谷川晃一著『絵はだれでも描ける』
谷川晃一著『絵はだれでも描ける』(生活人新書、NHK出版)を読んだ。
以下、例によって小生流の勝手な感想文を綴るので、まずは本書のカバー裏にある謳い文句を転記しておく:
子供のころ、絵はだれもが楽しめるものだった。自由な発想、自由な想像力で純真な絵を描いていた。しかし大人になって「うまさ」を意識しはじめたとたん、自由な想像力は失われ、絵は魅力をうしなった。子供のころの「絵心」を失わせたものとは何か。美術教育に内在する問題とは何か。内外のナイーブ・アートを例示しながら絵心の復権を提唱する。
(転記終わり)
著者の本を読んだのは、初めてなので、同じく、本書にある著者紹介を転記させていただくと、「画家、美術評論家。1938年東京都生まれ。絵画は独学。70年代より絵画制作と並行して美術批評活動を開始。88年に伊豆高原に転居、自然をモチーフにした絵画制作を精力的に行っている。2000年に『ウラパン・オコサ』で日本絵本賞を受賞」とある。
本は読むに越したことはない。本書の場合は読むというより、描くという実践を勧めている。
特に、本書は絵を描くこと、まずはペンでも筆でも木炭でも、手に取り、新聞チラシの裏面に、去年の日記の余白(埋めきれなかった白いままの頁)に、最初は、三角やら四角やら○など、これなら誰でも描けるという記号っぽいもので見たもの感じたものを描いていくことからだと、著者は勧めているだけに、尚更、読むより、まずは実行を、となる。
NHKの「生活ほっとモーニング」でも紹介されたことがあるので、本書を(著者を)知ってる、という方も多いだろう。
あまり野暮なことは書きたくないが、それでも、という方は、続きをどうぞ、である。
本の内容を知るには、目次を見るのが参考になるが、目次自体が親切で詳細なので転記しきれない。3章に分かれているので、その3章を大雑把に:
第1章 子供の絵の魅力
なぜ児童画は残っていないのか
児童画という夢の領域(他いろいろ)
第2章 だれでも描ける「自由デッサン塾」
だれでも描ける「自由デッサン塾」
絵は描けなくても線なら引ける
額縁に入れると楽しくなる
イメージ画ならだれでも描ける(他いろいろ)
第3章 心にしみる絵画とは
ナイーブ・アートとフォーク・アート
アメリカ人の心の故郷を描く―グランドマア・モーゼス
グルジアの放浪画家―ニコ・ピロスマニ
アンリ・ルソーと素朴派
(他いろいろ……フレビネ派、ニカラグア・ナイーブ、ティンガティンガ派、カマンテ・ガトゥラ、アントワネット・シュウォブ、ヘンリー・ミラー、田島征三、岡野元勝、ジャン・デュビュッフェ、アール・ブリュット、ゾンネンシュターン、アロイーズ・コルバス)
エピローグ
ミロの「農園」と私
児童画のこと
本書に絡み、書きたいことはいろいろある。まずは、第1章 子供の絵の魅力で、児童画のことに触れられている。子供の頃は、誰でも、あるいは多くの方は悪戯に、気侭に絵を描いていた。絵だとは思わず、衝動で、与えられた、あるいはそこらに転がっている鉛筆や色鉛筆、筆、その他で新聞紙や広告、壁などに落書きしていたのではなかろうか。
さて、その児童画だが、本書にもあるように、小学校などで美術のイロハを習ったり、そうでなくても、長じるにつれて社会常識を学ぶに従い、児童の頃の自由奔放な絵の面影は消滅していき、型通りの、常識に囚われた、技術や様式の習得度などで点数の計られるような類いの絵に変貌していく。
で、上手か下手かで色分けされるようになり、自分は下手だとなったら、描き方の指導にうんざりしたら、もう、絵は自分は嫌だとか、自分には描けないとなってしまう。
かく言う小生もその一人である。小学校の四年か五年の頃までは将来は漫画家になりたいと思っていたのだ。が、あっさり挫折してしまった。とにかく、自分の描くものに個性がない、味気ない、アイデアが湧き出てこない、などと、自分の貧相さにガッカリしてしまったのである。
でも、密かには描きたいとは思ってきたし、まして描ける人が羨ましくてならなかった。漫画家も画家であろうと、デザイン画であろうと、それは詩の書ける人が羨ましいというのと、どこか共通しているような気がする。自分に、型や常識にがっちり取り込まれた、窮屈な感性しか感じられない裏返しでもあった。
町中で見かけた児童画で驚いたというか、感動したことがある。当該の文章の行方は分からなくなったので、関連する一文(の一部)を転記しておく:
あるいはどこかのフォーラムでも書きましたが、やはり街中で見つけたのですが、工事現場を覆う白いパネルに、恐らく小学生の1年か2年だろうと思われる生徒の作品の数々が展示してあったのです。
小生は、その作品群に正直圧倒されるものを感じました。まさに磨かれざるミロだったり、クレーだったりシャガールだったりするのです。それともピカソばりの大胆極まる構図の絵もありました。絵筆を握って間もない彼ら、そして生きることを学びつつも未だ闇の中の野獣性を失っていない彼ら、原始の魂が画布にその生々しさのままにぶつけられているかのようでした。
そうした絵を描く彼らもあと1年か2,3年後には勉強をして、当り障りのない無難な絵を書くようになってしまうのかと思うと寂しい限りです。
そうはいっても、大人になっても幼児の魂を維持するなど至難の業です。教育とは猛獣の心を矯め直して人間の心に改変することですし、生の心を剥き出しにしていては10 歳までだって生きるのは気が狂わない限り無理に近いのかもしれません。
まさに芸術家とは幼児の魂を持ったままに、経験と技術を経て彼らでなければ見ることの出来ない世界を示すもののことなのでしょう。
(転記終わり)
さらには、同じ頁に、次のような一文がある:
しかし、それだけはないような気がします。それはそこに展示されている作品云々より、むしろ会場そのものに違和感を感じるせいのような気がするのです。作品というのは、いつの頃からか額装されて収められ展示されるようになりました。そこには芸術作品がコレクションの対象に既になっているという問題があるのでしょうが、そうした扱いを突破せんかのようにアメリカなどで一応は画布を使いますが、絵の具などを刷毛を使って飛ばしたり、体に塗りたくったり、更には画布を体で突き破るパフォーマンスを見せたりと、それこそ限界突破の試みがなされました。勿論、戦後の日本においてもそうでした。
しかし、そうして作られた作品も今は額に収まって、あるいは会場や倉庫という額に収まって、それを我々が畏まって眺めて拝見するというわけです。その光景が小生には何故か滑稽に感じられてならないのです。その理由は自分でもはっきりわかりませんが。
それゆえなのか、一部の人が試みているように路上に美と異と変と愚を求めて回るのです。例えばどこかの白壁に塗りたくられた悪戯の絵の数々。その中には力量においてかなりのものが見受けられます。ジミー大西みたいなのが市井には沢山いるのだろうと感慨にふけったりします。正規の教育を受けていないから才能が才能のままに路上で発散され、やがて蒸発していくのでしょう(才能を見逃され、スポンサーもつかないままに埋もれていく可能性の作家たち…)。
(転記終わり。いずれも、「K氏との対話(続編)より)
ナイーブ・アートやアール・ブリュットのこと
ジャン・デュビュッフェやミロは、フォートリエ、ヴォルス、クレー(ムンク、フリードリッヒ…)などと並び、小生の好きな画家たちの一人である。幾度となく、雑文の中で採り上げてきた(例えば、「アウトサイダー・アートのその先に」などで)。
彼ら抽象表現主義やアンフォルメルの作家達に付いては、専門のサイトで見るのがいいだろう。
本書では、小生の知らない、絵画の世界にも目を開かせてくれた。アンリ・ルソーや、グランドマア・モーゼスや、フォーク・アート、アメリカンナイーブなどのアートなら多くの方が知っているだろう。小生も、十年以上前、展覧会で実物に接する機会に恵まれた。
が、ニコ・ピロスマニや、フレビネ派、ニカラグア・ナイーブ、ティンガティンガ派、カマンテ・ガトゥラ、アントワネット・シュウォブなどとなると、小生は、どこかで覗き見たことがあったかも、程度である。
恥ずかしながらというか、ニコ・ピロスマニについて一言、書くと、「ロシア歌謡として加藤登紀子さんが歌った「百万本のバラ」は画家ニコ・ピロスマニがモデルとなっている。」こと、彼の生涯が映画にもなっていることを初めて知った。「百万本のバラ」という曲は、ここには詳細を書かないが、小生には失恋に絡む思い出深い曲なのだというのに、情ないことである。
アントワネット・シュウォブについては、ネットで関連するサイトを見つけることができなかった。通常は、アメリカンナイーブの一人として扱われている。本書で紹介されている「仲秋の満月」(1978)が、白黒の画像なのだけれど、大胆で且つ素朴な構図で、ひと目で気に入ってしまった。
フレビネ派もネットで関連サイトを発見できなかった。これは、クロアチアのハンガリー国境に近いドラバ川近くのフレビネ村(旧ユーゴスラビアの村)に暮らす人々の絵(派)である。代表は、イヴァン・ゲネラリッチ(1914-92)だとか。「十字架に架けられた雄鶏」(1964)など、一度見たら、画風の独自さに印象付けられる。
もう、閉鎖されたサイトなのか、それとも削除された頁なのか分からないが、「ハンガリー素朴派の画家たち」と題された下記の頁を見つけた:
素朴派(ナイーフ画)の画家といえば、今世紀初頭その特異な作品で脚光を浴びたアンリ・ルソー(1844~1910)がもっとも有名であるが、このほかにもアンドレ・ボーシャン(フランス)、イヴァン・ゲネラリッチ、イヴァン・ラブージン(クロアチア)、グランマー・モーゼズ(アメリカ)、わが国では谷内六郎や原田泰治などが思い浮かぶ。それぞれの表現で心の奥底にひそむ未知への憧れや畏れを描いたり、豊かな自然に囲まれた田園の暮らしを郷愁をこめてつづったり、夢と物語の幻想世界や幼い頃の追憶をたどるなど、テーマも様々である。
幼い娘のために自分が生まれ育った頃の田舎の暮らしを描き残そうと絵を始めたカポイ・マカイ(1940~)や、極貧の小農村に生れて美術学校には行けなかったというトルク(1930~)はこれらの中で“農民ナイーフ”あるいは“カントリー・ナイーフ”ともいうべき素朴画家たちであり、この分野でハンガリーを代表している。ハンガリーはクロアチアと並んでこの“田園ナイーフ”が盛んなことで知られる。
素朴派の画家たちは、アンリ・ルソーが60才を過ぎるまで税関吏で日曜画家であったように、ほとんど専門の美術教育を受けることなく、農民や主婦であったりするアマチュア画家が何かの機会にそれが職業になったということが多い。それだけに、一見稚拙な表現であるが、本能的で直截なテーマの捉え方、理論や伝統にとらわれない独創的で自由な描写による素朴で純粋な精神の絵画が生れるのであろう。
ハンガリー南部の小さな町ヤーノシャルマに住むラファイ(1949~)もその典型の一人。夫は町役場に勤め、主婦のかたわらナイーフ画を描いている。居間がアトリエ兼用で、キッチンまで至る所作品がいっぱいに飾ってある。はにかみ屋で見るからに純朴な人柄に触れ、コウノトリ、荷馬車、ひまわり畑やワインセラーなど、彼女の作品に登場するすべてがそのまま息づく周辺の環境を見れば、彼女が素朴画家になったのは自然のことだと思える。ご主人手作りのワインと大きな田舎パン、わざわざティサ川の漁師から求めるという鯉を、たっぷりのパプリカ粉と一緒に炊いたフィッシュ・スープは、レストランでは決して出会えない素朴な美味しさで忘れられない。
(転記終わり)
そうか、本書では扱われていないが、谷内六郎や原田泰治も素朴派(ナイーフ画)の画家なのか…。彼らについては、有名だし、ガキの頃、父の書斎などにあった週刊新潮の表紙に描かれる谷内六郎の世界は、なんだか懐かしいし古馴染みという感がある。原田泰治については小生も触れたことがある。近く、エッセイの館である、「無精庵明月記」に小文をアップさせたい。
(追記: 今、アップさせた。「原田泰治美術館のこと」へどうぞ。)
小説「北回帰線」「南回帰線」などの作家ヘンリー・ミラーは、絵画作品でも有名で、ヘンリー・ミラー美術館がある(あった)ほどである。版画家の故・池田満寿夫が激賞していて、小生が画家としてのヘンリー・ミラーの瞠目させられたのも、池田満寿夫を通じてだった。
そうはいっても、ヘンリー・ミラーは日本では、もう、忘れられつつある作家の一人なのだろうか。だったら、尚のこと、まずは絵画作品から彼の世界に入るのも一興かも。
但し、紹介したヘンリー・ミラー美術館は閉館の憂き目に遭っている(「ヘンリーミラー美術館の閉館に学べ」など、参照願いたい)。
画家・絵本作家の田島征三については、「木の実で描く 画家・田島征三のワークショップを訪ねて」を覗くと楽しいかも。数多くの絵本の絵を手がけておられるので、絵本好きの方なら、今更紹介するまでもないのだろう。
本書で紹介されている「かぶと男」(蕪と男)は、実にユニークで楽しい作品だ。
岡野元勝については、ネットでは情報を得ることができなかった。どうやら著者の谷川晃一が転居した先である伊豆高原で、ひょんなことから知り、渋る(?)同氏を展覧会に出品させるまでに至ったようである。
伊豆高原の近くの八幡野港という漁港で、漁港の風景を同じ位置で同じ構図で二十年以上も描きつづけた無名の画家だとか。これもひと目で印象付けられる画風なのである。少なくとも似たような画風はないと思う。
同氏には他にも、『青い星』(ビリケン出版)『おんどりボルケ』(福音館書店)『ベランダの月 詩画集』(ネット武蔵野)『デッサン・ノート』(日本放送出版協会)『へんしーん』(偕成社)『谷川晃一の自由デッサン塾~楽しく絵を描こう』(日本放送出版協会)と、いろいろあるようである。
蛇足
ちょっと驚いたことがある。小生は無精庵徒然草で季語随筆日記を綴っているが、その中で表題に選んだ季語(季題)の織り込まれた句などを紹介している。中でも、「日刊:この一句 バックナンバー」から選ばせて貰うことがしばしば。
で、驚いたことというのは、その中で、本書に言及されていたことなのである。その件(くだり)を転記させてもらう:
画家、谷川晃一の生活人新書『絵はだれでも描ける』(NHK出版)が面白い。ナイーブ・アート(素朴画)を勧めているのだが、これだと私にも描けそう。窓の傍のけやきの若葉などを描いてみようか。(坪内稔典)
(転記終わり)
小生の下手な紹介より、これだけでもよかったかもしれない。
蛇足の補足
やたらと長くなった。蛇足ながら、ちょっと気になる点について、一言。本書の冒頭(「はじめに」)で、絵を描くことの楽しみを案内するに当たって、サンバとバレーとを対比させている。
「しかし「絵を描く」といっても絵には二つのタイプがあって、だれにでも描ける絵とそうでない難しい技術を要する絵があり、後者の絵は相応の技術研修がなければ描けないのである。」とした上で、以下のように続く:
例えばバレーの公演を見に行く人々の大半は、バレーの鑑賞に徹し満足して帰るが、自分でも舞台の上で踊ってみようと思う人は多くはいない。むろん自分でも踊れたらいいなと思う人はたくさんいると思うけれど、厳しい練習に耐え、高度な舞踏技術を長年かかって習得し、しかも肉体的な美しさも要求される踊り手になろうと思う人は鑑賞者の中でも稀有な存在であろう。
これに対し、サンバなど陽気なリズムのダンスを目の当たりにすると、鑑賞者は鑑賞者であるという位置を忘れて、いつのまにか身体が動き一緒に踊りだすことがよくある。この場合、踊りがうまいとか、下手だというような意識はほとんどなく、自分が見られているという意識も希薄になり、ただその場で楽しんでいるのである。
私が本書で「絵はだれでも描ける」と主張しているタイプの絵は、バレー型ではなく、どちらかといえば後者のサンバ型の絵である。断っておくが絵の場合、どちらか一方の型が他方よりすぐれているとか、高尚だというようなことはない。バレー型をとるか、サンバ型をとるかはそれぞれの好みである。前者は「型」を学ぶものであり、後者ははじめから型を気にしない絵である。
(転記終わり)
その上で、著者は、バレー型の絵の修行を想定して絵を描くことを断念している人たちに対し、サンバ型の、無手勝流の自在さで入る絵の描き方もあるのだと、本書にて(も)示している訳である。
小生は、サンバファンである。サンバチーム・リベルダージのメンバー(幽霊会員と人は言う…)でもある。サンバパレードのレポートもたくさん、書いてきた。
が、悲しいかな、楽器も今のところお手上げだし、踊りの方も見ているだけの阿呆で、踊れていない。実情は、ただの追っ駆けだったりする。
それでも、サンバのダンスや音楽に合わせて、身体を揺するくらいのことはするようになった。この、腰も身体も重たい小生が、である。軽いのは脳味噌だけという我輩が、身体をゆっさゆっさというか、ゆらーりくらりというか、ともかく、身体を音楽やリズムやダンサーの動きに僅かなりとも合わせようとしている。
これは、まさにサンバならではである。
バレーは、町中で、只で見物できる機会など稀(皆無?)である。が、サンバのパレードは、商店街で年に何回となく行われている。本来はサンバもバレーと同じく、その頂点に立とうと思うと、同じような修練と努力と情熱と才能なども要る。
サンバは、敷居が低いが持続するとなると、大変だったりする。
バレーは、崖のような孤立した山であり、サンバは富士山のようになだらかな曲線を描く山なのだ。連山の中の秀峰なのっだ。結果として頂上に立つのは至難だが、富士山は、とりあえずは登山を試みることができる。
とはいいながら、小生、サンバは、いまだ、登山の一歩さえ踏み出せていない。登山というより頓挫している。でも、絵もサンバも(バレーも)大好きなのである。
書評エッセイとは懸け離れた、訳の分からない雑文になった。さすがに小生も気が引けてきたので、ここらで脱稿としたい。
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コメント
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子どもの絵というと、この間ブック・オフで「テレジン収容所の小さな画家たち詩人たち」を買いました。
収容所で描いた子どもたちの絵、当然暗い色調です。絵としては完成していなくても心打たれます。なんとなく香月泰男の黒い絵が読んでいて頭に浮かびました。
投稿: oki | 2005/01/22 23:23
ついでに。
世田谷美術館の「パラレル・ビジョン」をきっかけに弥一さんはナイーブアートというかそういう方面に眼を向けられたのでしょうか?
この前見たグランマ・モーゼスも絵の勉強はまったくしなかった人です。
その意味で彼女の絵は人物は抽象的ですが、風景の描写は実に緻密なんですよね、彼女の関心のありかがよく判る気がします。
投稿: oki | 2005/01/22 23:29
ナイーブアートは、88年だったか伊勢丹デパートで行われた「アメリカン・ナイーブ展 10人の女流画家たち」展を観に行きました。カタログも手元にあります。
その頃、サラリーマンだった小生は、伊勢丹と仕事上の関わりが少々あったので、展覧会の前売り券(招待券だったかも)を入手できたのだと思います。
今となっては夢のまた夢の環境だったのです。
93年だったかの世田谷美術館の「パラレル・ビジョン」展は、実に印象的。小生に圧倒的な影響を与えてくれたことは、okiさんも小生の書き物などで知っているのかな。
ナイーブアート関係の方の多くは、まともな形では絵の勉強をされていない。それどころか、中年になっていきなり始めた方が多い。だけど、描きたいという情熱が絵の形で発露している。個性的。個性だけは学校では学べないし。
本稿の中でも紹介した描き手たちも、とにかく個性的で魅力的。本書は白黒の写真だけど、魅力はそれでもプンプン匂って来る。
本書もいいけど、リンクしたそれぞれの画家たちの絵を見て欲しいな。
戦争などで心(や身体)に傷を負った子供たちの絵、いつだったかテレビでチラッと見たことがある。
そうでなくとも、子供の絵はダイレクトで呵責なかったりするのに、心に傷を持つ子の絵は、見るのも辛いね。絵を描くことでホンの少しでも傷が癒えたらと思うのだけど、気休めだろうか。
投稿: 弥一 | 2005/01/23 03:11