少は経験するものだが、咳き込むようになると息を吸ったり吐いたりする、ただそれだけのことが苦痛となる。下手に息をすると、喉や気管支を刺激しそうで、吸う時は出来るだけ穏やかに、喉などへの刺激をできるだけ減らそうとするし、逆に吐くときでも、ゆっくりゆっくり、少しずつ少しずつ吐き出すのである。
 吐き出すという表現より、風船の表面にある意味で息の微粒子よりも微細な穴が開いていて、そこから空気が静かにさりげなく息というか空気自身が移動していることに気付かないほどに幽かに風船から漏れ出すようであってほしいと、切に願っているような息の仕方をする。
 文章の切れ目、句読点は、息継ぎのようなものだ。一つの息が出来るだけ長く続くのであるべきなのである。それが咳き込まないコツなのである。息をする本人でさえ息をしていることに気付かないほどに深く静かに穏やかな凪の波間のように文章を紡ぐ。
 正に繭から根気良く一本の細い糸を紡ぐかのようなのだ。そうして生きている世界を、そしてこの己が生きている現実の世界から、きっと一本の見えない糸で繋がっているに違いない宇宙に至るまで、ひたすらに息を詰めて息を潜めて渡り移っていこうとする。
 世界は微細な赤い糸で紡がれた宇宙だ。
 メビウスの輪を誰も知っているだろう。細い帯を一回だけ捻った形で両端を合わせた輪だ。その輪の特徴は、何処でもいい、ある任意の点を(つまりは自分が生きている場ならどこでもいいということだ)出発点とするなら、そこから帯の面を辿っていけば、最初は表の面にいたはずなのに、気が付いたら裏側の面に至ってしまう。
 きっと、一本の糸を(息を)決して途切れさせることなく紡ぎ出し、その糸を辿っていく、辿って辿ってひたすらに糸の導くがままに旅をする人間は、やがては宇宙をも一本の糸で辿りつくすことが出来る、出来ると信じているに違いない。
                              (引用終わり)

 埴谷の文体に小生は(小生ならずとも)直感的に息をするただそのことが苦しみである肉体的事情を感得し、それが文体形成に関わっていると感じたのである。
 が、宗左近氏の指摘で、埴谷と東北(あるいは縄文文化との関わり)についても示唆を得たような気がしたのである。
 埴谷は「文学と私」の中で、台湾での体験が彼に文学の根を与えたという話をしている。
 では何故、彼(の父)が台湾に渡ったかというと、父の父、つまり祖父が失った土地を埴谷の父が取り返すため、見入りのいい台湾へ渡ったという事情がある。
 文学形成の根っこは台湾にあるとしても、そうさせしめた契機は埴谷の本籍地である福島の地にあったというわけである。
 彼は台湾で空気銃を使って生き物を殺したという経験を持つ。それが彼に深い、根源的な困惑を与えた。

生きてるものが何かに殺される瞬間、自分の生を保とうと思って飛び上がったけれども自分の力はそこで尽きて、垂直に落ちてきた。それが背景が青空でなんにも無いので非常に鮮明に見えたわけですね。これは少年ながらに嫌な気持ちになって、止めたわけですけども。これは僕の気持ちの奥底の、まあ奥底の、またその奥底に、なんか重い手触りのあるものとして、沈殿してるわけです。
それで僕は、文学のなかでも人間というものをしばしば、弾劾する(笑)というふうなことを書いています。もちろん人間に対する肯定というようなものもしてますけれども、否定・弾劾ということもしまして。それは人間がいつもその人間を殺すという我々の歴史のなかの世界を取り上げて、人間自身を弾劾するばかりじゃなしに、人間が生物を、殺して食べることによって自分の生命を保持していると。だいたいあらゆる生物は、ほかの生物を食べていますけれども、人間ほどあらゆる生物を殺して食べるものはない、と。しかも単に食べるとき以外にも、娯楽として、殺すと…。こういうふうな、娯楽としてもほかの生物を殺すという動物はいないんです本当に。
[引用は、「文学と私」から]
 
 生き物を殺す経験は子どもの頃に多少は誰でも経験する。
 昆虫採集は、今日、都会ではあまり経験できないだろうが、子供たちは様々な形で生き物を殺したり虐めたり(時には仲間の誰彼を虐めたり)する経験を今日でもしていると思われる。
 けれど、その経験が嫌な体験として心に刻まれることが仮にあっても、だからといって「生物史のなかでこれほど恐ろしい動物が、発生し成長したのはまあ人間を以って嚆矢とすると、いうふうな考え方がその後だんだん僕の文学の
なかに出てきまして(笑)」とまで考える人間は、ざらにはいない。
 その発想を支えた土壌は何なのか。きっと宗左近氏は、東北という土地柄であり、東北に長く根強く残った縄文的心情の遠い影響なのだと考えているのだろう。その考えが正しいかどうかは、俄に判断が付かないが、少しは考えてみてもいいと感じたのである。


                                 (03/06/16)

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