トールキン『指輪物語 1』
「トールキン『指輪物語 1』を読了して」
小生はここ数年、読書のテーマの一つとして昔話や童話が加わっている。アンデルセンもそうだが、グリム童話が面白い。過日、グリム童話を読み終えたと思っていたら、なんとその角川文庫にはⅡがあるのだと、Ⅰを読み終えて気付いた。
昔話や童話を昔は読み浸ったはずなのに、そんな遠い自分の過去はすっかり忘れていた。
そもそもガキの頃は読書など好きではなかった。まず、誘いがあれば外で鬼ごっこや草野球をして遊ぶのに忙しかったし、10歳を前にして我が家にやってきたテレビには、一気にその魅力の虜になってしまったし、何と言っても自宅では漫画の本にどっぷりと浸かっていたのだ。
小学校の高学年だったか、豪華本のアンデルセン童話をクリスマスか誕生日かのお祝いに貰った時、顔では喜ぶ表情を何とか作っていたが、内心、戸惑っていたのを覚えている。なんで、本なんてプレゼントするの? と、当惑するばかりだった。本なんかより漫画の本かお菓子か、遊びの道具のほうがよっぽど当時の小生としては喜んだはずだのに。
きっと(後になって思うことだが)、あまりに勉強嫌いの何事もやる気のないガキだったので、本のプレゼントを切っ掛けに、勉強を少しでもやってくれたらという親の切ない願いが篭っていたのかもしれない。
尤も、勉強は嫌いだったが、貸し本屋さんから本は毎日のように借りていた。その大半が漫画の本であるのは言うまでもないが、それでも小学校の終わりから中学に入る頃には、SF小説ではあるが、本らしきものも借り始めてはいたのだ。
そんな自分を見て親は単純に小生のことを本好きと誤解したのかもしれない。
実際にはSF小説には、挿絵がたっぷり添えられていて、読み進みながらも、その挿絵の頁に辿り着くのが励みというか楽しみだったのを覚えている。中学生になって、自分で本を買うようになっても、図鑑とか天文学の写真が数多く掲載されている、つまりは当人としては漫画の延長のような感じで本を選んでいたように思われるのだ。
そうした本嫌いの小生の前史として、昔話とか童話があるわけだ。
但し、あまり記憶にない。お袋に童話などを読んでもらったこともない。そもそもお袋は本を全く読まないほうだったから、無理な注文だったのだ。だから昔話を膝に抱かれて読んでもらったといった、懐かしさの伴う記憶が皆無なのである。
だとしたら、あくまで読んで面白かったかどうかだけが記憶に残るわけで、結局は、物語の世界に没入できなかったようだと推測するしかない。
が、では、全く物語の魅力に惹き込まれかったかというと、そうでもないから、話はややっこしい。かちかち山の狸の話とか舌きりスズメの話とか、なんだか妙にリアルに感じながら読んでいた、少なくとも絵本の絵に見入っていたことは、確かに覚えているのだ。白雪姫の話やらシンデレラの話も、その中のかぼちゃの馬車の話も、それからディズニーの漫画も、真っ正直にその物語世界の中にはまり込んでいた、確かにそうだった。
さて、年も大台に乗って、今、改めて童話や昔話を折々に読んでいる。特に冒頭で触れた『グリム童話』には、下手な文学作品より余程奥行きの深い、しかもリアルな人間像が垣間見られるようで、子供相手の文学作品とは到底思えないと感じつつ、読み進めているのである。
そんな中、近頃、映画でも童話絡みの作品が続々ヒットしている。どうやら童話の世界に癒しなるものを求めているらしいのだ。残念なことに、小生は「千と千尋の神隠し」も「ハリーポッター」も「ネバーデンディングストーリー」も、ともかくそもそも映画を近頃、まるで見ていない。
また、それらの活字本も目を通していない。つまりは新しい作品を全く知らないということなのだ。だからファンタジー系統の映画に癒しがあるのかどうか、小生はまるで語る資格がない。
で、実は、このトールキンの『指輪物語』は、小生にとって、新しく作られたファンタジーノベルとしては、初めて読む本なのである。
新しいといっても、既にこの本は原作が最初に作られてから半世紀近く経過している。日本語訳が登場してからでさえ、四半世紀になる。でも、アンデルセンやグリム童話に比べると新作だと言うだけの話である。
肝腎の読書感想を書く遑がなくなってしまった。小生がもう少し若ければ読み進めるかもしれないが、この長い小説の第一分冊を読むだけで終りそうである。この最初の一冊は、まだ旅立ちをしようかどうかという、いわば導入部なのだ。
だから、この時点で『指輪物語』の評価を下すことは、意味を持たないと言える。
ただ、グリム童話ほどに今の小生を惹き付けてくれないのである。『グリム童話』は『グリム童話 Ⅱ』になると、やや教訓譚めいた作品も目立つようになるが、それでも読み手次第では意味深な物語に満ちているのである。
つまりは小生は別に、童話や昔話に教訓めいたお話やら癒しやら、魔法が解けてメデタシメデタシという結末などを最初から求めてはいないのである。
もっと他のもの、人間の業というと、やや話が大袈裟になるが、昔から語り伝えられてきた話の中に人間のエゴや深い願望(欲望)へのリアルな洞察といったものを求めているらしいのである。
この辺り、機会があれば、グリム童話のどれかの話に基づいて具体的に探ってみたいと思う。
[最後にグリム童話を扱うネット上のサイトを紹介しておく:
http://www.catnet.ne.jp/kanran/grimm.htm ]
(02/03/25 記)
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