ナンセンス小説

2007/09/04

ポケット一杯の小銭

[本作を読むに際し、「短編「釣銭」書きました!(追記あり)」を参照されると一層、理解が深まるかも。]

 雨の夜だった。オレは見知らぬ町に居た。
 どうして自分がここに居るのか訳が分からなかった。

 雨。
 傘がない。
 でも、何故か体は濡れない。
 濡れているのかもしれないけど、まるで気にならない。

 違う! 雨もオレを避けているのだ。

 喉が渇いたわけでもないのに、目に付いた自動販売機の前に立った。
 雨のせいもあって薄暗い中、スポットライトに照らし出されている自動販売機にふらふら寄って行ったに違いない。

 オレは…自動販売機という誘蛾灯に惹かれる一匹の虫なのか。

 百円玉を2個、投入し、缶入り珈琲を一本、買った。
 いや、買おうとしたが、商品が出てこないのだった。

 おカネはしっかり販売機が呑み込んでいる。
 
 見ると、嘲笑うかのように、釣銭が、ジャラジャラと釣銭受け口に出てくる。
 お釣りは80円のはずなのに、十円玉が山のように吐き出されている。

 …これはどうしたことなのだ。

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2007/09/03

釣銭

[本作を読むに際し、「短編「釣銭」書きました!(追記あり)」を参照されると一層、理解が深まるかも。]

 雨の夜だった。オレは見知らぬ町に居た。
 どうして自分がここに居るのか訳が分からなかった。

 喉が渇いたわけでもないのに、目に付いた自動販売機の前に立ち、何か買った。
 雨のせいもあって薄暗い中、スポットライトに照らし出されている自動販売機にふらふら寄って行ったに違いない。

 オレは…自動販売機という誘蛾灯に惹かれる一匹の虫なのか。

 雨。
 傘がない。
 でも、何故か体は濡れない。
 濡れているのかもしれないけど、まるで気にならない。

 違う! 雨もオレを避けているのだ。

 それより、自動販売機の釣銭がやたらと多い。百円玉を2個、投入し、缶入り珈琲を一本、買った。

 いや、買おうとしたが、商品が出てこないのだった。

 おカネはしっかり販売機が呑み込んでいる。
 
 見ると、嘲笑うかのように、釣銭が、ジャラジャラと釣銭受け口に出てくる。

 が、お釣りは80円のはずなのに、十円玉が山のように出ている。

 …これはどうしたことなのだ。

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2007/04/22

トーストとミルクとホセと

 久しぶりの休日なのに、タケシは朝から不愉快だった。
 夜来の雨がやまないから?
 違う。
 不快のタネはメールだった。コーヒーを片手にパソコンに向かい受信トレイを開くと、来るわ来るわ、迷惑メールの嵐だったのだ。
 係長という立場にあって、タケシは休日返上の日々が何年も続いていた。
 ようやくの思いで取れた休みなのである。

 この前、大方のスパムメールは「送信者を禁止する」機能で片付けたはずなのに、また、増えている…。

 チェッと舌打ちしながらも、片っ端から「送信者を禁止する」機能で処理していく。
 案外とこの処理が楽しかったりする。
 世の中の汚物を始末しているような、妙な快感を感じているような気がしていたのだ。安価なゲーム機で敵を打ち落とす感覚にどこか似ていた。

 こんな単純作業を続けているうちに、ふと、タケシは思い当たることがあった。


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2007/03/21

疑心暗鬼

[「運動会の競争で参加者全員一等賞」という課題を与えられての創作の最終編です。]

 裕太は、教室に居ても、廊下で遊んでいても、校庭でみんなとサッカーをやっていても、塾に通っていても、何をやっても不安の念が薄れる時がなかった。
(みんな、内緒で、どうやっているんだろう)

 他の生徒たちの動向が気になってならないのだった。
 裕太は、クラスの仲間全員に聞いて回りたかった。一体、どうやっているのか、と。

 でも、そんなことを聞けるはずもなかった。
 みんな一等賞、みんな満点の制度が始まって数年になる。が、誰もがこんな制度など、くそっ食らえと感じている。みんな、叶うなら以前の競争を是とする社会に戻って欲しくてたまらないのだ。
 ほんの数年前までなら、運動会では競争があり、一等賞から三等賞、選外からびりっけつまで結果が明確に現れていた。勝って喜ぶ奴もいれば、負けて悔しがる奴もいる。中には、徒競走や騎馬戦などなければいい、運動会などなければいいと思っている奴もいた。
 みんなの前で歌うなんて、真っ平だと思っている奴もいただろう。

 でも、その結果が歴然としているから、内申書にどう記入されるか、凡そのことは予測できる。また、どう書かれても納得がいっていた。
 それがみんな一等賞に、誰もが満点となってからは、内申書にどのような基準で優劣が付けられているか、さっぱり分からなくなったのだ。
 みんな一等賞と生徒や父兄らを持ち上げておいて、それでいて、いざ内申書となると、ちゃんと優劣が付けられ、内申書が進路の振り分けの材料に使われてしまう。
 体育系や音楽などの実技系だけではなかった。数学や国語や社会などの学科も、試験は行われるのだが、名前さえ記入洩れしなければ、みんな満点がもらえることになっていた。
 実際、答案用紙には、ちゃんと百点と赤いペンでしっかり書いてある。

 裕太だって、最初のうちは、自慢したくてウチに持ち帰り、両親とか近所のみんなに見せて回ったものだった。
 なのに…。

 そう、内申書は、何故か内申書だけは、旧態依然というわけではないが、きちんと優劣の評価が下され、優等生から劣等性まで厳格に序列が定められているのだ。
 一体、どうやって?! 何を根拠に?
 裕太には何が何だか、さっぱり分からなかった。
(もしかしたら、採点されて生徒に返却される答案用紙には満点と書いてあるけれど、実は、こっそり先生方は従来通り採点しているのかもしれない…。)

 そんなふうな疑念に囚われる生徒や父兄もないではなかった。しかし、先生達の教員室での様子を盗み見ても、そんな様子は露も見受けられないのだった。

 分からないのは裕太だけではなかった。最初は試験の成績が文句の付けようがないと喜んでいた裕太の両親も、内申書が以前にも増して微に入り細に入って記入されていると知って、愕然としているのだった。
 試験も運動会の結果も、音楽の授業での楽器の演奏の上手下手や歌の歌い方の良し悪しも、すべてみんな満点とか一等賞とされているのに、それでは、どうやって、あるいは何を根拠に内申書に生徒の素行を観察し優劣を定めているのか。

 生徒も父兄達も、みんな疑心暗鬼になっていた。
 一体、どうやって我々を観察しているのだ。
 一体、誰が我々を評価しているのだ。

 生徒たちは、次第に一挙手一投足がぎごちなくなっていた。
 何処でどうやって眺められているのか知れないのだ。おちおち教室でオナラをすることも鼻をかむこともできなかった。お喋りも、当り障りのない話をヒソヒソと行うだけになっていた。
 トイレの個室に入っても(そう、大を気兼ねなくできるようにという配慮とか、プライバシーなどが問題になり、男の子の小水も個室で行うようになっていた)、 ○ンコどころかオシッコもでない生徒が現れていた。
 というのも、トイレでの用の足し方が観察されていて、そのマナー如何が内申書に反映されるという噂がまことしやかに囁かれているからだった。中には、トイレットペーパーの使用した長さなどが記録されている、一回に29cmまでなら合格だが、30cmを越えると失格だという情報も流されていた。
 これでは出る物も、引っ込んでしまう。

 しかし、かといってしないわけにはいかない。出る杭は打たれるが、出る○ンコは垂れるしかないのだ。だから、父兄が学校の傍に携帯トイレを持参して車で待機していて、生徒は人目を憚りながら、こっそりと用を果たす有り様だった。
 学校は、いまや冷凍庫みたいになっていた。生徒の覇気は皆目、見られなくなっていた。大声を発するのは、もう、将来ある進路への希望など諦めきった奴と相場が決まっていた。
 少しでも将来、いい学歴、そしていい会社へ進みたいと思っている連中は、出来そこないのロボットのように、ギクシャクした、借りてきたロボットの猫のような振る舞いしかしないようになっていた。

 不思議なのは、学校でほんの数人の生徒たちだけは、やたらと元気に活発に振る舞っていることだった。磐石というか、大船に乗っているかのように悠然と日常を過ごしている。時には学校だって平気でサボる奴もいる。別に落ち零れ組みたいに、将来を諦めている風にも思えないのだが。

 どうしてそんな奴等がいるのか…?
 ほんの一度だけ、裕太は、そうした奴等の一人に、どうして君は、平然と学校生活を送れるの? と訊ねたことがあった。
 問われた奴は、(何を愚かなことを)とでも言うように、裕太を冷然と見下ろすだけだった。
(失敗した! 今の言動は記録されてしまって、内申書に反映されてしまうに違いない…。なんてバカなことを聞いてしまったんだ、ボクは!)

 一方、何故か先生方は、のんびりとした日々を送っている。誰が見ても、のほほんと働いているとしか思えなかった。そりゃそうだ、採点という面倒な仕事から解放されたのだから。
 それに、校長先生を初め学校側の人たちも、そんなに血眼になって生徒を指導したり観察しているとは思えないのだった。
 愛想笑いの陰で、こっそり、覗き見しているのではと勘ぐってみても、やはり、先生方のお気楽ぶりは疑いようがないのだった。

 何故、先生方も校長先生も、お気楽で居られるのか。

 実は、そこには訳があった。

 内申書の内容は、つまり進路は、親の学歴や閨閥と会社の優劣や株価、そしてなんといっても親の資産の大小と学校への寄付金の多寡、政権与党への貢献度などで入学した時点で全てが決まっているのだった。
 つまり、親の身元調査が入学当初に行われ、その結果で内申書は自動的に記入されていくシステムになっていたのだ。
 だから、先生方は、先生の振りを装えばそれでいいのだった。生徒は生徒らしく、しおらしくしていればそれで十分なのだった。いや、少々なら虐めや万引きや授業中の居眠りやトイレでの粗相もOKなのだった。ほとんど放任状態だったのだ。

 が、そんな裏の事情を知る生徒や父兄はごく少数だった。
 知っているのは、制度作りに携わったほんの一部の与党の政治家や利害関係者、つまり、制度を作った時点での勝ち組みの連中だけだったのだ。
 裕太ら圧倒的大多数の生徒や父兄等は、疑心暗鬼のままに、私生活さえもガラス張りにされてしまったような生活を送るのみだった…。何をどうすればいいのか分からず、ただ闇雲にいい子になろうと懸命だった。
 その実、どんなに必死に頑張っても無駄さ、とエリートたちは嘲笑わらっているのだった。

 裕太や多くの生徒たちは、疑心暗鬼の念で日々汲々とするのみだった。
 ただ、祐太は思った。昔の学校生活って楽しかったろうな、と。

                       (04/01/31作)

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2007/03/20

みんな満点

[「運動会の競争で参加者全員一等賞」という課題を与えられての創作の続編です。]

 コホン、コホン。
 この前は醜態を晒して恐縮しておる。

 名誉挽回というわけではないが、本日はやや荘重な内容の話になるから、そのつもりで承るように。
 この前も言ったが、年寄りの話を聞くのは若者の功徳だぞ。功徳じゃなくて、くどいぞ、などと文句を言わないようにの。

 さてじゃ、わしが今日、話そうと思うのは、みんなが一等賞にちなむ問題じゃ。
 せっかくこの世の日の目を見そうな哀れな精子に愛の手を! と述べて、つい我が身のことに思いが及んで、締め事というか秘め事というか姫事に望んで、ちっとは発射できるか、心配だったこともあって、つい、何だか繰り言になるなんて、のお、力が入ってしまったんじゃ。

 でじゃ、みんな一等賞という発想法の愚かしさは、皆も分かっておるじゃろう。今更、わしがくどくど説明するまでもないじゃろうて。
 ま、しかし、そこは老婆心というか(それにしても、なんで老爺心がないんじゃろう?!)、万が一にも問題が何処にあるか分かっておらん奴もいるかもしれんし、ここにルル三錠じゃない、縷縷、説明しておく。

 つまりじゃ、運動会などで徒競走などをやってじゃ、まともに競争をすると、当然ながら一等賞の者から二等賞、三等賞とあって、まあ、ここまではいいとして、そのあとには選外というか、賞状も賞品ももらえない連中が続くわけじゃ。で、最後にアゴを上げてひーひーいいながらやっとのことでごールに倒れこんでくる可哀想な奴も、必ず居るというわけじゃのう。

 で、ゲットクソの奴が惨めじゃないか、負けた奴が可哀想じゃないか、勝ち負けがあるなんて、差別に繋がる。虐め問題がこれだけ社会問題となっている最中、学校が先頭を切る形でそんな虐めの元を作ってどうする、学校はじゃ、みんなが仲良く生活する場なのじゃ、というわけで、運動会があっても建前上、競争をやっても、そこはそれ、ちゃんと按配してみんなが平等な結果を得られるようにするというわけじゃのう。

 わしは、この考えに大賛成だということは、この前も言った通りじゃ(じゃないと、わしのなけなしの精子が可哀想じゃないか! なんとか一匹くらいはチンタラしていても秘め事の奥所に辿り着かせて、で、とにかく口をパッカリ開けている姫君の元に…、のう、お主もわかるよのお、男子ならばの)。

 ところがじゃ、世の中には分からず屋もいるわけじゃ。

 頑張った奴が一等賞にならなくてどうする、だとか、みんな仲良く一等賞なんてバカなことをやっているから日本はダメになるんだとか、学校は、世間の荒波を避ける場であると同時に、社会の厳しさの一端を少しは学ばせる場であるべきだとか、まあ、分かったようなことを言う連中がいるものぞい。
 なるほど、勉強はできなくても、運動はできる奴もいる、そういう奴には、せめて運動会で一等賞などを取らせて、日頃の劣等感を少しでも鬱憤晴らしさせてやらないと、などと、知れたようなことを言う奴もいるようじゃ。一つの理屈かもしれん。

 が、わしに言わせれば、馬鹿な考えじゃ。成績もいい、運動会も一等賞、役員をやらせても有能という奴もいるじゃないか。
 逆に言うとじゃ、何をやらせてもダメな奴も居るって事じゃよ。勉強もダメ、運動もダメ、歌もダメ、絵は下手くそ、ウチに帰っても親は仕事で相手にされないとか、の。

 そこでじゃ、わしは考えた。中途半端はいけない、と。
 つまりじゃ、運動会でみんなが一等賞というだけではいけないのだと、の。

 ん? 分かったと、ん? みんながゲットクソ賞になって、負ける悔しさ惨めさを学ばせる?
 お前はバカか。わし以上のバカじゃな。
 そうではない。わしが考えたのは、みんなが満点ということじゃ。

 まだ分からんのか。察しの悪い奴ぞえ。
 運動会では競争をやっても、みんなが一等賞であるように、勉強でも、試験をやっても、その結果はみんなが満点ということにするのじゃ。

 不思議とは思わんか。わしに言わせれば不思議と思わん、世間のほうが余程、不思議じゃぞ。
 運動会では、負ける奴がいたら可哀想だから、みんな一等賞にしておいて、それでいて勉強のほうは旧態依然と○だ×だとチェックしていって、零点そして赤点から満点までばらつかせる。で、成績順で鼻高々振りを決めておる。
 この片手落ちは何じゃ! 不合理ではないか。理屈に合わんじゃないか。わしなど、幾度、赤点や零点を取ったことか。それもじゃ、試験問題に真剣に取り組んだのに赤点じゃぞ。情ないったらありゃしなかったぞい。

 コホン。また、遠い思い出が蘇ってしまった。何しろ出来の悪いわしじゃったが、こんなに立派に更正できるのじゃ。お前も心配することは何もないぞ。
 ということで、試験をやっても結果はみんな満点じゃ。こんな夢のような話はないじゃろう。

 運動のほうはみんな一等賞で試験は点数を厳しく付ける、ここに陰謀の臭いを嗅ぎ取らないと嘘じゃぞ。
 このみんな一等賞なんてのは、どうせ、頭のいい奴(頭だけのいい奴)の父兄の考え出した陰謀に決まっておる!

 つまりじゃ、内申書重視が叫ばれている中、学科の試験はなんとかなっても、運動の成績が悪いと何かと不都合じゃ。そこで体育も音楽も一等賞ということにして、体育系実技系の科目の成績を糊塗しようというのじゃな。体育系の得意な奴の鼻っ柱をへし折ってしまうという一石二鳥の効果を狙った巧妙な罠じゃ。
 腹黒い魂胆が隠されておるのじゃ。負けた奴が可哀想だ云々というのは、ただの美名じゃ、表向きの話じゃ。全ては内申書にどう反映されるかの問題なのじゃ。

 じゃからこそ、わしは主張するのじゃ。理科も算数も国語も社会も、みんな満点じゃ。答案用紙に名前さえ書けば、紙面に漫画を書こうが、先生の悪口を書こうが、用紙で飛行機を作ろうが、鼻をかもうが、精子を受け止めようが、みんな満点じゃ。
 そして、みんな東大へ推薦入学じゃ。だって、そうじゃろう、みんな平均点が満点なんじゃなから、東大など文句無しで推薦で一発合格じゃ。
 えっ? 定員があるから出来ない相談だと? つくづくお前は愚か者よのおー。みんな満点に決めたんじゃから、全国の大学の名前をみんな東大にすればいいことじゃろが。簡単なことじゃ。東大北海道分校、東大山形分校とか、の。

 そうすればじゃ、このアイデアをもっと早く誰かが気付いておったらばじゃ、そうしたら、わしも東大卒じゃ(正確に言うと、東大付属高校付属中学付属小学校付属保育所卒だが…。細かい話は抜きじゃ。東大・卒と書いても、紙面の都合で途中を略しただけで、嘘は書いておらんのだからの)。
 わしも学歴詐称もなんぞせずに済んだのじゃがなあ…(遠い目)。

 どうじゃ、なんだかワクワクしてきたじゃろうが。お前も遊んで暮らしても東大卒の学歴が約束されるのじゃぞ。
 そうなれば、後は人間性の問題だけになる。そうなれば、みんな、わしを見習い尊敬するようになるのは間違いない!
 その日が一日も早く来たらんことを祈るのみじゃ。
 ん? 昨夜の姫始めの首尾はどうだったかだと? わしの面前でそんなことを聞く奴があるか。
 惨め始めに決まっておろうが!
                         (04/01/30作)

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2007/03/12

姫始め

[「運動会の競争で参加者全員一等賞」という課題を与えられての創作です。]

 わしはな、昔から憂えておることが一つある。
 と、その前に、一言断っておくが、わしの話はくどいぞ。この年になると、若者を捉まえて話を聞かせるしか愉しみはないからの。
 ま、何事も辛抱が肝腎ぞ。若い者は年寄りの話を聞くのが功徳じゃて。

 さて、わしが憂えておること、それは、無数の精子の運命についてじゃ。お前も知っておるじゃろうが、男子たるもの一度の射精の際に発射される精子の数は病気でもない限り、数億匹という膨大な数にのぼる。
 その気の遠くなるような数の精子どもが卵子目指して一斉に困難な旅に出るのじゃ。
 そのさまは、そう、産卵のためのサケの大群の溯上の光景さながらじゃ。
 尤も奴等はメスじゃが、この際、オスとかメスとかが問題じゃない。その健気というか悲愴というか、産卵のため、そして子孫を残すための凄まじいまでの闘いの姿。
 それを見て涙しないものがあろうか。

 それも季節は冬も間近の頃の話じゃ。そろそろ厳寒の季節を迎えようとする渓流を傷付きボロボロになりながら遡り、やっと産卵を終えたときには力尽き、静かに川床に横たわる。そのサケを狙って熊どもがやってくる。
 熊が憎たらしいかって。とんでもないことじゃ。熊は熊で生きるために懸命なのじゃ。たっぷり脂肪を蓄えて真冬の山を乗り切る。自然の摂理を思うだけよ。

 余談じゃが、わしのダチに試験管に射精し、その液をプレパラートに移して、顕微鏡で一匹一匹、精子の数を数えた奴がいる。奴が中学生になったかどうかの頃のことじゃそうな。奴は、そもそも精液の中に精子がいること自体を疑ったというのじゃな。で、実際に覗いてみたら、精子がいるわいるわでビックリしてしまい、到底、数える気にはなれなかったと言っておった。

 ま、わしは奴のことを知っているから、その話は眉唾物と思っておる。何故って、大体、奴は同級生の女の子のスカートは熱心に覗くが、顕微鏡を覗き込むなど、ありえないと睨んでおる。
 それに、奴は確か、両手両足の指の数より多い数は、たくさんと、十把一絡げという頭脳の持ち主だ。まあ、飛ばして出来た障子の染みの数でも数えるのがオチじゃったろうて。

 さて、精子の話に戻ろう。

 男というもの発射する快感に騙されて、それこそ数えきれないほどに無駄球を撃ってきたものじゃて。わしも若い頃は、日に三度四度五度と発射したものじゃった。その勢いがわしの自慢じゃったのじゃ。
 嘘じゃないぞ。若い頃はションベンも威勢がいいが、精子の飛びっぷりもなかなかのものじゃった。ピューと飛んで、勢いだけで障子紙など突き抜けたものよ。二メートルは飛んだな。それが今では、垂れ零れるだけじゃ(遠い目…)。
 いかん、いかん、わしの自慢話をしようというのじゃない。

 で、大概は寒風吹き荒ぶというか、目的地などどこにもない真昼の闇夜に飛ばされておしまいじゃ。ま、手の平とか、雑誌から千切った写真とか、何処かの壁とか。中には砂地に突き立ててとか、中に適当な穴を開けたこんにゃくとかな。こんにゃくは温めるのはいいが、温度を間違えると大変じゃ。チン先が脹れ上がって、一週間は使い物にならなくなるからな。何事も、人肌の温もりが肝腎なのじゃな。

 さて、たまにははるかな彼方だとはいえ、目的地に繋がる紅い闇の世界にまともに飛び出すこともある。

 そう、まず、そうした機会に発射されるかどうか自体が、運命よの。
 運が左右するのじゃ。十回に一度どころか、下手すると何百回に一度じゃな。
 しかもじゃ、お、今度こそは目的地に行けるかもと思ったのも束の間、半透明のゴムの膜に遮られて、つい目の鼻の先の熱い血肉に触れられず仕舞い。
 哀れよのー。
 まあ、入り口のそのまた入り口の光景を眺められただけでも御の字かもしれんのー。

 さてじゃ、これからが本番だ。
 って、これから本番をするってことじゃない。話が山場に差し掛かったという意味じゃぞ。

 なに? 話がくどい?!
 最初にわしの話はくどいと言うておいたじゃろうが!
 この程度のくどさに辛抱できんようじゃ、女子に持てんぞ。
 女子と付き合うには珍宝が…、もとい、辛抱が肝心じゃ!
 珍宝滅却すればホトまた涼し、じゃ。

 カァーーーツ ペッ!
 
 ……すまん、すまん、を入れるところが、痰が出おって。
 年じゃ、許せよ。

 さて、珍宝じゃ、じゃない、辛抱だ、じゃない、ホト……でもない、本番……じゃない、ん? 本番と言ったのはわしか。
 本番じゃなくて、本題じゃ!

 お前は精子は精巣で作られることは知っておるな。生まれたばかりの精子はの、運動能力もない、やわな存在なのじゃ。精巣上体という部分を通る過程で運動能力を身につける。
 発射オーライ、というわけじゃな。精子がたっぷり溜まった時の、あのなんともいえない、うずうずする感じ、若いお前なら分かるじゃろう。居ても立ってもおれんよな。
 体の内側で擽られているような奇妙な感覚じゃて。

 立っておられん。そりゃそうだ。あそこが突っ立っておっては、立つのも容易じゃないわいな。
 わしも、若い頃は、歩くのが難儀だったものじゃ。ついつい前屈みで歩いたり、鞄で前をさりげなく覆ってみたり、数学の問題を思い浮かべて世俗を忘れようとしてみたり、その気を散らすのに懸命だったものじゃて。

 さて、思いっきり引かれた弓で弾き飛ばされるようにして、無数の精子は飛び出す。元気溌剌。生気煥発。精子闊達。女子貫徹。射精貫徹。なんだか、支離滅裂じゃのお。どうもわしは四字熟語という奴が苦手じゃ。女子熟女は好きじゃがの。
 ま、とにかく闇雲に突っ走っていくと言いたいのじゃ。

 が、精子本人達は無鉄砲に走っているようでいて、実は、ちゃんと道筋があるらしいのじゃな。どうやら、卵子というか女御どのが目には見えない餌やら臭いやらを精子どもの鼻先に突き付けておるようじゃ。
 その不可視の餌が、また、芳(かぐわ)しいというか、まぐわしいというか、ますます精子どものカリを立てるというか、駆り立てるんじゃな。我こそは一番乗り! 我こそは一番の逞しさ! 我こそは日の本一の天晴れなカリ…、じゃない、槍男(やりおのこ)ぞ! というわけだ。

 ま、なかには競争に逸れるものもおる。最初から見当違いの方向へ彷徨ってしまうんじゃな。迷子なのか。それとも方向音痴なのか。方向音痴な精子ほど、哀れな奴はおらんのじゃなかろうか…。

 余談だが、精子どもの戦いの姿を見ておると、つい、運動会のことを連想してしまう。
 実は、本題はここからなのじゃがの。

 この頃は、運動会での競争というか駆けっこというと、誰もが一等賞になるように、つまり誰もが嫌な思いをせずに済むように、傷付くことのないように、学校側の配慮たるや、大変なものじゃ。
 それもこれも子供を預かっておるのじゃし、親御さんの非難が怖いし、子供が親より大切という世の中じゃからな。
 このことに疑問を持つ方も多いと聞く。確かに無条件で賛成はできんというのも、無理からぬ話じゃ。

 が、わしは賛成なのじゃ。
 何故かって言うと、そもそも子供に限らず、人間はみんな似たり寄ったりのようでいて、実はみんな生まれたときの条件も、まして育つ環境も違うのじゃ。それをじゃ、運動場のグラウンドで同じ線からスタートします、条件は同じです、あとは競争です、ということで順位がついてしまうというのは、理屈に合わん。
 土台がはじめから違うのだから、優劣がついて、早い遅い、うまい下手があって当然で、順位が付けられるほうが出来レースに思われるのじゃ。
 競争をしたかったら、有志が集まってやればいいことじゃ。誰もがみんな生活の条件が違うのじゃから、戦う舞台も評価の基準も違って当然。
 つまり、順位をつけるための一つだけの物差しなど、ありえんということだ。

 さて、生きている子供については、このように多少は塩梅もできるが、精子となるとの…。
 嘆かわしいばかりじゃ。
 あの一個だけの卵子を目指して数億もの精子が目くじら立てて命を賭けて突き進む。

 そうしてやっと卵子どのの鎮座まします玉座近くに辿り着いても、それで終わりというわけじゃない。
 そこまでやってきた精子は、せいぜい数十匹か百匹程度なのだから、そのどれとも卵子どのは、苦労を労う意味でも、一度ずつくらいは、交わってやればいいものを、勿体ぶりおって、卵子の回りには顆粒細胞なぞという、精子にとってはバリヤーとなる膜を張って、寄せ付けないのじゃよ。

 このバリヤーで卵子どのは精子の値踏みをするんじゃろうな。

 おうおう、あちきとやりたがるおのこが一杯。いきり立って、哀れそのもの、どれどれ、イケメンはいるかな、若く逞しいのはどれかな、なんてな。

 しかも、御丁寧にこの細胞群というバリヤー以外に、透明帯というバリヤーもあるらしい。
 まあ、聞くところによると、卵子の保護と、異種の精子が来たら困るので、精子の種別をする機能を持っているらしい。異種の精子も元気な奴だったら、ここまで来れるということか。昔から異種との交わりはよくあったという何よりの証拠なのかんもしれんな。わしも人間の女子(おなご)ではダメでも、他の獣だったら…。病気に掛かった鳥でもいいから焼き捨てる前にわしに貸してくれんものか…。

 おお、いかん、いかん、わしとしたことが、本音が過ぎた。

 わしはの、これでもれっきとした男子じゃからの、本当のところは分からんのだが、無数の精子の侵入と接近を待つ卵子の気持ちは、どんなものなのじゃろうか。女王蜂の気分なのじゃろうか。自分をめがけて血気盛んな若い男の大群が我こそはと、自分一人を目指して険しい崖をよじ登り、怒涛の激流を遡ってくる…。
 この選ばれた存在という感覚は、心底痺れるものがあるのじゃなかろうか、のう。

 その分、一旦、男を、もとい、世界で只一つだけの精子を迎え入れた瞬間からは、長く辛い日々が待っておるのじゃから、無数の男というか精子を睥睨するという女王様の快感という、それくらいの余禄はあってもいいのかもしれん。

 が、わしが憂えるのは男どもじゃ。いや、精子どもじゃ。
 わしは、無謀というか過保護というか、意味などないと言われるかもしれんが、無数の精子どもに卵子とのまぐわいの喜びを知ってもらいたいのじゃ。弱いもの、運の悪いもの、力のないもの、メスたる卵子の示した道をうまく辿れない愚かもの、そんなものには卵子と結びつく資格などないのかもしれん。
 それは分かる。
 厳しい競争を勝ち抜いてこそ、勝者と呼べるのだし、その苛酷さこそが自然の摂理だと、わしも重々分かっておるのじゃ。
 が、それでも、わしの悲願として、数億の精子どもにも一瞬でもいい、まぐわいの喜びを! と願わずにはおれんのじゃ。精子一匹に卵子一個とのご対面のチャンスを! と切に望まれてならんのじゃ。
 運動会の競争で参加者全員一等賞という発想に賛成のものなら、わしのこの悲願も賛同されるのではなかろうか、のお。
 ということでわしも今から姫始めじゃて。一匹くらいは飛ぶじゃろか。

                          (04/01/27作)

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2005/07/17

石ころ

 ボクは体の中の石ころにムカムカしていた。どうやっても、体内の石ころを取り出すことができない。胃の中あるわけじゃないらしいから、吐くこともできない。
 時折、首筋の辺りに石ころの奴、移動するらしくって、そうなると、大変。ノドチンコと石ころとで喉が狭まって、息が詰まる。ほとんど、喘ぐように息をする。
 まるで、そうだ、コンクリートの道路の片隅から生えてくる雑草。僅かな透き間を見つけて、辛うじて生きている。
 ま、やつ等ほど、ボクはタフじゃないんだけど。

 石ころはフクラハギに隠れたり、お腹に収まって、大人しくしていることもある。そんな時のボクは機嫌がいいみたい。近所の連中とも気軽に遊んだりもする。
 でも、石ころが頭の中とか、最悪、目玉の中に忍び込んだときは、どうしようもなくなる。
 ボクは、懸命に石ころをえぐり出そうとする。父さんに教えられた方法で。

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2005/02/14

瓢箪の夢(蛇足)

 そもそも、瓢箪など思い浮かぶから、拙かったのじゃ。
 ああ、もう一度、寝よう。
 二度と目が覚めないことを祈るばかりじゃ。

 そんな祈りが通じたのか、ワシは二度とこの世の日の目を見ることがなくなった。喜んでいいのか悲しむべきなのか、ワシ自身にも分からん。
 日の目を見ないとは、ワシとしては目を開けているつもりなのじゃが、なぜか世の中が真っ暗なのである。
 真っ暗といったら、ワシが経験したことのない暗さで、ワシの根性よりも暗いほど薄気味悪い暗がりなのである。
 もしかしたらワシは目覚めてはおらんだけなのかもしれん。なので思いっきり目を閉じて、そうして恐る恐る瞼なんどを開いてみたのだが、何度繰り返しても同じことじゃ。真っ暗闇といったら漆黒の闇、射干玉の闇、烏の濡れ場じゃない、濡れ羽色の闇磨墨の闇、磨かれざる黒曜石の闇、頭の中がパニックになるほどの闇、脳溢血で倒れそうな真っ赤な闇…。
 とにかくワシには筆舌に尽くしがたい闇の中なのじゃ。
 思わず呟いた願いが叶ってしまった。叶ったはいいが、さて、一体、何処にいるものやら、さっぱり分からん。体が動くような感覚はある。何しろ、瞼が動くほどだから、体は動くのは間違いないのじゃと思う。ワシのドロンとした脳味噌もとにかく微動くらいはしているようじゃし。心臓もバクバクドキドキ動いている。しまいにはドックンドックンと高鳴り、いつぞやのように眩暈が起きそうなほどに早鐘の鼓動となりそうじゃ。でも、動いていることには間違いない。
 不思議なのは肺だ。肺も動いている。息をしているのじゃから、誰にも文句の付けようがあるまいて。
 困るのは、胃や腸までが生き生きと活動しているらしいことじゃ。お腹の虫が、三時を告げるハトのようにグーグーキューキューと鳴いておる。ふくよかなお腹がへっこんで背中とくっ付きそうなくらいじゃ。
 ワシは上体を起こしてみようと、腕を突っ張ってみた。すると、真っ赤な衝撃が脳天に生じた。火花が吹いた。
 何が起こったのか。
 分からん。ただ、頭蓋が天井らしいものにぶつかったようじゃった。こんなに低い天井などあるものか。駅前のカプセルホテルじゃあるまいし。
 ああ、頭がゴンゴンしている。ジンジンする。ぶつかったショックが体全体に波となって伝わっている。腕の先、足の先まで伝わって、そうして戻ってきて、揺り返しの衝撃波がまた脳味噌の弱い部分を直撃する。
 だが、そんな痛みより、もっと衝撃的な事実にワシは驚愕しておった。
 腕を突っ張った際に、何か妙な感覚を覚えたのだ。指先の感覚がまるでなかったのだ。何かのぺっとしたような、平べったいものを押し潰したような、ワシが今まで感じたことのない奇妙な感触が闇の中にのっぺりと広がったようなのじゃ。
 それはガマガエルかヒキガエルを押し潰したような、気色悪い、胸糞悪くなるような、二度と味わいたくないようなブニュッととした感触だった。
 いや、ワシは記憶する限り、ガマガエルなど、踏み潰したことなどない。ただ、そのように思えるというだけのことじゃ。
 が、もっと、不思議なのは、指先の感触がない代わりに、それこそ、魚の鰭(ひれ)のような、そう、フィンのような平板だが、床にぴったり吸着するような、ある種、心地いいとさえ言えそうな初めての快感もあったことじゃ。
 平板…。いや、天井もそうじゃったが、何処か丸みを帯びていないこともなかったぞ。
 ワシは、その手先というべきか鰭先というべきか分からない体の突端部分で天井と言わず、床といわず、両側の壁といわず、障りまくった。どこもかしも、ぬめぬめにょろにょろぺたぺたしているではないか!
 そのうちに、ふと、とんでもない直感が脳裏を駆け巡った。
 もしかしたら…。
 もしかしたら、ワシは、瓢箪の中に封じ込められているのじゃないか。ワシは、瓢箪の中のワシになってしまった。しかもじゃ、ワシの体は、ワシの体であって、ワシではない。
 勇気を以って言おう。そう、ワシは、鯰になってしまっている。腕や手先の感触ばかりを言っていたけれど、実のところ脚のほうも妙だったのじゃ。
 ガキの頃、悪戯でお袋のスカートなどを穿いて、鏡の前でシナを作ってみたことがあった。が、いきなりお袋が帰ってきたもので、スカートを脱ぐ暇もなくて、押入れの蒲団の山の中に頭から突っ込んでいって、とにかく戸を閉めて、蒲団の中で悶々していた。お袋はなかなか去らない。こういう時に限って、女というものは、長く鏡の前などで徒な時を過ごすものだと、つくづくと嘆いたものじゃったが、そのうち、窮屈な思いに耐えられなくなった。蒲団がワシの口を塞いでいる。手の自由が利かないので、顔を幾分か左右に振るのが精々で、息苦しさは募るばかり。
 それどころか、スカートの中の脚が毛色悪い。剥き出しの太股や脛(すね)が擦れ合って、えも言えぬ感触が体をムズムズさせ始めている。スカートがまた、タイトだったし、蒲団に押されているから、両足の自由が利くどころか、スカートと一体になってしまって、ワシは蒲団という海を押し潰されそうになりながら泳ぐ魚になった気分だった。なんたって、足を動かそうとすると、スカートがぴっちりと締め付けるものだから、魚が胴体をくねらせ、尾っぽを振り振りするような、そんな無様な状況じゃったのじゃ。
 ああ、ワシはもしかしたら、やはり、瓢箪の中の鯰になってしまったのだ。
 真っ暗闇じゃけれど、息ができるということが、せめてもの救いだ。息苦しくはあるが、次第に酸欠になるという予感もないのだし。
 ワシはいつだったか、悪魔が怖くてならなくなったことがあった。悪魔に捕まえられるという強迫観念に囚われて、二進も三進もいかないことがあった。
 どうやったら悪魔を退散させることができるか、真剣に考えたことがあった。懸命じゃった。魔除けや厄除けのためなら何でもやったものじゃった。その挙げ句、ワシが至った結論というのは、そうじゃ、自分が悪魔になればいいんじゃ! というものじゃった。
 瓢箪というのは、魔除け信仰の象徴と聞いたことがあった。そうか、いつぞやのワシの願いが聞き届けられたというわけか。願いは叶う。願いつづければ、どんな願いも夢も叶う。ワシの夢とは、瓢箪となることだったのか。
 いや、違う。ワシは今、瓢箪の中にいる鯰なのじゃ。ワシは、瓢箪なら許せるが、鯰は嫌じゃ。見る分には滑稽というかユーモラスでいいし、地震予知のために役に立つかもしれないが、自分が鯰になるなんて、真っ平御免だ。
 そうだ、段々、思い出してきた。ワシの願いは瓢箪のような存在になることだった。
 ワシの記憶に間違いがなければ、瓢箪は、種がたっぷりの植物なのじゃった。羨ましいほどの艶福家なのじゃ。ワシが瓢箪になれば、種が多いし、多産だし、子孫繁栄は約束されたも同然じゃ。
 そうじゃ、駄洒落に凝った頃は、瓢箪が六つで六瓢、つまり「むびょう」と洒落て、無病息災のシンボルでもあった。文字通りのチンボルなのじゃった。
 しかもじゃ、瓢箪はウリ科の植物で蔓がウネウネしておる。何処かセクシーでもあれば、何にでも絡みつく、そんな根性をも象徴しえる。
 けれど、ワシは、瓢箪そのものになりたかったのではなく、瓢箪のような魔除けの道具が欲しいだけだったのだ。
 ん? とすると、瓢箪の中にいるワシは、鯰の代わりどころか、鯰なのだとして、一体、何を象徴しておるのじゃろうか。
(続くかも)


October: 瓢箪に蔦」を参考にしたかったのですが、小生には使い切れませんでした。

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2005/02/13

瓢箪の夢

 夢から覚めた。なぜか瓢箪が欲しくてならなくなった。
 瓢箪。一体、何処にあるのか。いや、その前に、瓢箪とは一体、植物なのか道具なのか食べ物なのか、それどころか本当は想像上の産物に過ぎないのか、それさえも分からない。
 でも、瓢箪という言葉は剽軽という言葉ほど、好きだ。なんだか軽いし、それでいて漢字が重々しいようでもある。重そうだけど軽いというべきか。
 ところで剽軽とは、「ひょうきん」と読むと知ったのはいつのことだったろう。オレ達ヒョウキン族に被れていた頃だったろうか。それとも、金属の研究に勤しんでいる最中、金属の仲間にヒョウ金属があったら、研究もさぞかし楽しかっただろうにと思っていた頃だったか。
 カミさんに瓢箪って何、どんなものって聞こうと思った。確か、カミさん、瓢箪水を使っているという話をしていたし。
 でも、ダメだ。教えてくれそうにない。大体、ワシは結婚などしとらんかった。
 それに、あれは瓢箪ではなく、ヘチマの話だった。隣りの奥さんが、寝物語に、最近、ヘチマに凝ってるの。ヘチマ水っていいのよ。肌にいいの。人間の体内にある水分にもっとも近い成分バランスを持っていて、瞬時に肌に吸収されて水分を補給し、肌の活性化を促進するの。浸透圧だったっけ。ま、いっか。肌荒れにもいいし、乾燥肌のわたしには最高。それに、へちまの導管を適当に細工して水を受けるだけでいいから、手間も少ない。一日にタップリ4リットルは溜まるわね。なんたって天然水ってのがいいわ。天然、ナチュラル、ウオーター、リーズナブル…、これだけ並んだら、鬼に金棒ね。あなたもどう? え? 要らない。男は乾燥肌の方が貫禄があっていいって? へえ、そんなものかしら。え? わたしだって、オレが濡らしてやるって。ばーかねー、あなただって年のせいで乾いてるのよ。唾液だって体液だって、あなた、砂漠の水道じゃない。あたしゃ、ヘチマ水で我慢してあげてんのよ。
 ああ、いい女だったのに。情を重ねすぎると、生意気になっていかん。
 くそ、瓢箪に戻ろう。
 瓢箪。ワシは水墨画か何かで見たのを脳裏に思い浮かべようと頑張った。が、なぜか鯰(なまず)が頭に浮かんだ。もう、ぬるぬるしていて掴み所がないほどに、鯰の野郎は、ワシの顔に体に背中にお尻に腰にと飛び跳ねやがるのだった。さんざんワシを弄び尽くしたあと、せいせいしたとばかりにワシの手を逃れ、足元の小川にどっぽんと飛び落ちた。そのまま水流に乗って目の前の池に滑り込みやがった。
 なんだ、あの野郎、池の中で、こちらを振り向いて、ベロを出して、バーカなんてやってやがる。あんたに弄ばれた子達は、こんな目にあってたのよー、なんて言って、目まで剥いて。
 くそ、ドイツもコイツもイタリアもワシをコバカにしやがって。
 思えばワシも、我が鯰であいつやこいつやあの子やその子をたっぷりと弄んでやったっけ。鯰、大活躍だった。みんなに感謝されていた。ワシもみんなも有頂天だった。
 今は夢だ。一期は夢よとと儚く潰え去った過去の栄光じゃ。ああ、瓢箪から困ったことになったものじゃ。
 ふと、思いついた。
 そうじゃ。瓢箪で鯰を捕まえればいいんだ。そうすれば、瓢箪の中に鯰が納まっているから、いつだって必要な時に取り出せる。顔だけとか、首までとか、腰までとか、背びれや胸鰭が見えるまでとか、相手の要求次第では、モノは相談で、場合によっては尾っぽまでみーんな見せびらかして、のた打ち回って、そうして収めるところに収めればいいんだ。ワシも鯰もあいつらも喜ぶこと請け合いじゃ。
 でも、問題は瓢箪でどうやって鯰を捉えるかじゃ。鯰だって連戦練磨の兵(つわもの)だて。そうは容易く捕まりはしまいて。それこそ鰻(うなぎ)のようなものだ。初めての時のあいつの腰みたいに、ニョロニョロツルツルヌルヌルウネウネクネクネコネコネしやがる。その上、髯まで生やして生意気ったら、ありゃせん。
 ワシは、脳味噌の中にこびり付いて残っている僅かな記憶をたどってみた。どこかで瓢箪と鯰の話を聞きかじったことがあったような気がしたのじゃ。
 そうじゃ、室町の頃、足利将軍が暇に飽かして近習の高僧どもにどうすれば瓢箪で鯰を捉えられるかという難題を吹っかけたのだった。
 おお、なんと今のワシは足利将軍の心境ではないか。それとも将軍の気侭な命令で奇異な禅の問答の場に引っ立てられた禅僧の心境か。
 ま、どっちでもいい。ワシも枯れてきたのだ。そろそろ達観してもいいのかもしれない。そう言えば、目覚めた瞬間に忘れ去った夢も、何処か雅(みやび)な趣きがあったようじゃぞ。
 ついでに、お尻の辺りから高貴な香りも漂っていたような…。
 瓢箪で鯰を捕まえる。掴まえられなくとも、とにかく瓢箪で鯰の野郎を押さえつけて、ギューという目に遭わせてやる。それこそ、小生意気な髯を引っこ抜いてやって、鯰を鰻に変えてしまうのだ。どうだ、お前は今じゃ、鰻じゃないか、悲しいだろう! なんて言葉で甚振ってやるんじゃ。
 ん? でも、鯰の野郎、何、言ってんで。オラはよ、初手から鰻になりたかったんだ、念願が叶ってありがとうって言いたいくらいだよ、なんて減らず口を叩くかもしれん。
 その場合に備えて、何か奴をピシャとさせるような、グーの音も出ないような決め科白(せりふ)を考えておかないといけないな。
 いや、でも、鯰の野郎だ。ワシがうまくやって瓢箪の中に奴を収めたって、ふふん、オラはよ、池の中で安眠できる寝床が欲しかったんだ。オラほどになると、岩の透き間とか土の寝床で寝そべるなんて、こっぱずかしくって、できるもんじゃねえ。瓢箪なんて、池の中にそんな高級な宿を持っている奴は、オラの他にはいないわさ。
 そんな負けず口を叩くかもしれない。
 これじゃ、瓢箪の中に鯰がいるのか、鯰が瓢箪をヤドカリの宿のように抱え込んでいるだけなのか、訳が分からない。胡蝶の夢のような、掴み所のない話だ。
 ああ、でも、一体、瓢箪って、植物なのか道具なのか、そもそも、この世にあるのかどうかも分からない。足利将軍や禅の画僧が取り沙汰するくらいだから、紛い物なのじゃったろうか。
 ああ、そうかもしれんのー。
 そもそも、瓢箪など思い浮かぶから、拙かったのじゃ。
 ああ、もう一度、寝よう。
 二度と目が覚めないことを祈るばかりじゃ。

 参考:「不思議な絵 ―如拙筆「瓢鮎図」―


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2005/02/03

雪幻想

 降り頻る雪の道を歩いていた。
 振り返れば、あるのは足の跡だけ。それも、ほんの数歩ほども形が残っているかどうか。
みんな雪に降り込められはかなくなっていく。
 道などない。なだらかな白い起伏に細い筋がゆるやかに続いているように見える。
 その一本の影の筋を辿っているだけである。
 フードを深く被り、俯きになり、口を真一文字にし、背を屈めて歩いている。
  息が苦しい。胸が痛い。冷たい空気が肺を凍て付ける。
 歩く一歩一歩が雪にごぶっていく。サラサラの乾いた軽い雪。一息吐けば、飛び散りそうな淡い粉雪。なのに、雪は容赦なく僅かな透き間を見つけては入り込んでくる。
 何処から来て何処へ行くのか分からない。ただ歩いている。無闇に前へ前へと歩いている。ただあの人に会いたくて一人歩いている。怖くて怖くてならないのに、会いたくてならない。会わないといけない。
 このまま雪の世界に埋もれていくのかもしれない。もしかしたら、そう願っているのかもしれない。この道の先に誰が待っているという確かな証しがあるじゃなし。
 白い影に我が身さえもが染まっていく。掻き消されていく。
 朝、見た夢は幻だったのか。ただの誘惑の声に過ぎなかったのか。紺碧の海から浮かび上がってきたあの姿は、あの人そのものだった。氷の彫刻のように輪郭が鮮やかで、触れれば指が氷の刃に鋭く抉られそうなほど、あの人は厳然とそこに立っていた。
 会いたくてならなかった…。
 そう、呟いたのはオレだったか、それともあの人だったのか。
 オレに会いに来たんだろ。会うために現れたんだろ。そうでなきゃ、こんな雪深い里の一軒家に来るわけがない。
 雪は降り続いていた。誰一人いないはずの世界で、どうしてこんなにも津々と、倦むことなく降りつづけるのだろう。
 あの人の影は、固く閉ざされたはずの窓の外に消えていった。手招きするように、小さく手を振りながら、後ずさりしていき、やがて真っ白な砂丘に姿を埋めていった。
 胸を掻き毟られるような悲しみがあった。
 寝床から飛び起きた。
 枕元は濡れていた。間違いない。あの人の涙で濡れたのに違いないのだ。末期の喘ぎに溢れた涙に違いないのだ。
 追わなければいけない。今、追わないと、二度と逢えなくなる。
 消え行く姿を追い求めた。
 そうして、今、闇雲に歩いている。もう、方角など分からない。意識が朦朧としている。苦しいのか痛いのか悲しいのか、それとも痺れるような快感に陶然としているのか、分からなくなっている。
 あの日、どうして捨て去ったりなどしたのだろう。
 捨てた?! 違う。オレはただ、見えなかっただけなのだ。何一つ、見えなかった。愚かだった。あの人より夢を貪っていた。でも、それが罪だというのか。
 いつの間にか真っ白な世界だったはずが、真っ赤に燃え上がる灼熱の世界へと変貌を遂げていた。手足の指先どころか鼻の頭、耳朶、肩と凍て付いていて、神経が麻痺していたはずが、今はジンジンするほどに熱い。体中が耕運機か何かを長く運転しすぎたような痺れ具合だ。
 深紅の洪水。怒涛の波飛沫。吹き上がる熱湯。膨れ上がった風船が破裂して腸(はらわた)の全てが飛び散っていくかのようだ。
 しどけなく縒れ曲がる小腸がまるで長すぎる襟巻きのように、それとも温血動物に変身した蛇の身のようにオレの体に絡みつき巻きつき、やがて雁字搦めにしてしまった。
 喉さえも締め上げられている…。
 なのに、何処か温みに満ちた快感があった。
 全てが弛緩していた。弛みきって、オレの体が放恣に解けた帯のように赤い空間に与太っていた。
 帯は愛しいあの人に寄り添うごとくに艶かしくくねらせている。あの人がオレの腕の中にいる。あの人が寝床でオレと一緒に臥している。心地良さそうに寝息を立てている。
 オレはあの人の中に入ろうと思った。蛇になった。あの人が好きだといつか言っていた蛇になったのだ。
 にょろにょろとゆっくり白い起伏を舐め登り這い伝い滑り降り絡み擦り赤い闇の中のさらに紅い深淵に伝い下りていった。
 ああ、今だ。今こそ、全てが叶う。
 そしてオレは雪の寝床であの人と結ばれたのだった。永遠に。

 


 雪の道足跡だけが付いてくる
 見返れば来た道さえもはかなかり
 雪女郎怖くて怖くて会いたくて
 一人行くこの道の先雪の中
 深深と降り積もる雪誰も見ず
 雪道に消え行く影を追う我か
 消えた影夢見に出ては朝悲し
 雪女末期の枕濡らすのか
 いつの日か現れ出でて消える人
 雪に臥す恋しい人に添うごとく
 みちのくの雪の音にも騒ぐ胸 
(以上の句は、「雪女郎」よりのもの)

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2005/01/25

鳥の餌

[ナンセンス小説です。何故かアクセスが多いので、画像をサービスしました。 (07/10/25 記)]

 軒先からチュンチュンと鳴き声が聞える。きっとスズメだろうと覗いてみたら、何処かの男女がチュッチュしていた。
 羨ましいやら妬ましいやらで、いきなり窓を開けてコラッと怒鳴ってやったら、顎が外れた。
 二人は笑っていやがった。で、やっぱりチュッチュしながら立ち去っていく。

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 やっとのことで顎を元に戻して、公園へ散歩に出かけた。思えば、この頃、外出はトンと御無沙汰だと気付いたからだ。仕事が忙しかったこともあり、休日も、窓も締め切りなら、ブラインドも下ろしたまま、部屋では寝たきりの日々が続いていた。郵便受けも、訳の分からないチラシが一杯に詰まっている。
 引っ張り出すのも億劫だったのだ。
 これじゃ、誰も居ない家だと思われ、恰好の逢引の場所だと思われても仕方なかったのかもしれない…。そんなシオラシイ反省などして、ブラインドを紐で引き上げ、窓も開放して、部屋の空気を入れ替えることにしたのだ。
 なんだかまるで病み上がりみたいだ。

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