岡本綺堂『江戸の思い出』
先月、車中で読むに相応しい本を物色していたら岡本綺堂の『江戸の思い出』(河出文庫刊)が目に付いた。
表紙に「日本名所図 駿河町雪」(小林清親)が使われている。文庫本を手にして、まず、その表紙の絵が気に入ったような気がする。
岡本綺堂というと、何といっても、「半七捕物帳」である。この捕物帳という言葉も綺堂の創案なら探偵物も綺堂の創案になることは、今となっては知る人ぞ知るの部類だろうか。
上記の岡本綺堂自身の話でも分かるように、大岡政談など裁判物はあったのだが、探偵物はないということで彼は書き始めたのだが、その際、自身、「江戸時代の風俗、習慣、法令や、町奉行、与力、同心、岡っ引などの生活に就いても、ひと通りの予備知識を持っている」強みを生かして、純日本的な探偵物ということで捕物帳を書いたわけである。
岡本綺堂は、江戸を愛した文人なのである。そして失われ行く江戸情緒をせめて文章の形で書き残しておきたいと、膨大な量の随筆を書いている。
それなりに残っていた江戸情緒や風物は、かの関東大震災で東京が壊滅的な打撃を受けた際に消えたと言われている。
が、綺堂に言わせると、江戸時代からの名残のある東京は日清戦争の頃に大きく様変わりしたという。
それまでは、「明治の初期には所謂文明開化の風が吹きまくって、鉄道が敷かれ、瓦斯灯がひかり、洋服や洋傘やトンビが流行しても、詮ずるにそれは形容ばかりの進化であって、その鉄道にのる人、瓦斯灯に照される人、トンビをきる人、その大多数はやはり江戸時代からはみ出してきた人たち」が生き暮らしていたわけである。
そして72年(明治5年)生まれの綺堂は、「そういう人達にはぐくまれ、そういう人達に教えられて生長した」のである。だからこそ、1923年9月1日に発生した関東大震災の時に東京など京浜地帯は壊滅的打撃を受けたのだが、その際、江戸情緒の残っていた東京が消えたことに危機感と寂しさを覚え、自覚的に江戸の思い出を書き残そうとしたのだろう。
かの大震災の時には、綺堂自身も「元園町の家財蔵書など全焼」する災禍に見舞われている。
富山生まれの小生だが、東京に暮らし始めて来年で25年となる。今年は人生の半分を東京で暮らしてきたことになった。今は時間の自由がなくなったが、東京にきた当初は、居住していた新宿や高輪を中心に方々を散々歩き回った。
今は仕事柄、東京都区部を中心に車で巡っている。小生なりに東京への愛着がある。東京の地名や土地柄を車という媒介を通じてだが、感じようとしている。読む本も、次第に現代から古典へと遡るように嗜好が変わってきつつある。
今、読んでいる島崎藤村の『桜の実の熟する頃』も、主な舞台が明治学院にあったりして、高輪、白金、芝、そしてその近辺の伊皿子とか聖坂、三光坂、天神坂など、小生が歩いた馴染みのある地名が頻出して、実に懐かしい。ああ、あそこを藤村が歩いたのかという感懐を抱いてしまうのである。
特に藤村が品川の停車場から高輪辺りへ歩く辺りは、そうだ、小生も80年代の初め、よく会社の帰り細い曲がりくねった坂道を歩いたっけと実に懐かしく感じたものだ。
それをさらに綺堂は遡る古い東京を語ってくれるのだから、興味津々となるのも小生としては無理からぬものがある。
「ゆず湯」の話やら歌舞伎など芝居の話、江戸佃島の名産「白魚」の話、さらには江戸の怪談話などもあって実に楽しい。というより、いかにも作家というのか、「怪談奇譚」という短編仕立て風の小品の並ぶ章が、小生には面白か
った。
不意に刊行された綺堂の『江戸の思い出』のようだが、1872年生まれの綺堂にとって今年は生誕130周年に当たるのだと知って、なるほどと思った次第である。
岡本綺堂については、下記のサイトが詳細である:
「綺堂事物」
[旧タイトル:「岡本綺堂『江戸の思い出』あれこれ (02/11/24 記) ]
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