坂崎乙郎著『夜の画家たち』
坂崎乙郎著『夜の画家たち』を読了した。小生には懐かしい本である。学生時代、講談社現代新書の中の「ロマン派芸術の世界」「幻想芸術の世界」「夜の画家たち」などを書店で見かける先から買い求め読み漁っていた。
今度、読んだのは、講談社現代新書版ではなく、まして、著者にとっても懐かしいだろう、雪花社版でもなく、『完全版 夜の画家たち 表現主義の芸術』(平凡社ライブラリー)である。
さすがに古びてしまったとはいえ、手元に講談社現代新書版の『夜の画家たち』があるにも関わらず、本書を手に取ったのは、過日、図書館にて本を物色していたら、この本を見つけた…、そこには、「完全版」と銘打ってある…、だったら、久しぶりだし、読まねばと咄嗟に思ってしまったのである。
以下、小生流の勝手な紹介になりそうなので、出版社の謳い文句を最初に示しておく:
ヨーロッパ文明の崩壊の予感の中、魂の「叫び」をあげたドイツ表現主義の美術に、深い共感と鋭い批評を加え、美術批評の一時代を画した故坂崎乙郎氏の青春の書を完全復元。
(転記終わり)
青春の書…。買えるものなら買って座右に置いておきたい…。ま、繰り言はやめておく。
小生は、「『狩野探幽展』探訪記」の中で、坂崎乙郎のことに触れている。以下、当該部分を転記する:
それが、次第に必ずしも教科書には扱われないハンス・ベルメールやフリードリッヒ、レオノール・フィニ、ルドン、etc.と、描かれる世界も傾向もまるで違うのだけれど、自分なりに絵画の世界を広げることが出来た。
学生時代から社会人になり始めだった頃の絵画の導き手は、ほとんど坂崎乙郎 氏だったような気がする。彼の本は、『夜の画家たち』『イメージの狩人』『終末と幻想』『反体制の芸術』『ロマン派芸術の世界』と、刊行される本のほとんどを買い求め読み漁った。
ロマン派であり、神秘であり、幻想であり、夜でありと、なんとなく傾向が知れる。エゴン・シーレの存在を教えられたのも坂崎氏からだったはずだ。
が、知られているように坂崎氏は、画家・鴨居玲の死後、あとを追うようにして85年に自殺されてしまった。27年生まれだし、旺盛な評論活動をされていただけに、小生はショックを通り越して、何故???と、置き去りにされたような、エアポケットに嵌ったような感覚を味わった。
小生には、まだ自分で絵画世界を開拓できるほどの鑑識眼は勿論、己の本当の好みも見出しきれていなかったのだ。
(転記終わり)
そう、坂崎乙郎は、若くして亡くなられているのだ!
学生時代の絵画世界の導き手は、坂崎乙郎。社会人になってしばらくしてだが、今度は、大岡信だった。彼に抽象絵画の世界の魅力に導かれた。
以下、同じ頁から当該部分を転記する:
ついで、小生の絵画世界の先導者となったのはは、奇しくも坂崎氏が自殺された85年に『抽象絵画への招待』を刊行された大岡信氏だった。彼は詩人である。また、日本文学を研究する学者でもある。
小生は、朝日新聞の第一面左下の『折々のうた』の欄は欠かさず読んだし、大岡氏の本を何冊かは読んだ。また、彼の講演会へも足を運んだことがある。
しかし、小生にとっては『抽象絵画への招待』などの絵画世界の先生だった。
きっと、自分の中の絵画的感覚のそれなりの成熟と、また、坂崎氏が示してくれたロマン派や幻想世界に幾分の飽き足らなさを覚え始めていたことなど、絶好のタイミング、出会いだったのだと今にして思う。
それまで全く縁がなかった、坂崎氏の諸著の中でもちゃんと扱われていた表現主義や抽象表現主義の世界に大岡氏の書を契機に、一気に飛び込んでいったのである。
パウル・クレーの世界に馴染むのに、こんなにも時間が掛かるとは情ない話だし、何故、今までこんな素晴らしい世界を見すごしていたんだろうと、今では理解さえ及ばないのだが、やはり潮目が合ったとしか言いようがない。
そしてジャクソン・ポロックは勿論、デュビュッフェ、フォンタナ、フォートリエ、タピエス、デ・クーニング、やがて小生にとっての極め付けであるヴォルスに至るわけである。
(転記終わり)
この頁には更に、芳賀徹著の『絵画の領分』にも言及している。そこには、「こうしてみると、日本にしろ欧米にしろ、古典的な画風への嗜好があまりないことに気付く。名著である芳賀徹著の『絵画の領分』などを通じて、近代の日本絵画の黎明期における苦闘を知り、高橋由一、青木繁、などなどを知るのだが、自分の感性に馴染むことはなかった。(改行)それにしては、小生の部屋にはアングルの『泉』やら山本芳翠らの画の複製が、埃をかぶったまま何年も貼られているのだけれど。」とある。
が、この本を読んだ前後から、日本画にも惹かれていったのは、事実である。確かに、高橋由一、青木繁の画業を凄いと思いつつも、実際に魅了されたのは、「元永定正、堂本尚郎、加納光於、難波田龍起、吉原治良、今井俊満、斎藤義重……。(改行)ひめやかに密やかには、鴨居玲、松本竣介、清宮質文、長谷川潔、田中恭吉…。 別格の存在として葛飾北斎や長谷川等伯…。」で、その後、英一蝶など、さらにさらに日本画の世界に浸っていったのだった。
本書について語りたいことは、あまりにありすぎる。懐かしい書であり、同時に、今回、読み直してみて、優れて今日的でもあると思った。小生なりに、絵画芸術の世界を広めたつもりなのだが、じっくり読ませてくれた。
そう、文章がとても素晴らしいのだということに、今更ながらに気付かされたのだ。もしかしたら、彼の文章表現の魅力にこそ、本当は惹かれて読み漁っていたのではないか、などと、マジで思っている。
せっかくなので、目次だけ、示す:
1 生のアラベスク―ムンク1
2 アルファとオメガ―ムンク2
3 実在と影―ホードラー
4 わがための祝い―モーダーゾーン=ベッカー
5 地霊―ノルデ
6 運命を占う人―ココシュカ
7 ダス・ジムボール―キルヒナー
8 ペーネロペイアの布―ベックマン
9 形体の戦い―マルク
10 青の異端―青騎士とカンディンスキー
11 線と秘法―クービンとクレー
12 戦慄の創造―表現主義の版画
ある頁では、「激しい感情表出、死とエロスの、霊と肉の、赤裸々な相剋を伝える緊張と孤独―。北欧のムンク、スイスのホードラーを先達とし、ドイツの土壌に開花した表現主義の運動。カンディンスキー、クレーを育む現代絵画のひそかな間道としての表現主義芸術を照射する。」と、本書を紹介していた。
さもあらんだし、紹介されている画家たちも垂涎の作家たちなのだけれど、とにかく、「解説」(文学と絵画の稜線の踏破者 坂崎乙郎の軌跡)の紅野敏郎氏が指摘されているように、学者でありながら、あくまで美術評論家として絵画世界を紹介してきた坂崎乙郎の、矜持溢れる表現世界を自ら堪能して欲しいと、切に思う。
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コメント
はじめまして。とても興味深く読ませていただきました。板崎氏は私にとっても絵画世界の導き手でした。ここドイツで多くの表現主義作品に接し深い感動を覚えているのは、この「夜の画家たち」を愛読していたことが原型にあるのだと思っています。おっしゃる通り、板崎氏の文章表現はとても魅力的で、極めて今日的ですね。
TBさせていただきました。
投稿: フンメル | 2005/02/10 08:03
フンメルさん、ようこそ!
TB及びコメントをありがとうございます。
御蔭で、また、素敵なサイトにめぐり合えました。今朝から二度、三度と覗かせてもらっています。
どの記事も小生には興味深いものばかりです。
キルヒナーの晩年に描いた自然風景の絵は、何か画面の穏やかさとは裏腹の、不穏というか傷ましいものを感じてしまいました。
投稿: 弥一 | 2005/02/11 21:24
私にとっても美術への導入的役割を果たしてくれたのも坂崎乙郎、さらに宮川淳の本です。最初に読んだのは『絵とは何か』(坂崎)のシリーズだったでしょうか。『夜の画家たち』は人に貸したままどこかにいってしまいました。平凡社ライブラリーからでてるんですね。
投稿: artshore | 2005/03/30 14:37
artshoreさん、来訪、そしてコメントをありがとうございます。
貴サイトを覗いたら、いきなり、「タピエスとの対話」でした。好きなタピエス。そして好きなサイトが増えました。
坂崎乙郎さんが亡くなられて、早、二十年となりますね。画家の鴨居 玲が亡くなったあと、後を追うように自殺されてしまった。
「絵とは何か」は河出文庫で再版されたけど、今は入手できるのかどうか。こういう本の重版とか再版の予定がないというのは何故なのでしょう。
宮川淳さんも夭逝されたようですね。残念ながら、小生は読んでいない。小生の好きなアンフォルメルの周辺にも目配りされていたようで、読んでみたいです。
投稿: 弥一 | 2005/03/31 23:34