高橋哲哉著『戦後責任論』
高橋哲哉著『戦後責任論』(講談社刊)を大晦日の日、帰省に際し持って行き、正月のうちに読了した(高橋哲哉氏については、以下、敬称を略させていただきます。それだけの存在になっていると勝手ながら思っている)。
日中は家事手伝いなどで読めなかったので、読むのは夜中、両親等が寝静まってから。灯油ストーブがシューシューという音を枕元で立てている。噴出し口がまともに頭に当たるので、部屋が暖まるとストーブを消し、読み出して、部屋が冷えると本を傍らにおいて、ストーブのスイッチを入れる、の繰り返しだった。
年初に重たい内容の本というのも、と思いつつも、読書の時間が取れない中では仕方がない。列車の中では、往路では安部公房の『無関係な死・時の崖』(新潮文庫刊)を読了し、復路では樋口一葉(ちくま日本文学全集、筑摩書房刊)を手にしていた。
田舎では、『カサノヴァ回想録』(抄本)も読んでいたけれど、途中、退屈になり、放棄してしまった。
後者は、11年前の入院の際、寝床で大量に読んだ本の一冊。田舎の書棚を物色していて、あ、当時、一葉の作品をまとめて読んでいた…退屈な入院生活の無聊を紛らわせていた…谷崎潤一郎の『細雪』など読みたくても長篇で手が出せない作品とか、文体的に馴染めない樋口一葉を今のうちに読んでおこうと思っていた…と、懐かしくなり、久しぶりに一葉の世界に浸ろうと手を出したのである。
さて、高橋哲哉著『戦後責任論』だが、タイトルに注目しておく必要がある。「戦争責任論」ではない。最初、図書館で手に取った時、小生は高橋哲哉という名前と、「戦争責任論」(と思い込んでいた)とのマッチングで即座に開架の書棚から抜き出したのだった。
こうした「戦後責任論」が問題になるのは、戦争を体験した方々がさすがに日本においても、ホントの少数派になってしまった。政界でも、何かと取り沙汰される野中広務氏らの存在感が薄まってしまった。小泉純一郎も今年の誕生日を迎えて63歳で、辛うじて戦後の混乱期を覚えているだろう世代、近い将来の首相かと一部で騒がれたりする安倍晋三氏は昭和29年生まれで、完全な戦後世代、つまりは戦争の悲惨を実体験していない世代が政治家でも主流になっている。
何かアジアで問題が発生すると、大向こう受けを狙うのか、すぐに「毅然とした」を連発する、とても単純且つ短絡的な発想をする、いかにも二世・三世議員特有の苦労は回りの人がする、自分は恰好のいい主張を唱える、それがまた受ける、そんな時代になっている気がする。
戦争を知らないだけではなく、親からも悲惨な体験を受け継いでいない、せめて体験談を聞くとか読むとかするでもない世代が主流になっている。
だからこその「戦後責任論」なのだろう。戦後に生まれていても、戦後であっても、戦争中の加害責任を受け継ぐべきか、そもそも戦争の当事者でもない世代が責任を担うべきなのかが議論の俎上に登るわけである。
が、実際には、戦争を体験として知らないだけでなく、日本がアメリカと戦争したり、中国などアジア各国で無謀な振る舞いをしたことなど知ろうともしない人が増えている。その非常識を土台にして、靖国神社は慰霊の施設という性格付けが大手を振って広められ、また、首相が自国の神社に参拝して何が悪い、中国や韓国など他国に鑑賞される筋合いにないという単純な発想が、勢いを持ってしまう。
靖国神社の問題は、他国にとやかく言われる前に、国内の問題、心ならずも加害者となってしまう悲しく悲惨な現実の問題なのだと小生は理解する。
さて、以下、書評というより、勝手な印象エッセイを綴る前に、裏表紙などに記載されている出版社側の謳い文句などを転記しておく:
普遍的な応答責任と日本人の1人としての政治的責任、戦後の記憶の亡霊性と継承可能性、事実を認めジャッジメント(判断)を下すことの必要性……。
記憶、証言、責任についての明晰な思索から、台頭するナショナリズムの代表的言説を鋭く批判し、〈慰安婦〉問題から日の丸・君が代問題まで、〈国民国家〉日本の枠組みそのものをラディカルに問い直す。
(転記終わり)
他に、「自由主義史観、「敗戦後論」を2つの異なる指標とする日本の新しいナショナリズムを果敢に批判しつつ、他者の呼びかけへの応答責任(レスポンシビリティ)をベースに、戦後世代日本人の「責任」の論理を鮮やかに提示」という出版社側の紹介もあった。
高橋哲哉自らの紹介によると、「現在の主たる研究フィールドは3つある。(1)ジャック・デリダとディコンストラクション(脱構築)を中心とする現代思想・哲学、(2)戦争やジェノサイド(ホロコーストなど)に関する歴史と記憶、責任等に関する表象と言説のポリティクス、(3)政治哲学における正義論、とくに正戦論(ジャスト・ウォー・セオリー)。」とある(「私の表象文化論」より)。
高橋哲哉の本を読むのは数年ぶりである。哲学者には珍しく現実感覚が豊かであり(しかし、本来はこうあるべきだと思う、そう、哲学者の資格は誰よりも豊かな常識と現実感覚だ!)、また、時事的な問題についても、論争を厭わない方である。
本書の内容については、小生の下手な紹介より、たとえば、「00.6.20 [未来の窓36] 悪の凡庸さの危険──高橋哲哉氏の近業から」が簡潔で的を射ていると思う。
[この頁の書き手が分からない。「未来の窓」の一つなのだが…]
つまり、「加藤典洋氏とのいわゆる「歴史主体論争」をはじめとして、クロード・ランズマンの映画「ショアー」の日本への導入をきっかけとするナチス・ドイツによるユダヤ人絶滅政策の哲学的・歴史的問題の再検討、さらには「従軍慰安婦」問題を端緒とする戦時中の日本軍による集団的犯罪行為の糾明と戦後の日本政府による責任回避の姿勢への追及、さらにはネオナショナリズムとして九〇年代後半に台頭してきた自由主義史観派との理論闘争など」であり、「いまや氏の存在抜きでは日本の現代思想のアクチュアリティは保証できないほど」というのは、同感である。
悲しいかな、小生は、議論の対象ともなっている肝心の加藤典洋氏の本や論文を全く、読んでいない。
なので、同氏への批判も、論旨は分かっても、議論の内容に異論があるとかどうかではなく、欠席裁判的な気味に陥らないためにも、すんなりは受け止められない。
だから、同氏への批判ということではなく、あくまで他者の呼びかけへの応答責任(レスポンシビリティ)の観点を含め、議論や発想法に共感するとまでしか言えないわけである。
上掲のサイトでは、「主として加藤典洋氏との「歴史主体論争」を収録した『戦後責任論』(講談社)、徐京植(ソ・キョンシク)氏との雑誌「世界」での連続対談を収録した『断絶の世紀 証言の時代──戦争の記憶をめぐる対話』(岩波書店)、さらに哲哉さん自身が紹介に力を入れているアイヒマン裁判のドキュメンタリー映画「スペシャリスト」の監督たちによる書物の翻訳、ロニー・ブローマン/エイアル・シヴァン(高橋哲哉・堀潤之訳)『不服従を讃えて──「スペシャリスト」アイヒマンと現代』(産業図書)の三冊」が紹介されている。
中でも、高橋哲哉著『戦後責任論』に焦点が合っているようである。
例えば、加藤典洋氏の主張については、上掲サイトでは、次のように纏められている:
加藤氏の一種クセ球のような、アジアの二千万の死者たちへ謝罪するための責任主体の立ち上げという論点は、一見すると心情的に共感を招きやすい情動的なもので、多くの「進歩的知識人」がそれに面食らわされたという経緯をもつ。閣僚の戦争責任をめぐる失言があいつぐなかで、そうした失言・妄言を生みだす「内向きの自己」と、外から与えられた平和憲法にひたすら依拠する左翼勢力の「外向きの自己」という戦後日本の「人格分裂」というテーマはある種の新鮮な論法として戦後五〇年の時点で現われたのである。右でも左でもない立場を標榜するこうした手のこんだ論法が、じつは戦時中の日本軍に蹂躙され凌辱されたアジア諸国の被害者たちの抗議の叫びにいっさい耳をふさぎ、自国内でのみ完結する「主体」の再構築、多分に心情的で実感的な自意識のまやかしの満足にすぎなかったことがひろく理解されるには、哲哉さんの水ももらさぬ緻密な分析が必要だったのだ。
(以上、転記)
小泉純一郎首相が靖国神社を参拝するに当たり、「これまで参拝してきたのは、心ならずも戦場で倒れた人への慰霊の気持ちからであり、不戦の誓いを新たにするものだ」などと語るのが決り文句になっている。
倒された中国などアジアの方たちのことは、靖国神社を参拝するに当たっては、頭からは排除されているのだろうか。せめて、心ならずも加害者にさせてしまった国家の責任という発想を滲ませてくれるなら、少しは国内外の理解も得られる可能性があろうに。
戦争という異常な環境下での死。
しかし、殺人事件があったら、加害者と被害者とどちらに同情があってしかるべきか。心ならずも殺された被害者には、族や友人・知人など関係者がいる。同時に、加害者にも親族や友人・知人など関係者がいる。常識的には、加害者より被害者に同情が集まるのは当たり前だろう。
加害者の墓に参るのは関係者なら自然かもしれないが、国家間の戦争では、その前に、被害者の墓に参る、被害者に詫びるのは当然至極のはずである。
戦争は、加害者たちも、国家による強制、また、悲しいかな開戦に際してはマスコミも国民の相当程度の人も戦争熱を煽っていたという事情もある。だから、国家のために犠牲になった方たちを慰霊するのは、これはこれで至極当然のことなのである。
が、繰り返すが、その前に、まず、被害者にしっかり詫びること、ドイツなどを見習って(一部は戦争中の日系人を刑務所に送りんでしまった、そういった人たちに賠償したアメリカに見習って)被害者にしっかり賠償することが大切だろう。
日本においては、戦争の犠牲者であり慰霊すべきだろうが、一部は中国などで重慶での無差別爆撃(「重慶には軍事施設は何もなかった。明らかに市民生活の場をねらった空爆である。」「重慶空爆は、ゲル二カ空爆が一回なのに対し、2年半、218回繰り返された。それを考えれば、世界が最悪の無差別大量殺戮という冒してはいけない領域に踏み込んだのは、悲しいかな、日本軍の手によってなのである。」 重慶への無差別爆撃の残虐と非道を描いたピカソの「ゲルニカ」的な絵画があれば、ゲルニカ以上に重慶のことが世界に知れ渡っていただろうに…。)など相当にひどい仕打ちをしてしまったことも事実なのである。
[小生には「ゲルニカと原爆と現代日本の文学」と題したエッセイがある。僅か四年前に書いた小文だが、小生の認識の甘さを再読して痛感している。重慶での日本軍の蛮行を含め、勉強が足りないと、この程度の認識や問題意識しか持てない、そんなことを感じさせられた。]
が、国民とか人民の次元では、両方共に犠牲者だという側面はあるのだと思う。だからこそ、日本のみならずアジア各国の戦争犠牲者を悼む宗派や民族・国家を超えて追悼できる、「国立追悼施設」の一日も早い設置が待たれる。靖国神社は、民間の神社として心有る有志が尊崇していけばいい。誰も、小生も、一民間の神社である限りは、とやかく言う筋合いにない。
戦後責任論については、上掲のサイトにあるように、「本書でもっとも印象的なのは、「責任」responsibilityが原義では「応答可能性」という意味をももつことの指摘であり、そうした「責任=応答可能性」としてアジアの無辜の死者たち、そして元「従軍慰安婦」たちの抗議の声に応答することがわれわれの戦後責任であるという哲哉さんの断固たる姿勢である。」とある点が、大切だろう。
朝鮮出兵というと、先の戦争か、せいぜい、明治維新後の話しか思い浮かばないのが大方の日本人の常識なのだろうが、朝鮮だと、豊臣秀吉による朝鮮出兵とかの地での非道も含めて認識される。有田焼などは日本においては、日本の文化・伝統の一つなのだろうが、朝鮮にしてみれば、先祖の悲しい歴史の証左だったりする。
戦後責任論というのは、都合の悪いことは、勝手な無常観(無常観のご都合主義的な解釈)で切り抜け、曖昧な中に忘れ去ってしまいがちな、つまりは安易と惰性に流されがちな小生にも重い問い掛けとなる。
「応答することの責任という過剰な負荷」という、かくも重い課題を敢えて担う…、哲学者とは厳しい存在なのだとつくづく思う。
[ 「戦後日本の戦争責任論の動向 赤澤 史朗」(立命館法学 2000年6号(274号) 137頁)は、表題のテーマを概観するには参考になる。執筆者の立場が客観性の衣を被っていて、見えないのが残念だが。 (05/03/14 追記) ]
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