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2005/01/06

榊原悟著『日本絵画の見方』

[以下の小文は、季語随筆日記「無精庵徒然草」の日記「鳥総松(とぶさまつ)」(January 6, 2005)からの転記である。ほんの一部だけ、手を加えている。それなりに重大な部分なのだが、さて、何処でしょう、なんちゃって。]

 本日の季語随筆日記の表題は、「鳥総松(とぶさまつ)」 である。この言葉自体、馴染みが薄いかもしれないが、まずは、この言葉を表題に選んだ理由を示しておきたい。
 それは、今から紹介する画人の運命に関係する。彼は江戸時代の絵師なのだが、何故か島流しの刑に処せられたのである。しかも12年も。それでも、生きて帰る僥倖に恵まれた。
 ところで、我が季語随筆日記は、季語随筆と銘打っている。一月の季語に関係し、且つ、島流しに多少でも関係する適当な季語はないか、物色してみた。
 島流しが季語・季題にあるとは、さすがの小生も思わなかったが。
 が、つらつら眺めていると、「鳥総松」という季語があるではないか。確か以前、この言葉に関連する話題を採り上げたことがある。調べたら、あった!
 小生には、「前田普羅のこと」という我が郷里・富山に関係のある俳人を採り上げたエッセイがある。この前田普羅の絶句に「帰りなん故郷を目指す鳥総松」がある(余談だが、普羅が亡くなった年に小生が生まれている。普羅が富山で居住した地は小生の生地に近い。尚、「帰りなん故郷を指す鳥総松」と表記されているサイトもある。字数の上でも、また、鳥総松の持つ性格からしても、「目指す」よりは「指す」のほうを表現として選びたい)。
 別に前田普羅が島流しで富山の地に流れたというわけではないが、何処か遠い地に長くあって、ようやく故地に帰る心境が詠い込まれているということ、且つ、「鳥総松」が一月の季語だということで、本日の季語随筆の表題に選んだわけである。

 今、ボチボチと、榊原悟著『日本絵画の見方』(角川選書)を読んでいる(五十嵐謙吉著『植物と動物の歳時記』(八坂書房)や高橋哲哉著『戦後責任論』(講談社)共々、図書館から借りてきた本で、それぞれに最後までじっくり読書を楽しめたが、残り二冊について後日、触れることがあるかもしれない)。
 その中で、日本の伝統的な絵画作品を見る上で、様式や画題、描かれる素材(紙か板か、それとも絹などか)などと共に、描く素材を見極めるのも大事だという話の流れで、英一蝶(はなぶさいっちょう)のことが話題の俎上に登っていたのである。
 彼の名前くらいは小生も知っていたが、必ずしもじっくり眺めたことがあったわけではない。それが証拠に、彼が島流しの憂き目に遭い、しかも12年の長きに渡っての島流しだったことなど、初耳状態で本書を読んでいたのである。
 本書では、その島流しの期間があまりに長かったため、当初持っていった絵具の材料が底を尽き、乏しいありあわせの素材で、水墨に淡彩、時には草の汁を使ったことさえもあるらしいこと、紙の表装を自前で(小刀で削ったりして)行っていたことなど、英一蝶の島での苦労ぶりが書かれている。
 その前に、水墨画が古来、好まれたのは、その描かれる世界の古雅ぶりもさることながら、そもそも、旅先などで絵を描く必要や欲求に駆られても、旅先に都合よく絵具などがあるはずもなく、一番、簡便な素材は墨だったことが、大きな要因だったことに改めて注意を喚起させられたのだった。当たり前といえば当たり前の話であり、旅というと、腰に筆で文章を書くための最低限の道具類を下げているのは、たしなみのある人士ならば当然の用意だったわけであるが。
 ところで、英一蝶が何ゆえ島流しの刑に処せられたのかは、あまりハッキリしないようである。英一蝶については、例えば、「絵画のおはなし  英一蝶のこと」という、「世紀の終わりのころから18世紀の第一・四半世紀まで活躍した画家」などと、子供向きというか、小生にも分かりやすく説明してくれるサイトがあるので、覗いてみるのがいいかもしれない。
 ここではさらに、「どうして一蝶はそんなにも人気があったのでしょうか。もちろん、その絵は描く力が人並すぐれていたこともありますが、理由はそれだけではありません。それは、かれの人生がふつうの画家では考えられないほど、波瀾万丈のものであったからなのです」などとも説明してある。
 どう、波乱万丈だったか。
 その詳細はこのサイトにも書いてあるが、別に、「英一蝶島流し」という、そのものズバリの表題の頁を覗くのがいいかもしれない。彼には誤伝が多いが、それは「多分に、本人のせいである。まず、使った呼称が多すぎる。」という。
 また、「本名、画号、俳号、書号。芸名、偽名、合せていくつになるのやら。」として、有名な画狂人・葛飾北斎(画狂人も自称である)にも匹敵しそうな何十個にも及ぶ名前の数々その例の数々を挙げている。興味のある方は覗いてみて欲しい。
 一方、彼についての評判記も凄い。ちなみに、「評判記に「男より豪快にして女より優雅、男より繊細にして女より強い。美女も美男もどちらも愛し、貴人より高貴にして賤民より卑しく、僧より僧で、武士より武士。金と湯水の区別をつけぬ富豪にして他人{ひと}の財布で生きる貧乏人。神仏のごとく尊ばれ、蛇蠍のごとくきらわれ、生きて生を超え殺して死なず、鋼鉄{はがね}より重く、空気より軽{かろ}き者、云々」だとか。
 それでも、やはり、「一蝶が遠島になった理由となると、これがまたよくわからない」という。
 思うに、こんなケッタイナ人間は、何処か遠くに追いやりたい気持ちも分からないでもない。小生が当局者で権力があったりしたら、煙たくなって、見えないところに左遷させるかもしれない。半ば、嫉妬の念に駆られて。
 彼は生前、島流しの刑に処せられる前は、暁雲(ぎょううん)の名の「俳諧師としての名声の方が高かったようです」という。芭蕉や大名などとの交流もあったらしい。
「罪が何であったのか、これも実は完全にはわかっていないの」だが、とにかく、「1709年、将軍の綱吉(つなよし)が死に、将軍が代(だい)がわりになったことを記念した大赦(たいしゃ)を受けて、一蝶は江戸に還(かえ)ってくることになります。このとき、一蝶はすでに58歳になっていました。」という。
 ところで、「英一蝶」という名には、面白い逸話がある。つまり、「帰還(きかん)する船のなかで、かれは一匹の蝶を見つけ、それまでの朝湖の名を捨てて一蝶と名のるようになったということです。英(はなぶさ)は母の姓の花房からとられました。」というのである。
 帰還後には芭蕉も親友の其角もいなくなっていたとか。
 まあ、そんな紹介より、「絵画のおはなし  英一蝶のこと」などに紹介されている「梅月山鵲」や「蓮鷺図」などの紙本墨画を是非、見て欲しい。
 小生が、敢えてこじつけてまで英一蝶のことを紹介しようと思ったのも、それらの作品を見て、すげえーと感動したからなのである。
 
 ところで、ここまで書いてきて、そも、「鳥総松」とは何ぞやと疑問に思われる向きもあるだろう。そう、ムキにならずとも、途中、示したサイトに説明が加えられているのだが、改めて引用しておく。
 つまり、「門松を14日の「とりまて」に取り除くとき、その跡の穴に小枝を刺す習慣が、沓掛・生子・菅谷地区などに見られる。これをトブサマツ(鳥総松)と呼んでいる。『万葉集』に「鳥総立て足柄山に船木伐り樹に伐りにゆきつ安多良船材を」とあるように、昔、きこりが木を伐ったとき、伐った梢をその株に立てて山神をまつったという習俗、当地の正月行事に今も生きている」というのである(「猿島町ホームページ」の中の「小正月(こしょうがつ)」という頁を参照)。
 簡単に「鳥総松」を「門松を取り去った跡に松の梢を挿したものをいう」と説明しているサイトもある。

 それにしても、「鳥総松」を織り込む句を作るのは、今時の人には習慣に馴染みがないからには難しいのではないかと思われるが、それでも幾つか散見される。
「大仏に雨意のうつりし鳥総松」()や、あるいは「根付くかと根付かぬかなと鳥総松」や「亡き母に教はりしまま鳥総松」など。
 また、「残り火の細き紅あり鳥総松」や「水引きを輪結びにして鳥総松」などのような意味深なもの。さらには、鳥総松向きを自在の一輪車」や「犬が来て仔細に嗅げる鳥総松」なども目に付いた。

 いずれにしても、句の出来は別として、英一蝶に関連付けるとしたら、前田普羅の絶句である「帰りなん故郷を目指す鳥総松」に止めを刺すのかもしれない。
 さすがに小生には、「鳥総松」では句を捻ることができない。せめて、「鳥総松」の画像をネット上から探したのだけれど、見つからなかった。残念。ま、英一蝶の画業に尽きるということで、今日の日記は締めておく。

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コメント

トラックバックありがとうございます。
ブログをお一人で幾つも持ってらっしゃるんですね。 今頃になって、やっと気が付きました。(^^ゞ
『日本絵画の見方』は面白そうですね。 先日観て来た国芳・暁斎の展覧会では、日頃親しむ事の少ない日本画を楽しんで来た訳ですけれど、私のように教養を持たず、感性のみで絵に向かう場合には、やはり、見落としている要素が少なからずあるのだと思っています。
英一蝶と言えば、ずっと以前、江戸東京博物館の企画展で目にしている筈なんですけれど、とても好かったと言う印象だけ残っていて、どんな絵だったかは記憶に残っていませんです。(^_^;

投稿: もとよし | 2005/01/10 17:35

 もとよしさん、コメントをありがとう。
 ブログは、最低、毎日更新する、週に十回ほどは更新するので、大雑把に数個に分けているのです。管理が大変だけど。
 日本画に限らず、絵には虚心坦懐に向き合うのがいいのでしょうけど、素材、画材、様式、画家の姿勢、修練、そういった背景を知っているといないとでは鑑賞に大きな違いが出てきそう。
 絵は、一度くらい見ても印象が薄れることもある。折りあるたびに観たいものです。

投稿: 弥一=無精 | 2005/01/11 02:05

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