宗教・哲学

2008/08/11

架空凝視という病

 富山へ帰郷してもうすぐ半年となる。無我夢中の日々だった。今、砂を噛むような味気ない日々を過ごしているが、さてでは東京という大都会で一人暮らししていた頃の心境はどうだったか。
 紹介する日記は僅か7年前のもの。題名が仰々しいが、要は愚痴っているだけ。感傷に堕している。当時もあれこれしょうもないことを呟いているが、不毛さという点では今のほうがずっと強く実感しているような気がする。

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→ 我が家の庭に咲いている小花(10日撮影)。君の名は? 

 何が悪いんだろう。やはり自分か。
 間違いなく言えることは、この数年、小生は人間的に少しも成長していないということ。これが一番、問題なのかもしれない。
 実は昨夜、「Google マップ」で今年の二月末まで居住していた東京は大田区の我が邸宅(集合住宅)の様子や近くの商店街、小学校、文化施設、池上通りなどを(但し空撮で)しばし眺めていたのだ。
 この町でこんな感懐・感傷を後生大事に抱えていたんだなって思い出し、再掲することに。
 虚構の館に収めるのは、こうした心理のトーンの延長で短編を書くことが多かったからである。
                   (08/08/11 再掲に際し記)

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2008/01/27

刀葉林の夢

 ガキの頃とて、説明の詳細などは右の耳から左へ抜ける前に、何処かで滞ってしまっていたと思うが、絵図の印象は鮮明であり、強烈だったようである。

 小生は、小学校に上がる前に、一時期、夜毎、地獄の世界を彷徨っていた。

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→ 『地獄極楽図部分・刀葉林』 (画像は、「長岳寺 地獄図解説」より)

 といっても、家を脱け出て、どこかの地獄をうろついていた…といった類いのことではない。
 夜、眠りに就くと、決まって、焦熱地獄とでもいうのか、炎の燃え上がる崖の上を逃げ回っていたりする自分がいるのだった。

 特に幾度も繰り返し見た光景は次のようなものである。

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