架空凝視という病
富山へ帰郷してもうすぐ半年となる。無我夢中の日々だった。今、砂を噛むような味気ない日々を過ごしているが、さてでは東京という大都会で一人暮らししていた頃の心境はどうだったか。
紹介する日記は僅か7年前のもの。題名が仰々しいが、要は愚痴っているだけ。感傷に堕している。当時もあれこれしょうもないことを呟いているが、不毛さという点では今のほうがずっと強く実感しているような気がする。
→ 我が家の庭に咲いている小花(10日撮影)。君の名は?
何が悪いんだろう。やはり自分か。
間違いなく言えることは、この数年、小生は人間的に少しも成長していないということ。これが一番、問題なのかもしれない。
実は昨夜、「Google マップ」で今年の二月末まで居住していた東京は大田区の我が邸宅(集合住宅)の様子や近くの商店街、小学校、文化施設、池上通りなどを(但し空撮で)しばし眺めていたのだ。
この町でこんな感懐・感傷を後生大事に抱えていたんだなって思い出し、再掲することに。
虚構の館に収めるのは、こうした心理のトーンの延長で短編を書くことが多かったからである。
(08/08/11 再掲に際し記)
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