マルセル・プルースト著『プルースト評論選〈2〉芸術篇 』
原題:「シャルダンのこと」
マルセル・プルースト著『プルースト評論選〈2〉芸術篇 』(保苅瑞穂編、ちくま文庫)を読んでいたら、中の絵画評論でシャルダンのことを褒める項があった。
小生、シャルダンのことは知らない。
シャルダンって誰? 早速、「シャルダン プルースト」でネット検索したが、うまくヒットしない。
小生の知るシャルダンというと、なんといっても、テイヤール・ド・シャルダンで、『現象としての人間』(みすず書房)はあまりに有名(けど、読んだかどうか記憶に定かではない)。
あと、シャルダンというと、あまいキンモクセイの香りのトイレ用芳香剤を思い浮かべる。
それとも、周防監督の作品で、主人公を役所広司が演じている「Shall We ダンス ?」を省略してシャルダンと呼称するのか、なんて思ったり(尤も、ジェニファー・ロペス、リチャード・ギア主演の「シャル・ウイー・ダンス」もあるが)。
が、やっと何とか画家・シャルダンの絵を見つけることができた。
シャルダンJean-Baptiste-Simeon Chardin ( 1699-1779)については、ディドロDiderot, Denis (1713-1784)にもシャルダン(Jean-Baptiste-Simeon Chardin ( 1699-1779))論があるらしいが、そこまでは手が出ない。
上掲のサイトでシャルダンの絵を眺める。
作品のタイトルもユニークだ。
「えい The Ray」「シャボン玉吹き Soap Bubbles」「Boy Playing with Cards」など。
ロココ派の画家とされたりするようだが、「中産階級の日常的な生活を描いた」りして、ロココ趣味とは一線を画する資質が見受けられる。
ロココ派というと、ヴァトー Jean-Antoine Watteau(1684-1721)である。
「ロココはヴァトーから始まる」とされる。下記のサイトでヴァトーの紹介がされている。絵も見ることができる。
「ヴァトーは夭折の画家である。37歳で肺病のため亡くなっている」という。
37歳での死は夭折なのか。確かに若い最中の死ではあるが。
このヴァトーのことも、プルーストが褒めている。但し、上掲書では、ワットーと表記してあり、この「ワットー」でネット検索したら、データが見つからず、苦労した。
ただ、下記のサイトは興味深い:
「美学藝術学特殊講義 フランスを中心とする18世紀美学史」
その講義内容は、「18世紀の美学を主題とするのは、カントの『判断力批判』(1790)によって確立する近代美学に対するアンチ・テーゼをそこに求めようとしてのことである。この時期の西洋文化の中心は、フランスからイギリスへそしてドイツへと移動してゆくから、考察の中心はフランスの美学におかれる。18世紀の美学は絵画をパラダイムとしていたが、19世紀になると範型は音楽や詩へと移っていく。そこで18世紀美学の入口は画家ワットーが、そして出口は音楽家モーツァルトが象徴する。講義ではこのニ人の仕事の中に見られる美学を考察するほか、関心の美学、絵画の位置、主題への関心、廃墟の美学、 「作者」の誕生などを扱う。 」だって。
こんな授業を聞けたら楽しそう。
さて、ヴァトーというと、なんといっても、『シテール島への船出』である。ヴァトーについてのより詳細な紹介は下記サイトで知ることができる。
このサイトによると、「画家自身の資料は乏しく、友人達の内気で気難しい、病弱、辛辣、憂鬱症、金銭に無頓着世辞や喧噪を厭いと言う程度のものより、知られてはいない」という。
「演劇や音楽を主題とした作品が多くそのため、クラシック音楽(特にモーツァルト)のジャケットや音楽教科書の挿絵に使われていますので、思い起こす事があると思います」というが、そういえば、ヴァトーだと認識はしてなくても、絵は何処かしらで見ていて結構、馴染んでいるのかもしれない。
内気なヴァトーが夭逝もあり描ききれなかったロココ趣味の世界は、「ロココ最後の寵児と言われたフラゴナール」によって展開されるわけである。
マルセル・プルースト著『プルースト評論選〈2〉芸術篇 』の中の絵画の項では、他にもモローなどが扱われている。
稿を改めて、また調べてみたい。
(04/02/14)
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コメント
大昔、オルネラ・ムーティとアラン・ドロンが出ていた「スワンの恋」という映画を観た記憶が残ってます、あとビスコンティのシナリオは読みました
投稿: ウォルフガング | 2005/03/03 21:59
ウォルフガング さん、こんにちは。
若い頃のアラン・ドロンは、ゾクットさせる色気がありましたね。「太陽がいっぱい]や「あの胸にもういちど」はよかった。映画の「スワンの恋」は、見ていないけど、小説の方は読んでいます。
シナリオ原本というのは、キージ家にて御覧になったのでしょうか。
投稿: 弥一 | 2005/03/04 09:28
ちくま文庫のシナリオ「失われた時を求めて」で、著者はL.ヴィスコンティ&S.C.ダミーゴです
>ゾクットさせる色気
なななんと男色の男爵役でした、アララ
投稿: ウォルフガング | 2005/03/05 01:21
「ちくま文庫のシナリオ「失われた時を求めて」で、著者はL.ヴィスコンティ&S.C.ダミーゴです」
ウォルフガングさん、教えていただき、ありがとうございます。
ネットで本のことを調べたら、「長らく行方知れずで、突如として姿をあらわした幻のヴィスコンティ・シナリオ。完成すれば間違いなくヴィスコンティの代表作となるはずの"誰も見られない映画"を、想像のなかで御鑑賞下さい。説明の過剰もなく暗示に富み、忠実に再現された名場面の数々があなたを夢のスクリーンへ誘います。映画およびプルースト・ファン待望の決定訳シナリオを、ヴィスコンティの手稿、ピエロ・トージの衣裳デザイン、マリオ・ガルブリアのロケ当時の写真等と共に紹介。」とありました。
となると、本も映画も見たくなる。
投稿: 弥一 | 2005/03/05 01:54
誰か勇気のある欧州人いませんかネw
投稿: マルセル | 2005/03/15 15:06
ゲルニカを描いたピカソ。あるいはピカソが描いたからこそのゲルニカ。もし、重慶を無差別爆撃したり南京大虐殺という蛮行をなした日本軍の様を描く中国のピカソがいたら、アメリカ軍による東京大空襲を描く日本のピカソがいたら、広島・長崎への原爆投下を描く日本のピカソがいたら、ソンミ村虐殺をしたアメリカ軍を描くベトナムのピカソがいたら、ポルポトによる大虐殺を描くカンボジアのピカソがいたら、それぞれの事件が半永久的に語り継がれるのに。
描かれるべき題材は、もう、嫌というほどにある。あとは描く人の登場を待つばかりなのだけれど。
あるいは、もう、居るのかもしれない。小生が気付かないだけで…。
投稿: 弥一 | 2005/03/16 15:01
コメントありがとうございます、「重慶を無差別爆撃したり南京大虐殺という蛮行をなした日本軍の様を描く中国のピカソ・・・それぞれの事件が半永久的に語り継がれるのに」とのこと、私は南京大虐殺はないと信じておりますが、東京大空襲、そして昨今のイラク、チェチェン、沖縄などをみるにつけ、○○小虐×、日本軍並びに進駐軍による婦女暴行などは明らかにあったでしょう、そういうすべてのものがこのゲルニカという絵に凝縮されています
投稿: マルセル | 2005/03/16 16:14
一度、やってしまったことは消せない。南京で何万、何十万の中国の人民を虐殺したという歴史的事実は、信じる信じないという問題ではなく、正面から過去の蛮行に向き合うか目を背けるかの問題だろうと思っています。
現実は、ピカソの描いたゲルニカ以上に悲惨です。原爆の投下のもたらしたもの一つを見ても。
小生の名「弥一」をクリックしてみてください。
投稿: 弥一 | 2005/03/19 12:47